愛をさがす私のための6つのお話。むっつめ。
【愛をさがす私のお話。】



 愛を探そうと思ったきっかけは、涙でした。
 母が死んだのです。
 私の母は良くも悪くも普通の人でした。
 言葉に棘があることにすら気づかないほど愚鈍で、ささいなことでよく子供心に傷をつけられま
した。一番納得がいかなかったのは、大人になってそれをさり気なく指摘したときに綺麗さっぱり忘れ
ていたことです。
 子供だから忘れる、とか、子供だからわからない、と思っていたようで。
 生憎私はばっちり覚えていましたから、たぎる復讐心を押さえつつ今まで生きてきたわけです。
 大人になって覚えていると告げて、ごめんなさいの一言でも言われれば満足という非常にささや
かな私の復讐は、母の一言によってぽっきりと折られてしまったわけです。
 忘却は果てしない罪です。
 私の怒りは一体どこへ行けばいいんでしょうか。
 そんな中、母が倒れました。
 私はとても出来のよい娘を演じてきましたから、それはかいがいしく母を看病しました。
 うっかりを装ってお味噌汁でもかぶせてやろうかと思いましたが、それはしませんでした。
 母は元から細い人でしたが、ますます細くなって、枯れ木のようになって死にました。
 最後に、私の手をとって「ありがとう」と言いました。
 私が言って欲しかったのはそんな言葉じゃない。
 私は「今までごめんなさい」と言って欲しかった。
 私を傷つけたことを知らずに私が作った幸福な娘の姿を真実それだと思い込んで死ぬなんて、そ
んなのずるい。

 その時、私は自分が泣いているのに気づきました。

 涙の理由がわかりませんでした。
 悔しいのか、悲しいのか。あるいは解放されてほっとしたのか…。
 母の死に顔は憎らしいほど安らかで、それを見ると余計に涙が出てきました。
 どうして自分が泣いているのか、私は知りたくなりました。
 母を愛していたのかもしれない、と思いました。
 でも憎んでた。それも間違いない。
 愛情ってなんだろう。
 こんなに怨念が根ざしたような自分の感情も、もしや愛と呼ぶんだろうかと。
 
 たくさんの人に話を聞きました。
 中には人づての話もありました。いろんな愛の形を知りました。
 母は、たぶん私を愛していました。
 ただ言葉に鈍感で、愚かだっただけです。心の機微にうとい母でした。
 そしてたぶん、私はずっとそれを心のどこかで赦していた。
 そうでなければ母なんて呼べるわけがないのです。









 おかあさん、おかあさん。もう一度呼びたい。









 
                                  
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