「悪いな、クレバス」
オレと目があったハンズスはそう言った。引き金にそえられた指先が動く前に、セレンの鋼糸が煌く。ハンズスが飛びのくと、乗っていたデスクが音を立てて崩れた。
セレンが指先を翻す。鋼糸がセレンに戻っていった。
それを見届けたハンズスが、眉をしかめる。
「ルール違反じゃないか」
「使用を禁じられた覚えはないが?」
「ふざけんな!」
天井から声が降ってきた。振り返った拍子に、オレの顔に水がかけられた。
「わぷっ!」
思わず顔に手をやる。
途端に、胸に痛みと冷たさが走った。
「あ……」
ゼッケンを撃たれてる。
じんわりと変色したゼッケンを見て、オレは肩を落とした。
「俺は、てめぇが決めたルールなら守るぜ」
吐き捨てながら床に降り立ったのは、ダルジュだ。
「なるほど」
セレンがちらりとハンズスを見て微笑む。
「囮だったか」
バケツを蹴り上げた直後、みんなの気がそれた瞬間にダルジュもこの部屋に入ったらしい。ドアの天井付近に潜んでたなんて、まるで気づかなかった。ロッカーを足場にでもして、登ったんだろうか。
「ヒヤヒヤしたぞ」
ハンズスがほっと息をつく。
「俺の台詞だ」
ダルジュがそっぽを向いた。
あれ?
もしかして、結構仲良くなった?
オレの視線に気づいたダルジュが顔を歪めた。視線に棘が混じる。
「何見てやがる」
「べ、別に」
慌てて顔をそらす。と、視界の端を黒いものがよぎった。わずかに開いたドアから覗く黒髪。英雄か?
「あ」
つい、声が口から漏れてしまった。オレの視線を辿ったダルジュがすぐさまドアを蹴り飛ばす。
ウォーターガンを構え、
「バレバレだぜ!」
その水弾の先にいた相手――アレクだ――がにこりと笑った。
「そうデスカ」
ダルジュの目が驚愕に見開かれる。同時に、けたたましい音がして、部屋の窓ガラスが外から破られた。
飛び込んできたのは、英雄だ。
「くっ!」
振り返ったハンズスが、ウォーターガンを構える。
撃ったのは、同時だった。
「あれが実弾だったら、相討ちだったと思うよ」
と言ったのは、英雄だ。
実際、オレもそう思う。
引き金を引くタイミングは同じだったし、どちらも外す気はなかった。
違ったのは、英雄は上から撃ちハンズスは下からだったことと、あれが単なるオモチャのウォーターガンだったことだ。ハンズスは水圧をそこまで高めていなかった。悲しいかな、ハンズスの撃った水弾は、空中で失速した。へろりと頼りない曲線を描いて、地に落ちる。それを見て舌打ちしたのは、ダルジュだ。
「馬鹿が」
なんでマックスにしとかなかったと吐き捨てる。
「クレバスに当たったら怪我をするだろう」
ハンズスがむっとして言い返した。その胸のゼッケンが色を変えている。
「オーケイ。一回戦はおしまいだ。次に進もう」
英雄が珍しく場を仕切った。この場で喧嘩なんかされたらたまらないと思ったんだろう。
「待て」
クジを出そうとした英雄を、ハンズスが止めた。
「お前、ガラスを破っただろう? 破片があちこちについてるはずだ。まずは身体を洗ってこい。話はそれからだ」
英雄は一瞬驚いたような顔をして、多分そんなことを気にするのかと思ったんだろうけど、それからハンズスの忠告に従った。
シャワールームは壊れてた。放置されたビルなんだから、仕方ないのかもしれない。
それで英雄は仕方なく、そこらへんにあるバケツを拾って、水を溜めては何度かかぶっていた。
「ああ、さっぱりする」
とは言ってたけど、シャツもズボンもびしょぬれだ。
「どうせすぐ乾くよ」
着替えもあるんだし、と水滴を拭きながら言う。
「もう一度かぶってくる。少し待ってて」
そう言って、英雄は再び水道に向かった。オレとハンズスは少し離れた場所でそれを見てた。
バケツに水が溜まる。
ハンズスが、ぽつりと呟いた。
「俺は甘いか?」
「え?」
さっきのことを言ってるんだと気づくのに、少しかかった。オレを気にして、水圧を高めなかったせいで負けたと。
なんて答えようかと迷ってると、英雄の背に近づく影があった。
ダルジュだ。
「おい!」
言うと同時に英雄の背中を蹴る。
バランスを崩した英雄が、頭をバケツに突っ込んだ。
「な、なんだ!?」
慌てて顔を出し、振り向いた英雄の胸倉を掴む。オレ達が傍にいるのにも気づかずに、ダルジュは声を荒げた。
「なんだあの甘ちゃん野郎は!? あれが実戦だったら死んでるぜ? 犬死にもいいとこだ!」
ハンズスのことを言ってる。気づいたオレは、ちらりとハンズスを見上げた。
ハンズスは強張った顔をしていた。
「だからなんだ?」
英雄はいたく普通に答えた。ダルジュの視線を真っ向から受ける。
「あれが彼の良さだ。それが原因で彼が死んでも、僕は彼を責めないし、彼も僕を恨まない」
ダルジュの顔が歪んだ。理解できないと書いてある。
「お前、変わったな」
さっきまでの剣幕が嘘のように、ダルジュが英雄の胸を離した。声にもどこか穏やさが滲んでる。
「君こそ」
英雄が微笑む。
「ハンズスの心配をしてくれたんだね。ありがとう」
言われた言葉に、ダルジュがかっと赤くなった。
「誰がだ! ざけんな!」
なおも微笑を崩さない英雄に、「笑ってんじゃねぇ!」と蹴りをくれて、ダルジュは背を向けた。
向けて、オレとハンズスがそこにいるのを知ったようだ。顔をしかめて舌打ちする。早足に過ぎようとする背に、ハンズスが声をかけた。
「もうすぐ二回戦だ」
ダルジュは答えない。
「次はリベンジしたいな」
ハンズスの言葉は独り言に近かった。
「ああ」
短い同意の言葉。
オレが振り向いた時には、もうダルジュの姿はなかった。ビルの入り口で、空き缶がひとつ、蹴られる音だけが響いた。
ハンズスが薄く微笑む。木々を照らす夏の日差しは強烈で、まだまだ沈む気配を見せなかった。
【真夏のSTAY&GO! Cルート完結】
2009.7.12-23