ことば日和

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  きすから始まる物語  

【きす】
スズキ目キス科の海水魚。沿岸の砂泥底にすむ。全長約30センチ。体は細長く、前方は筒形、後方は側扁する。背側は淡黄灰色で、腹側は白い。北海道以南に産し、シロギスともよぶ。近縁にはホシギス・アオギスなどがある。――「大辞泉」より抜粋。


 幾度となく目を通したその書類に再び視線を落としながら、マルナ国海軍チューナー大佐は頬杖をついた。黒髪に黒目、だるそうな姿勢と気の抜けたような顔が彼の持ち味だ。
「……で、この魚がどうかしたと」
「はっ」
 話を向けられたクリフ少尉が姿勢を正す。所作と等しく、律儀に整えられたオールバックの髪、神経質そうな面長の顔に、メガネが光る。
「我がマルナ国兵器開発所の所長であらせられるルーザー博士が、新しい小型爆弾の開発に取り組んでおりました。開発は成功。世界でも類を見ない洗練されたフォルムの超小型爆弾が出来上がりました。それが」
「それが」
 クリフ少尉の言葉を、チューナー大佐が引き継いだ。
「この魚にちょっと似てんじゃね? という博士のお茶目な好奇心の下、背びれや尾ひれをつけてみたと。つけてみたからには、動かねば意味がないという科学者としてのこだわりによって、馬鹿みたいに緻密な動きをする本物と見紛うばかりの外観が出来上がったと。どうせ作ったなら泳がせてみたいという至極真っ当な欲求により、海に放ってみたところ、驚異的なスピードで逃走。現在行方不明、と」
「その通りです。説明三回目にして事態を把握いただいたようで、感謝します」
 クリフ少尉が敬礼した。
「ふ」
 チューナー大佐が笑みを漏らした。間髪入れずに銃を抜き、クリフ少尉の隣にいた博士につきつける。
「面白い遊びを開発されましたな、博士。私は心臓が止まりそうです」
「わしもドッキンドッキンじゃあ」
 およそ緊張感とはかけ離れた声で博士が答える。殴ろうと振りかぶったチューナー大佐の手を、クリフ少尉が掴んだ。
「落ち着いてください、大佐。博士は我が国の人的財産、国宝指定までされています」
「この馬鹿がか!?」
 チューナー大佐のこめかみに青筋が浮いた。
「馬鹿とはひどいのう〜」
 博士がひげを揺らしながら抗議する。腕に抱いた猫がにゃおーんと鳴いた。
「それより、問題は、いかにして爆弾を回収するか、です」
「そんなものレーダー探知でもしろ! おい、探せ!」
 半ば投げやりにチューナー大佐がスタッフに向けて叫ぶ。クリフ少尉のメガネがきらりと光った。
「残念ながら、大佐。今回の小型爆弾は、レーダー回避機能がついています」
「なんだと!?」
 チューナー大佐が怒鳴る。クリフ少尉は、冷静に爆弾のデータを述べた。
「新型の原子理論で構成され、現存の核爆弾数個分に匹敵する威力があります。小国家なら滅亡させられますね。それほどデリケートな出来ではないので、ちょっとした刺激では爆発しませんが、別の生物に食べられたり、料理なんてされてごらんなさい。包丁を入れた瞬間に、ちゅどーん! 大惨事ですよ」
「おい、探し方はないのか!?」
 蒼白になったチューナー大佐が博士の胸倉を掴む。小柄な博士の足が浮いた。
「うぐぐ、あるとも。あるとも。ニャン次郎」
 ニャン次郎と呼ばれた猫はにゃおーんと答えた。しかめっ面をしたチューナー大佐が博士を離す。
「げほっ、げほ。まったく、これだから軍人は。ええか? これが爆弾。これが生粋のきす」
 博士が二つの魚を床に並べた。
 チューナー大佐は頬がひくつくのを感じた。この魚、どちらが本物なのか、見た目ではわからない。無意味に精密なその姿に、涙すら浮かんでくるようだった。
「このままでは、わかるまい。だが、ニャン次郎の手にかかれば……」
 意味深な笑みを浮かべた博士が、猫を放す。猫は、小走りでひとつの魚を口に銜えた。
「これは……」
 クリフ少尉が絶句する。
「そうじゃ。ニャン次郎が食べなかったほうが爆弾……」
 博士の言葉半ばで、チューナー大佐が博士を殴り倒した。我慢の限界を迎えたらしい。
「おい! この馬鹿をどっかで監禁しておけ!」
 そのままコートを掴むと早足で歩き出す。
「大佐」
 クリフ少尉がその後に続いた。
「このままここにいても埒があかん。探すぞ!」
「懸命な判断とは言いがたいですが、率先して行動されるその姿勢には毎度感服いたします」
「……褒めていないな」
「気のせいです、大佐。ところで」
 クリフ少尉が足を止めた。つられて、大佐も足を止める。
 少尉の手に、小型の探知機が掲げられていた。
「こんなこともあろうかと、私、その魚に発信機を備え付けておりました」
 クリフ少尉のメガネが光る。大佐はなんとも言えない顔をした。

 クリフ少尉の機転により、爆弾の在り処は早々に発見された。国内にある日本料理店だ。
「まずいぞ、爆弾に手を出されたら終わりだ」
 ジープで駆けつけた大佐が、ドアをあけるのももどかしく飛び降りる。こじんまりした佇まいの店からは、人の気配がしなかった。
「電話には出ませんでした。営業時間まだですからね」
「仕込み中か。くそっ」
 クリフ少尉共々、店のドアを蹴破る。カウンターの中で、今まさに店の主人が包丁を入れようとしていた。
「きすを寄越せ!」
 銃を構えた大佐が叫ぶ。
 主人の顔が蒼白になった。慌てて、口を押さえる。
「わ、わしはばーさん一筋だ!」
「あ、あんた……!」
 銃を突きつけられてなお、思いを貫き通す主人の心意気に女将が涙した。
「何を勘違いしている! その魚だ!」
 チューナー大佐が銃を突きつけたまま、まな板の上のきすを手にする。
 魚独特のぬめり感、そこにわずかに金属の感触を見出すことができた。
 よし、これだ。
 チューナー大佐は額に汗が滲むのを感じた。これで、未曾有の惨劇を食い止められたのだ。
「この魚は軍が徴収します。請求書はこちらまで」
 クリフ少尉が腰を抜かした女将に丁寧に連絡先を渡す。驚かせてすみません、という言葉に、女将は何度も頷いた。

 回収されたきすは、博士により最終確認がなされた。
「よし、ニャン次郎」
 もはや軽蔑と言っていい視線を寄越すチューナー大佐の前で、博士は嬉々として猫を手放した。
 広い海原を駆け、漁船の中で魚の匂いが染み付いた爆弾に、猫がかじりついたか否かは定かではない。定かではないが、その日、マルナ国の方角で凄まじい閃光が走ったと言う。



【きすから始まる物語・完】
2006.10.25.
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