獣−ビースト!−

【2】

 ムーアは王城の中をうろうろと彷徨っていました。
「あー、もう、広すぎてよくわっかんねーよ!」
 どの通路も代わり映えのしない黄土色の土、自分の位置を把握する目印となるはずの景色はどこを見渡しても森ばかり。時折鳥達が飛び立ちますが、変化はそのくらいのものでした。獣が通るたびに身を隠しては会話の断片を耳にします。獣達は皆、どこか浮き足立っていました。
「もうすぐ戴冠式ね」
「ケルト王子はまだ12歳なのに」
「あの人は、きっと大丈夫よ」
 ガゼル達がせわしなく会話しながら駆けて、かかとで床の黄色い砂を蹴り上げました。
 あんなのを繰り返していたらいつか床がぬけるのではないかとムーアは心配になりました。
「はあ」
 ため息をついたムーアが壁にもたれて、グミの実を取り出すと指で高く弾きました。落ちてくるそれを食べようと眼をつぶったまま口をあけて…
 グミは落ちてきませんでした。
 不審に思ったムーアが目を開けると、天井から逆さにぶら下った獣がむしゃむしゃと口を動かしていました。どうやらグミはその獣に取られたようでした。
 涎がぽたぽたと、見上げるムーアめがけて落ちてきます。
「うわ、汚ね!おい、降りてこい!!」
 獣はムーアと目が合うと、梁にひっかけていた足を離して身を翻しながら床に降り立ちました。
 形は人の姿をしています。しっぽのように長い黒髪を持った少年です。
 けれど身のこなしは獣そのもの。
 それはムーアの見たことのないモノでした。
「お前…なんだ?」
 ムーアの本能が、なにかを警告しているようでした。
 これは全く自分とは違うものだと心がせきたてます。
 じっとムーアを見ていたそれは、にぱっと人懐っこい笑みを見せました。ひどく毒気を抜かれる、どこかムーアの妹に似た笑顔でした。
「ダレ?」
「質問を質問で返すなよ。お前なんだ?」
「ダレ?」
 小首をかしげながら不思議そうに聞く雷牙に、ムーアは折れました。きょろきょろと周囲を見渡してから、反り返るように胸をはり、でも小声で自己紹介しました。
「森の盗賊ムーア様だ」
 にこっと笑ったまま、雷牙は言いました。
「むー…?」
「ムーア」
「ムーア!」
 嬉しそうに雷牙が復唱します。
「ほら、オレは答えたぞ。お前は?」
「雷牙」
「ライガ?」
「ケルトが名前つけてくれた!」
 大声で話そうとする雷牙の口を、ムーアは慌てて押さえました。
「ふむむむむ」
「馬鹿、声がでけぇ」
 雷牙を押さえたまま、ムーアはそうっと通路を伺いました。幸い誰にも気づかれていないようでした。雷牙の口を押さえた手を少しだけずらしてムーアは聞きました。
「お前、ケルト王子知ってんのか?」
「雷牙、ケルト好きー」
 雷牙の要領を得ない返答を聞きながら、ムーアは考えました。ケルト王子を知っているということは、王室関係者かもしれません。
「じゃ、お前、王冠の保管場所知ってるか?」
 きょとん、とした顔で雷牙がムーアを見つめます。
 知らないのか、とムーアは思いました。
「おうかん、ってナニ?オイシイ?」
「馬鹿かお前!王冠っつったらこの国の支配者の証だろーが!先代王がいない今どっかに保管されてるはずだ。それさえもらっちまえばオレが王様だぜ!」
 八重歯を光らせ力説するムーアを、雷牙は眼を丸くしてみました。
「で、王冠の場所は?」
「オウカン?」
「しょうがねーな。オレも見たことないけど、ま、こんなカンジだろ」
 ムーアは土で出来た城の床に、拾った木の枝で王冠の想像図を描き始めました。大きな宝石がついていてくれればうれしいなという希望をこめながら。
 雷牙が興味深そうにそれを見ます。
「な、どうだ?心あたりねーか?」
「ほう、探し物をしているのか?」
 ムーアのすぐ後ろで声がしました。
 振り返ると、金色の髪をした少年が腕を組んで立っています。
「なんだてめぇは!」
「あーっ!ケルトォ」
 雷牙が嬉しそうにケルト王子に駆け寄りました。ごろごろと喉を鳴らして擦り寄ります。
「ケ、ルト…?」
 ケルト王子を指差しながらムーアは硬直しました。
 後ろからばさばさと、鳥達の集まる羽音が聞こえてきました。



