:: 秘密。【前編】


 招かれざる客が、敏夫が勤務する総合病院に現れたのは、春先のことだった。
「俺に客?」
 患者ではなく、客だと看護婦が告げる。続いた言葉に、敏夫の目が細められた。
「記者の方とかで……」
 転勤したばかりの一勤務医に取材など来るわけがない。外場のことだと直感した。
「わかった。行く」
 内線を切り、応接間に向かう。煙草を手に取りかけて、病院内だと思い留まる。足早になるのは、止めようもなかった。
 応接間に入る。ハンチング帽をかぶった糸目の記者は、敏夫を見るなり立ち上がった。渡された名刺を、敏夫が片手で受け取る。警戒されるのも慣れた様子で、記者は自己紹介した。
「急にお訪ねして申し訳ありません。お時間をいただいて感謝します。私、外場村の取材をしている者です」
 来たか。
「尾崎です」
 内心の動揺を悟られぬよう、敏夫はソファに座り込んだ。応接間なら良かろうと煙草を取り出し、火をつける。
「取材とは?」
「ずばり、あの村で何があったか」
 あちこち取材をして回っているんです、と記者は言った。
「いやあ、骨が折れました。あの火事で、ほとんどの物証が消失した上に、外場にいた方は皆さん口を閉ざしてる。室井という作家さんの出版社にも行ったんですが、けんもほろろでした。で、貴方に辿り着いた」
 ペンで無遠慮に敏夫を指す。
「村で唯一のお医者様。絶対に何か知ってると思いましてね」
「なんのことだか」
 敏夫がとぼける。
 そう、この場合はシラを切るに限る。
 不幸中の幸い、とでもいうのか。書類上の不都合は屍鬼側の細工のお陰で露呈しないはずだ。そのことに安堵を覚える日が来るとは思わなかった。
「先生は村に戻らないんですか?」
「全部焼けちまったからな」
「再建する村も多くありますよ」
「外場はそうじゃなかった。それだけの話だろう。珍しくもない」
 敏夫が煙を吐く。
「それだけじゃない。お話を伺った皆さん、頑として何もおっしゃらない。あれだけの大火事のことを、触れたがらない。普通、興味深々で誰それが怪しいという噂話のひとつもあるんですがねぇ。しかも、外場を懐かしがりもしない。おかしいと思いませんか」
「思わんね。不便な村だったからな。清々している連中も多いんだろう」
「尾崎さん」
「話がそれだけなら、失礼する」
 敏夫が席を立つ。扉を開けようとすると、声をかけられた。
「あなたには同居人がいますよね? 彼に話を伺っても?」
 敏夫の動きが止まる。
 返答には、やや間があった。
「……親戚の子を預かってるだけだ。何も得られんよ」
 言い終わると同時に、扉を閉める。その場に立ち竦んだまま、敏夫は煙草を噛み潰した。


 アパートの部屋に戻ると、味噌汁の匂いが立ち込めていた。
 台所で料理をする夏野の姿が見える。普段と変わらない様子を見て、敏夫は胸を撫で下ろした。あの記者はまだここに来ていないようだ。
「おかえり」
「ん」
 敏夫の姿に気付いた夏野が声をかける。頷いた敏夫は、鞄を置いた。
「夏野くん」
「何?」
「いや……いい」
 言葉を濁す敏夫に、夏野は疑問を感じた。言葉を濁すこと自体、敏夫には珍しいことだ。
 自分に告げるか否か、迷ってる。
 何を?
 それは多分、あまり良くないことだと夏野は察した。

 理由は翌日すぐに判明した。
 夏野が敏夫を見送り、買い物にでも出ようかと思った矢先。
「君が同居人さん?」
 アパートの部屋を出たところで、夏野に声をかけた人物がいた。
 ハンチング帽をかぶり、どこかインクの匂いがする――見たことのない人間だ。
 夏野が答えずにいると、記者は名刺を出した。
「外場のことを調べてるんだ。君、外場で医者をやってた尾崎先生と同居してるんだよね」
 今、鍵を締めるのを見たよと重ねて告げる。
「……それが何か」
 渡された名刺に視線を落す。記者、の文字に夏野は警戒した。
「外場のことを教えてくれないかな。なに、ただでとは言わない……」
「おい」
 記者の言葉を遮ったのは、敏夫の声だった。
「その子はまだ子供だぞ。何をしている!」
 出勤したとばかり思っていた夏野は――記者も――目を見開いた。
 記者の肩にわざとぶつかりながら、敏夫は夏野に駆け寄った。夏野の腕を掴んだまま、鍵を開ける。記者への射るような視線を残して室内に入ると、ドアを閉めた。
「先生、なんで」
「嫌な予感がしてな」
 敏夫が嘆息する。額に汗をかいていた。走って戻ってきたらしい。
「すまなかった」
 伝えておくべきだったと、敏夫は詫びた。出来ることなら、自分だけで片をつけたかったのだと。
「記者だって?」
「外場のことを調べてるらしい」
 ふうん、と夏野は頷いた。手にした名刺を振って弄ぶ。
「どうするの?」
 敏夫が煙草を取り出した。
「何も言う必要はないな。皆と同じく黙秘だ」
「……通じないだろ」
 夏野が呟いた。
「あんたには、他の人間と決定的に違うことがある」
 敏夫の顔に苦渋が滲んだ。夏野とて馬鹿ではない。やはりそこに気付いたか。
「おれの存在だよ」
 知られなければまだ良かった。けれど、もう顔も見られている。
 彼が夏野の素性に気付くまでに、大した時間はかからないだろう。
「……誤魔化すさ」
 敏夫が煙を吐いた。
「どうやって」
「君の父親から預かっている、とか」
 夏野が無言で敏夫を見詰めた。
 本当にそれが通じると思っているのかと問いたげだ。
 苦しいのは、自分でもわかっている。
 沈黙に先に耐えられなくなったのは、敏夫だった。
「とにかく! 俺がなんとかするから。君は何もしなくていい」
 強引に会話を終らせると、敏夫は再び部屋から出て行った。


 記者はしばらく敏夫に張り付くことに決めたようだ。アパートと夏野への取材拒否に対し、連日病院へ通い詰めている。
 帰宅する度に、敏夫の顔の険しさが増していることに、夏野は気付いていた。
「また今日も取材責め?」
「君のところに来なかっただけマシだ」
 いらつきを隠さない敏夫に、夏野が嘆息した。
「おれが行くよ」
「何をしに」
 夏野は答えなかった。その肩を、敏夫が掴む。
「駄目だ」
「じゃあ、おれが消えるよ。それでいい?」
「夏野くん」
 肩を掴む敏夫の手に、力が篭った。
「そんなこと、俺は望んじゃいない」
「だけどこのままじゃ終わりだ。あんたも、おれも」
「わかってる」
 敏夫が煙草を咥える。その様を、夏野は横目で見た。
 先生、気付いてる?
 顔つきが、あの頃に戻ってるよ。


 最も簡単な解決方法は、ある。
 夏野が記者を吸血し、「言い聞かせ」を行えばいいのだ。
 二人とも目の前の解には当然気付いていた。
 それは二人のどちらも望まぬ答えだが、確実に効果のある手段だった。