わたしはしなない
会社が終わってほっと一息ついて、いつものように満員電車に乗る。
地元の駅に降り立って、自分のアパートまで歩いて10分。
ちょうど雨が止んだところだったらしい。アスファルトがまだ濡れている。朝、降水確率が30%で、「まあいいや」と傘を持っていかなかった私はラッキーだと思った。
住宅街を歩く。自分ひとりの足音。時々自転車が後ろから来ては追い抜いていく。
空はまだ雨雲が覆っていて真っ暗だった。
街灯の下を通ったとき、また自転車が私を追い抜いていった。
すれ違い様に、喉がかあっと熱くなった。
あ、と思う間もなく私は崩れ落ちた。
どくどくと喉から血が噴き出す。
傷口が燃えるように熱い。そこに全身の血が集まって、体の全神経が集中した。
アツイ
イタイ
倒れた私の周りに、私の血が広がっていく。ぬるくあたたかい血が、水溜りのように輪を描いた。だんだん広がった血の池が、うつぶせた私の唇に届く。
どんどん血が出たら死んじゃう。じゃあ、これを飲めばいいのかな。ああでもそれじゃあ間に合わない。
暗闇がそこにぽっかり口を開けているようだった。意識がそこに溶けるようにして吸い込まれていく。抵抗しがたい強烈な眠さが私を支配して、そして、私の意識はなくなった。
私の死体が見つかったのは、それから30分ほどしてからだった。
見つけたのは、会社帰りらしいサラリーマン。疲れきった顔をして歩いていた。私の死体を見て、目をこすり、それから「うわああ、ああ」と悲鳴を上げながら逃げていった。次に私を見つけた女子大生らしき2人組が救急車を呼んでくれた。
救急の人は私を見て、「ああ、かわいそうに」と言うと、警察を呼んだ。
警官が来て、よくわからないけど鑑識の人やなんかも来て、私の写真を撮ったり、私の鞄を調べたり、発見した女子大生達に話を聞いたりしていた。
私の周りの全てが騒がしかった。
警察と救急車両の目まぐるしい赤いランプが、静かな住宅街にひどく不似合いだった。夜にくっきりと浮かぶ赤いランプ。近所の人は迷惑なんじゃないかと少し心配した。
私を見下ろすと、私は薄目を開けて死んでいた。微笑んでいるようにも思う。
サイレンとランプを消した救急車が、私の死体を運んで行った。
女子大生達は警官に連れられて警察へと向かっていった。
ここには、私と見張りの警官だけが残された。
朝が来た。
うっすらとした夜明けを若々しい警官と迎えた。彼は一晩中、私の倒れていた場所に立っていた。
始発が動く前から働き出す人がいた。新聞配達のお兄さんや、魚屋さん、豆腐屋さん。
5時台からぽつぽつとサラリーマン風の人の姿が見られた。野球チームのユニフォームを来た中学生や高校生の姿も見える。徐々に人が多くなって7時台。学校の制服がちらほら通る。子供たちがランドセルを鳴らしながら私をすり抜けた。
「おまわりさん、おはよーございます」
「ございまぁす」
口々に言う子供たちに、警官は笑顔で答えていた。
9時ごろには人通りが落ち着いてきた。ようやく現れた代わりの警官を、若い警官は敬礼で出迎えた。
「もうすぐ原さん来るって」
「そうか」
原さんって誰だろう。
後に現れた刑事を、警官が「原さん」と呼んだことで私は彼を知った。
原さんは、50代にさしかかろうというベテランの刑事だった。2時間ドラマに出てきそうな刑事顔だ。原さんは、ここに来て、まず私に向けて手を合わせた。
「まだ23だったそうだよ」
誰に言うでもなく、原さんは私の年齢を呟いた。
「必ず、捕まえます」
そう言って、原さんは深々と私に頭を下げた。
その日の夜、原さんは私のそばにずっといて、夕暮れから通り行く人々に話しを聞き始めた。
「昨日、ここで事件が起きた」
「怪しい人を見なかったか」
「妙なそぶりをする人に心当たりは?」
道行く人々は皆首を振った。それは昼間原さんが話を聞いた住宅街の人々と同じ反応だった。
私が死んだ時間がきても、過ぎても、原さんは道行く人に話を聞き続けた。
中には私を発見したサラリーマンもいた。
今日は酔っていないらしい彼は、原さんから目をそむけて「僕はなにも知りません」と言って足早に去った。
