獣−ビースト!−

森の王国 枯れない王冠

【1】

 熱帯地方独特の大きなココヤシの緑の葉が空を隠すように重なり合って木陰を作り、その隙間から太陽の光が地面に零れ落ちていました。立ち止まれば葉が擦れ合う音、虫の羽音やカナカナという鳥の声、風の吹く音が耳に入ります。
 ここは、森の王国。未開の文明の地です。
 この国では、自然と人々と獣が王の統治の下、仲むつまじく暮らしています。ジャングルのような自然の中で、彼らは独自の文明を築いていました。
 12歳になる人間の子供・ムーアは、ずっと歩き続けていた足を止め、木の幹にもたれると空を仰ぎました。太陽光から肌を守るためのマントは汗を吸ってぐっしょりと濡れています。
「畜生、あっちぃ」
 見上げた高く澄んだ青さを誇る空に、大鷲が一羽、高々と輪を描いて飛んでいました。
 王城が近い証です。
 ムーアは視界の片隅に映った赤い果物に手を伸ばしました。人差し指の長さの半分くらいの小さなグミの実です。甘酸っぱいその実を食べながら、ムーアはまた歩き始めました。

 大空を羽ばたく大鷲のファルコは、この長い長い翼が自慢でした。よく手入れされた羽の一本一本がぴんと伸びて、風を切る音がファルコが誰よりも高く早く飛べると褒め称えているようでした。羽毛をふわふわとくすぐる空気が気持ちいい。気をよくしたファルコは、もう一度大きく王城の全体を眺め見るように旋回しました。
 王城は、土と泥で作られた塔のような建物で、あるいは朽ちかけた遺跡のようにも見えました。中にはそろそろ立て直したらどうかという者もいるのですが、ファルコは乾いた黄土色の城壁に緑のつたがからまっているその姿が好きでした。
 門番のヒョウ達が、長く縦に並んだアリの行列たちが持ってきた貢物を調べています。城内では、侍女のシマウマ達が立ち話をしているのが見えました。
 平和だ。
 それはとても良いことだと、ファルコは思いました。
 偉大な王だと言われた獣王グフが逝去したのが1週間前でした。まだ次期王であるケルト王子に王位は継承されておらず、王不在の日々が続いています。けれどグフ王の素晴らしい統治のお陰で平和が今も続いている、それが何より誇らしいと思いました。
 自分がこの平和を守り続けるのだ。
 そう心に誓って、ファルコは城壁に降り立ちました。
「隊長!ご苦労様です!」
 城壁に待機していた部下達が一斉に敬礼します。ファルコはこの王国の騎士団、空の隊の隊長でした。空の隊は皆鳥達で構成されています。中には飛べないダチョウもいますが、彼は彼で足が速いのでいつか役立つだろうとファルコは考えていました。
「ケルト様は?」
「王の間にいらっしゃいます」
 極彩色のオウムが答えました。真っ赤な羽が誇らしげにぴんと伸びています。
「わかった。私はケルト様の様子を見てくる。間もなくケルト様が王位を継がれる。王冠を狙う不逞な輩がいるとも聞く。お前達、ネズミ一匹通すでないぞ!」
「はいっ!」
 鳥達がそれぞれの羽で敬礼しました。孔雀は羽を広げて了解を示し、手も足もあがらないダチョウは、首を何度も縦に振りました。
 その様子を見てから、ファルコは王の間へと向かいました。城内ではむやみに飛んではならない規則があるので、まどろっこしくても歩きます。
 この王国では、人と獣が交互に王位を継承していました。獣王グフの後は、人の王です。今年で12になるケルト王子は、人間の中から選ばれいずれ王になる者として獣王グフに育てられていました。グフ王の考え方をよく理解した賢い少年です。ファルコは彼が王になるのなら、なんら異存はないと考えていました。先代と同じく、誇りをもって仕えることができるだろう。ファルコは、それをまた嬉しく思いました。

「ふうん、ネズミ一匹ねぇ」
 部下達に激を飛ばすファルコを見ながら、物陰に隠れていたムーアは頷きました。
「王城の警備ってのも大したことないな。ま、アイツラにはこれが限界だろ」
 そう言いながら、さっき取ったばかりのグミを指ではじいて口に運びます。
 王城の中は日陰が多く、作りのせいか涼しい風が絶え間なく流れていました。ムーアは日除けのマントを脱いでようやく一息つきました。はずみで、胸元にある石のペンダントが音もなく揺れました。親指とひとさし指で作れる輪程度の大きさの白く濁った石、それを繋ぎとめている皮ひもを、ムーアは指でゆっくりとすくいあげました。ペンダントがゆらゆらと揺れる様を、ムーアはじっと見つめました。
 石の名前は月光石と言いました。
 月の光を閉じ込めた石だといわれています。ムーアはそれを真に受けたことはありませんが、小さなムーアの妹はとても嬉しそうにムーアに話して聞かせました。何度も何度も。今ではムーアはすっかりその話をそらんじることが出来ました。
「もうすぐだ」
 ムーアは石に囁きました。
「兄ちゃんは王冠を手に入れるぞ」
 そう言ってムーアはにっこりと微笑みました。