 王城の地下には、シロアリ達が作った特製の牢屋があります。彼らの唾液と土で作られた壁の硬さは、王国で一番のものでした。鍾乳洞を思わせるひんやりとした地下の空気、どこかカビ臭い湿ったそれに、ムーアは顔をしかめました。熱気にさらされていた肌が、急に冷えていきます。
「こんな馬鹿は初めて見ました。王城内で堂々と作戦会議とは」
 牢につながれたムーアを見て、ファルコはため息をつきました。
「なんだとぉ!」
 ムーアがかみつきます。
 ケルト王子はため息をつきました。眉間に悩ましげな皺が寄せられます。
「よせ、言ってやるな」
「ケルト様、なんとお優しい…!」
 ファルはが感動に打ち震えました。
「人間、本当のことを言われると怒るものだ」
 ケルト王子に見下げ果てるように言われたムーアは激昂しました。
「おい!てめ、そりゃどーいう意味だ!!」
 文句を言いながら牢にかじりつくムーアを、ケルト王子は冷めた視線で見つめました。
「ねぇ、ケルト、どうしてムーア閉じこめるの?なんもしてないよう」
 雷牙がケルト王子に訴えました。
 ケルトは仕方なさそうに雷牙を見ました。
「そうだな、まだコイツはなにもしてない」
「じゃあ!」
 ぱっと雷牙の顔が輝きます。
「だが、いずれする」
 ケルト王子の声は、これまで雷牙が聞いたことがないくらい冷たいものでした。
「されてからでは遅い」
 冷酷に自分を観察するように向けられた瞳に、ムーアは思わず舌打ちをしました。ケルト王子の澄んだ瞳がムーアを見透かしたようで、それがまた腹立たしい。こんな王城でぬくぬくと育ったヤツになにがわかるもんかと、ムーアは心の中で呟きました。
 ケルト王子に何か言いたげにすがっていた雷牙は、結局言葉が見つからずにもやもやした気持ちを抱えたままファルコに噛み付きました。
「いたたたた、理解できんからと言って八つ当たるんじゃない!」
 ファルコが叫びます。ファルコの腹にかじりついた雷牙は、自分の目の前に金色の鍵の束があるのを見つけました。
 きらきらと輝いてたそれは大層おいしそうに見えました。雷牙はがぶりと鍵束に噛み付くと、ファルコの腰に巻かれたベルトからもぎ取りました。ひやりと冷たい鍵束は、舌で舐めると鉄分を含んだ金属の味がします。その不思議な味が気に入って、雷牙はとても満足しました。
 
 
 地下の牢から王座に戻ったケルト王子は、深く重いため息をつきました。
「王冠を狙っているという輩がいるというのは本当だったのだな」
「は」
 ファルコが羽を丁寧に折って傅きました。
「古より王冠は森の支配者の証とされております。王冠の所有者は絶対的な力を手に入れます故、森の誰もそれに立ち向かうことは出来ません。ですから、自己の利益のために欲しがる輩がいてもおかしくはないかと」
 頬杖をつきながらファルコの話を聞いていたケルト王子は、外を飛ぶ鳥達の姿を見ながらぼそりと呟きました。
「…彼らは”試練”のことも承知なのだろうか」
 その言葉にファルコは顔を上げました。
 王冠を得るためには、王冠の課す試練を超えなければなりません。心穢れた邪な者、あるいは王の技量にふさわしくない者が王冠に触れれば、その身は破滅すると言われています。
 そのため、王位継承者には覚悟の時間を作ることが許されました。
 10日間。
 その間に、王位継承者は自分の気持ちを決めなければなりません。
 今日はその7日目です。
 まだ12歳の少年のはずなのに、外を見るケルト王子の顔は憂いを含んでいて、ファルコにはその気持ちが読み取れませんでした。
「ケルト様…」
 ファルコの心配そうな声に気づいたケルト王子は、にこりと微笑みました。
「案ずるな。私は恐れてはいない。そのためにここにいるのだ。そうだろう?」
「はっ、失礼しました!」
 慌てて頭を下げたファルコは、胸に歯がゆさが残っているのに気づきました。
 足りない。
 自分で精一杯この人を支えたいと思うのだけれど、きっと自分では足りないのだと。
 それは多分雷牙でも。
 早くケルト王子が心を許す誰かが見つかればいいと、森の神にそっと祈りました。

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