私になにか知っていることがあればいいのだろうけど、私だってなにひとつ覚えてはいない。
あ、自転車が通った、と思った。ただそれだけだった。
自転車はあっという間に暗闇に呑まれて、後には命を摘まれ行く私が残されていた。
3日目に、両親が来た。実家の岩手から飛んできたらしい。これまで私の亡骸を弔っていたのだ。今まで見たことがないくらい、二人とも憔悴しきっていた。
「こんな寂しい場所で」
母は泣き崩れた。父はぐっと耐えていたが、地べたに座り込んだ母を起こそうとかがんだ拍子に、道路に残った私の血に気づいたらしかった。父の顔が見る間にくしゃくしゃになって、ぽろぽろと大粒の涙が零れた。
「一人暮らしなんか、させるんじゃ、なかっ……」
最後は声にならなかった。
私も、親元を離れるんじゃなかったと後悔した。
二人とも私の名前を呼んで泣いていた。
私は答える術を持たなかった。
10日目に、警官が看板を持ってやってきた。
『この場所で殺人事件がありました。当日なにか見かけた方、心当たりのある方は、最寄の警察署までご連絡ください。 電話番号××−××××』
白い板に墨の看板だった。重要と思われる文字は朱墨で書かれている。私の背丈よりだいぶ高い。看板は、私の隣に設置された。
昼の住宅街を我が物顔で歩く主婦の人たちが、よくその看板を見てひそひそ話していた。
「ねえ、あそこの」
「ね、かわいそうよね」
「こわいわぁ」
「こわいわぁ」
オウム同士がしゃべってるみたいだとちょっと思った。
恐ろしげに看板をちろちろと見る。
私もつられて看板を見た。看板は、我関せずという顔だった。
2週間目の私が死んだ時間に、原さんが私を1番に発見したサラリーマンを連れてやってきた。
彼はぐしぐしと鼻水を啜り上げながら泣いているようだった。
「すいません、すいません」と繰り返す。原さんがなだめるように背を撫でていた。
「俺、見たんです。ここで彼女が倒れているのを。でも、俺、ここ怖くて…に、逃げて。朝になって事件を知って、も、もしも、もしも」
彼が嗚咽を上げた。粘膜がひきつって「もももしも」と声が震える。
「まだ、あの時、生きてたらって。俺が逃げたせいで、手当てが遅れて、しし、死んだんだったら、どうしようって」
ごめんなさいごめんなさいと泣きながら、彼は私に向かって土下座した。
いいえ大丈夫ですよ、その時私はしっかり死んでましたから。少し寂しかったけど、お気になさらず。
同じ思いらしい原さんが、困ったように白髪の入り混じった髪を掻いた。
「その時間はすでに被害者は亡くなってましたよ」
ただ、まあ、と言いながら原さんは私を見た。
「服は汚れちゃいましたね、血が広がって」
ごめんなさいともう一度叫んで、サラリーマンは泣き崩れた。
3ヶ月たって原さんが来た。
あらためて私の、看板の前に立ち手を合わせる。
「難航しています」
ああ、そうだろうなとぼんやり思った。
だって誰も見てませんもんね。難しいでしょう。
「あきらめません」
原さんはそう言って、また手を合わせた。
私はその後姿を見送った。
その頃にはもう、誰も看板に見向きもしなくなっていた。風雨にさらされた看板は、だいぶ汚れて風景に馴染んでいた。人々がその隣を無関心に歩いていく。ニュースでは私の死んだ次の日にはもう別の事件の報道がされていた。
月に1度、両親が上京しては花を供え、看板を磨いていった。
あんなに笑顔が多くて明るかった二人が別人のように老いて行く姿が、少しつらかった。
5年経って、看板が新調された。
私を置いてぴかぴかになった看板は、どこか胸をはっているようにも見えた。
「かわいそうになぁ、もうお宮入りだよ」
看板を設置した警官がぼやいていた。
被害者すら見てないんだからそりゃ完全犯罪ですよ。ああ、でもそんなことより、できれば両親にもう来なくていいと伝えてください。自分が愛されていたのはよくわかったから、もう十分だからと伝えてほしかった。
今月も花を供えに来た両親は、新しくなった看板の前で立ちすくんだ。どちらからともなく手を握る。そうすることで、崩れそうになるなにかを支えているようにも思えた。
それから今度は7年経った。