 王の間は、通路から仕切りはなく、特にこれといって装飾があるわけでもありませんでした。やはり土と泥で作られた黄土色の広間に、3段ほど高い台座があります。そこが王の居場所でした。赤い鳥達の羽毛で作られた絨毯が王座に続き、人間たちがこしらえた金と赤の玉座がそこに高々とそびえます。そこに座る人影を見て、ファルコは頭を垂れました。
「ケルト様、ファルコ参りました」
「ご苦労」
 ファルコのすぐ隣で、ケルト王子の声がしました。
 王子の声が玉座ではなく、自分の隣からしたことにファルコは驚きました。
「ケ、ケルト様!?」
「なんだ?」
 人間の子であるケルト王子は、白い肌に絹のような金色の髪をしていました。気品のある顔立ちに、腰の長さ程度の髪がきっちりと金の輪で束ねられています。さわりと風が吹くたびにその髪がさらさらと流れ、白を基調とした人の衣服に金の首輪が良く似合っていました。手にした書物をぱらぱらとめくりながら、王子はファルコに声をかけました。
「どうかしたのか?」
「い、いいえ…」
 では玉座にいるのは誰なのか。ファルコは伏せた頭のまま、ちらりと上目にやってそれを見ました。
 すぴすぴと、玉座寝ているその獣。
 人の子でも獣の子でもない、雷牙(ライガ)。
 黒い乱雑な髪型に、尻尾のように伸びた後ろ髪。
 猿に似たその姿、人のようでもあり獣のようでもあるそのマヌケな口から涎が垂れて、玉座を汚すのをファルコは見ました。
「貴様…!」
「そういきり立つな、ファルコ。まあ良いではないか」
 構えたファルコをケルトがなだめました。
「し、しかしケルト様…」
 ファルコは、獣の只中で暮らすケルト王子が同じ人の姿をした雷牙に心を許しているのは知っていました。しかし雷牙は人の姿をしこそすれ、属性も知性も獣に近いのです。とりあえず食欲以外で雷牙が動いた姿をファルコは見たことがありませんでした。
 そんなファルコの胸中を察したのか、ケルト王子はぱたりと持っていた本を閉じました。
「苦労をかけるな、ファルコ」
 ふと笑うその表情に憂いが含まれているのを見て取ったファルコは驚きました。
「いいえ、ケルト様、そんな…!」
「ふうわぁ〜」
 雷牙のあくびにファルコの羽がぴくりと動きました。ぶつぶつと肌が粟立ちます。いつでも羽を発射出来そうだと思いました。
 玉座の中で腕を張ってぴーんと背を伸ばした雷牙が涙ぐみながらケルトに聞きました。
「ケルトォ〜、ごはん〜」
 眼をこすりながらケルトを呼ぶ雷牙の口から、またぽたりと涎が垂れました。玉座にじんわりと雷牙の涎が染みこみます。
「貴様!今度と言う今度は許さん!!」
 ファルコが叫びました。寝ぼけていた雷牙はファルコの姿を見ると嬉しそうに抱きつきました。
「トリ〜!」
 抱きつくが早いかファルコに向けて大口を開けます。ばさばさと暴れるファルコをものともしません。
「いい加減にせぬか!」
 決然と雷牙を睨んだファルコは硬直しました。雷牙の期待に満ちたまなざし、これから食事が出来るのだといわんばかりに口元を緩ませた至福の表情。
 食われる。
 ファルコの本能がそう告げました。
 にっこりと笑った雷牙が大口を開けました。真っ赤な雷牙の口内で喉の奥に続いている食道が見えます。地獄の入り口のようだとファルコは思いました。
「雷牙」
 ケルト王子が雷牙を呼びながらその口にマンゴーの実を放りいれました。食べ物を入れられた雷牙の口がファルコの眼前で閉じます。しゃくしゃくと雷牙がマンゴーを噛みました。
「ファルコを離してやれ」
 雷牙はにこにこしたまま、ファルコを離そうとはしませんでした。
 ごくりとマンゴーをその大きな種ごと飲み込むと、またファルコを食べようと大口を開けます。
 その度にケルト王子は雷牙の口に果物を投げ込みました。
 それを何度繰り返したでしょう。
 ようやく満足した雷牙は、ファルコを離しました。
 ずっと翼を押さえられていたせいで、ファルコはよろよろとよろけました。うまくバランスが取れない気がします。
「大丈夫か」
 ケルト王子の言葉に、ファルコはしゃきんと背筋を伸ばしました。
「もちろんです!ケルト様!」
 その様子を苦笑しながら見たケルト王子は、持っていた本をめくりながらファルコに言いました。
「もうじき戴冠式だな」
「は」
「父は賢王の誉れ高かった。私もそうでありたいと思う」
 静かにそう告げるケルト王子の覚悟を見たファルコは、翼を折り、頭を下げました。
 ケルト王子ならそれが出来ると、そう信じながら。 
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