ことば日和

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  阿古や、阿古や  

 男は、村一番の器量良しと謳われる娘を嫁にした。
 黒髪は艶を持ち、手は白魚のように細く、頬はうっすらと赤い。桜色の爪を持つ娘だった。
 男は大層娘を可愛がり、大切にし、常日頃からなんでもしてやった。

 阿古や、阿古や。
 お前の手の細いこと。なんら傷ついてはいかん。
 荷物はわしが持ってやろう。
 洗い物も任せなさい。
 お針を持つなんてもってのほかだ。
「それではお前様、私のすることがありませぬ」
 娘が言うと、男は笑って言った。
 阿古や、阿古や。
 それでは奥の座敷に座っていればよい。それだけでよい。

 男はそれはマメに働いた。
 娘の手はますます白く、美しく。髪は長く黒く伸びていった。
 娘がそこに在ることが、男の喜びだった。
 日増しに美しくなる娘を見て、男は言った。

 阿古や、阿古や。
 お前の髪が黒く長く美しいのを、村の娘が嫉妬する。
 切られてしまっては大変だ。
 さあ、この箱の中に入れなさい。
 お前の美しさを閉じ込めておこう。

 男は桐の箱を差し出した。
「わかりました、お前様」
 娘が髪を切り入れると、男は大切そうに封をした。
 そうして桐の箱は、神棚に仕舞われた。

 またある時、男は言った。

 阿古や、阿古や。
 お前の桜色の爪を、浜辺の貝が嫉妬する。
 剥ぎ取られては大変だ。
 さあ、この箱の中に入れなさい。
 お前の美しさを閉じ込めておこう。

 男は桐の箱を差し出した。
「わかりました、お前様」
 娘が爪を入れると、男は大切そうに封をした。
 そうして桐の箱は、神棚に仕舞われた。

 阿古や、阿古や。
 お前の瞳が黒いのを妬んで、小鳥がついばむやもしれぬ。
 傷ついては大変だ。
 さあ、この箱の中に入れなさい。
 お前の美しさを閉じ込めておこう。

 男は桐の箱を差し出した。
「わかりました、お前様」
 娘が瞳を入れると、男は大切そうに封をした。
 そうして桐の箱は、神棚に仕舞われた。

 阿古や、阿古や。
 お前の肌が白いのを、どこぞの天女が嫉妬する。
 引っかかれては大変だ。
 さあ、この箱の中に入れなさい。
 お前の美しさを閉じ込めておこう。

 男は桐の箱を差し出した。
「わかりました、お前様」
 娘が皮を入れると、男は大切そうに封をした。
 そうして桐の箱は、神棚に仕舞われた。

 ある時、男は疲れたように言った。

 阿古や、阿古や。
 なぜにお前は美しい。
 あれをしまい、これをしまいしても全く以って終わりが来ぬ。
 私はお前が心配なのだ。全てを箱に仕舞ってしまいたい。

 男が嘆くと娘は言った。
「わかりました、お前様。どうぞよしなに」

 愛しい娘の箱に囲まれて暮らした男は、ふと気付いた。
「阿古やの声が聞こえぬ」
 一度気にかかるとどうにも忘れられぬもので、
 阿古や、阿古やと語りかけるも、箱は沈黙したまま。


 阿古や、阿古や。
 なぜに声が聞こえない。
 お前の声が聞こえない。
 阿古や、阿古や。


 娘の箱に囲まれて、男は語り続けた。
 今もなお、箱にもたれ語りかけたまま朽ちた体がそこに在る。
 娘の体はその箱に。
 心は、どこにも無い。


【阿古や、阿古や・完】
2007.3.4
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