新品のランドセルをくるくる回ってはしゃぎながら登校していたあの子は、もう中学生になっていた。私が見えるらしい野良猫は、母親になって子猫を引き連れて歩いてる。というかもう孫もいる。時がゆっくりと、しかし確実に流れていた。私の隣の看板は、新調されたことなんかなかったかのように汚れきっていた。
両親はとっくに白髪になってた。姿を見せてから、ここに辿りつくまでがとても遅い。
よろける母を手助けしたかったけど、手が届かなかった。
両親がいつものように花を供えているところに、やっぱりとっくに白髪になった原さんがやってきた。
「原さん」
両親が深々と頭を下げた。
原さんも「お久しぶりです」と言って頭を下げた。
「いつもお世話になって」
「いいえ。お待たせして申し訳ありません」
しばらく頭を下げたまま動きをとめた三人は、顔を上げてゆっくりと私を見た。
「今年で定年です。最後まで微力を尽くさせていただきます」
ドラマなら「必ず捕まえます」というシーンなのになぁ。これまでの時間と経験が、原さんに慰みを言うことすら許さないのではないかとちょっと思った。
原さんが言った。空で雲雀が鳴いている。
「もう、そんな年ですか」
父がぽつりと言った。
ざあ、と都会の風が吹く。
「今度、テレビで未解決事件の報道特集があります。そこで娘さんのことを流してもらう。時効までも間がない。なにか新しい手がかりでも得られればと思います」
最後のチャンスだと思っていますと原さんは言った。
「ええ、電話で話を伺いました。…でも」
母がちらりと私を見た。
「あの子は帰ってこないんですよね…」
ただ、理由は知りたいと言っていた。私が殺された理由を。
それは私も知りたい。私はまるで4人で話しているかのような錯覚に陥った。
2ヵ月後、テレビで私の事件が報道されたらしかった。
道行く人が「あ、あれって…」と報道にあわせて新調された看板を指差す。隣にいる私はちょっと気恥ずかしかった。中には写メールで看板を撮っていく人もいた。
1週間経って、原さんが一人の見知らぬ青年を連れてきた。
私より少し年上なだけのその人は、原さんに「ここですか」と淡々と確認した。
「自分がしたことだろう」
言われた青年は看板の文字をじっと見た。
それから、「ごめんなさい」と言った。
「悪戯の、つもりでした。自転車で追い抜き様にカッターで切ったらどうなるのかなって。まさか丁度首を切るなんて思わなくて、ずっと僕がやったんじゃないと思ってました。中学の時はほとんどニュースなんて見ませんでしたしね。事件のテレビをたまたま見て、もしかしたらと思って、警察に行ったら、僕が犯人でした」
だから実感はないけどごめんなさい、とその人は言った。
私の中に怒りが沸きあがる前に原さんが青年を殴った。
「そんな言い方があるか!」
青年が私の足元に倒れた。
「12年だぞ!ご両親がどんな気持ちだったと思ってる!この人がどんなに無念だったと!」
「…すいません」
彼は殴られた頬を押さえながら淡々と謝った。実感がないのに謝らねばならないのがひどく不服そうだ。
ふ、となにかに気づいたらしい彼が、顔を上げた。
私と目が合う。
彼の目にみるみる恐怖が広がっていった。
「…ひ…」
獣のような素早さで私から後ずさる。
見ているものが信じられないというように歯を鳴らすと、震えながら両手を合わせて土下座した。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
原さんは不思議そうに青年を見て、それから私を見た。
私は、ぎこちなくはにかんだ。
犯人が捕まったことで、私の隣にあった看板は撤去された。長年連れ添ったそれが持っていかれてしまうのは少し寂しかった。
犯人は当時14歳。法的な処罰は難しいだろうと原さんが言った。
「思わず殴ってしまいました」
原さんが、もうなんの目印もない事件現場で頭を掻いた。
「でも、解決できて良かった」
原さんの笑顔を、初めて見た気がした。
いい天気の日だった。
いつものように子供たちがランドセルをしょって歩いていく。道端で談笑する主婦、犬を連れたおじいさん、道を歩く高校生。すべてが愛しいいつもの風景。
その中で。
わたしは、ようやく、しんだ。
【完】