DTH3 DEADorALIVE

第1話 「始まりの乙女達〜災難と共に〜」

 ニューヨークの片隅にあるそのバーで、とあるカクテルを注文すると、白と黒の天使が自分の苦悩を聞いてくれると言う。自分の訴えに善があれば白の天使が慈悲を、悪意が垣間見えれば黒の天使が罰を下すのだと。
 馬鹿らしいと、自分でも思う。
 それでも私は、そんな都市伝説にもすがりたくなるくらいに追い詰められていたのだ。

「バー?ねぇぜ。んなもんは」
 ひどく目つきの悪い花屋の店員がけんもほろろに言い放った。無造作に束ねられた黒髪がいくつかはねて、ラフなジーンズ姿はどこかのチンピラのようだった。鉢を抱え、店のロゴが入ったグリーンのエプロンを身につけていなければ、とても店員には見えない。
「え、でも、ここ…”Green&Green”ですよね?」
 私は地図を見直した。なんということだろう。店名も場所もあっているのに、ここはバーではなく花屋なのだ。「そうだが」と店員がひどく不機嫌そうに鉢を置く。ぎろり、と睨まれる度に私は萎縮した。店員の鋭い目が、私の頭のてっぺんからつま先まで品定めするように見渡す。殺気にも似た気配に押しつぶされそうだ。
「あんた、見たトコ未成年みたいだが?」
 私が答えずにいると、店員は面倒くさそうに頭を掻いた。
「ねぇよ、潰れた」
「え?」
 聞きとがめた私を射殺さんばかりの忌々しさをこめて、花屋の店員は言った。
「昔は確かにあったけどよ。今はねぇ!」
「そんな…」
 私は全身の血が引いていくのを感じた。目の前の景色が歪んで、暗くなる。遠くからあの店員が「おい」とか「大丈夫か」とか言っている気もしたけど、多分気のせいだろう。


「お前がそんな真似をしているとはな」
 G&Gのニ階に運び込まれた少女を一瞥して、セレンが嘆息した。一緒にトランプをしていたアレクが唖然としてダルジュを見る。
「ダルジュ…犯罪デスヨ」
「違ぇよ!」
 少女をソファに寝かせたダルジュが叫んだ。階段を駆け上がったせいで息が弾んでいる。
「こいつが勝手に倒れたんだ!バーなんかねぇっつったら、いきなり店先、で…」
「ほう?」
 セレンが興味深げに頷く。失言に気付いたダルジュが青ざめた。
 アレクがすぐに席を立って少女の脈を診た。額に手を当て、熱を測る。
「いつからバーがなくなったんだい?ダルジュ」
「う、そりゃ…」
 セレンに気圧されるようにダルジュは言いよどんだ。ぐ、と奥歯を噛み締めてから、叫び返す。
「いきなり戻ってきてバー再開ってのは、ムシが良すぎるだろうが!」
「どこがだ。ここは私の店だ」
 しれっとセレンが言い放つ。そう言われるのがわかっていたから、どんなに不満を抱えようとダルジュは今まで何も言わなかった。英雄がクレバスの所に戻り、シンヤ達が街を出てから数日後、出勤したダルジュを出迎えたのは店内で優雅にコーヒーを飲むセレンの姿だった。シャッターを開けたまま呆然としているダルジュに、「やあ、おはよう」とだけ声をかける。セレンと一緒にいたアレクも「ただいまデス」と言って笑っていた。そのままなし崩し的に店を開け、気付けばバーも再開し――今日に至る。
「状況説明も詫びもナシか!?」
 ダルジュは怒りに任せてセレンの胸倉を掴んだ。
 セレンは、ダルジュがなぜ怒るのか理解しきれないというように眉をひそめた。と、アレクが「セレン」とたしなめるような口調でセレンを呼ぶ。ちらりとそちらを見たセレンは、瞳を伏せて、言った。
「すまなかったな」
 ぞわ。
 瞬間ダルジュの肌が猛烈な勢いで粟立ち、これ以上ないほどの寒気が押し寄せた。咄嗟にセレンの胸倉を掴んでいた手を離すと、壁際まで後退する。寒さの余韻がまだ残るせいで、ダルジュの表情はひきつっていた。
「な、なん…」
 まるで新手のいじめのようだと、アレクは深いため息をついた。

 E&C探偵事務所では、まだ若い探偵とさらに若い探偵助手が依頼人から話を聞いていた。
 探偵は三十代だと言うが、東洋人のせいか実年齢よりずいぶん若く見える。人のよさそうな穏やかな笑顔がともすれば間延びしそうな雰囲気を醸していた。助手だという少年は、まだ十代だろう。肌の色が白く、金髪がよく映えている。まだやんちゃそうな青い瞳が印象的だった。
 依頼人である女性が足を組みなおす。若く瑞々しい肌に、雑誌にでも出ていそうなプロポーションがよく映えるスーツを着ている。肩口で揃えられた金髪は滑らかで、挑発的な印象の目にブルーの濃いアイシャドウが良く似合っていた。
「こちらの事務所はわりと有能だと聞いたの。前も来たのだけど、閉まっていて」
「諸事情で五年ほど閉めていたので」
「一昨日よ?」
「あー…」
 探偵が目を泳がせた。「その日は、昼寝を…」と言いかけたところで助手が思い切り足を踏みつける。呻いた探偵がテーブルに屈みこむのに合わせて助手も身を伏せた。
「馬鹿、お前オレがいなくても事務所開けろって言ったろ!」
「だって天気が良かったんだよ」
「ふざけんな」
 テーブルの下でひそひそとやりとりした後に、ぱっと探偵が顔を上げた。
「すみません、その日は別件で外に出てまして」
 あはは、と笑い飛ばす探偵を、依頼人は不審そうな目で見た。
「本当かしら。嘘くさいわね」
「いいや、本当ですよ。僕は嘘をつかないのだけが取り柄でして」
「嘘つけ」ぼそりと探偵助手が漏らした言葉を探偵が笑い声でかき消す。
「まあ、いいわ。私、ダイアナ。ファッションモデルをやってるの。少しくらいは知ってるでしょ?」
 差し出された名刺を受け取った探偵が、「よく存じていますよ」と愛想笑いで答えた。
「申し遅れました。僕はこういうものです。こちらは助手のクレバス」
 ダイアナは渡された名刺を訝しそうに見た。

 霧生英雄 (キリュウ・エイオ)

 これがその探偵の名前だと言う。
「エイオ、ね。変な名前。発音しにくいわ」
「父が変わり者でしてね」
「ふうん」興味なさそうにダイアナは頷いた。
「時間がないから本題に入るわ。探して欲しいものがあるの。銀貨よ」
「銀貨?」
「祖父の形見よ。遺産の鍵になっているの。この金貨と対になっているわ」
 ダイアナが金貨をかざして見せた。
 英雄とクレバスがそれを凝視する。金貨の表面には女性の胸像が彫られていた。モチーフは神話なのか、頭に月桂樹の葉で作られた王冠が見て取れる。そして…
「見たことの無いレリーフですね」
 それを見た英雄が眉をしかめた。
「特注品よ。世界でひとつしかないわ。銀貨もそう。それでね…」
 ダイアナがそこまで言った時、殺気を感じたクレバスと英雄が同時に立ち上がった。クレバスはダイアナの傍に駆け寄り、英雄がドアを睨む。閉まっている樫の扉の向こうに、何者かがいるのが気配で感じられた。
「やっぱりここにして良かったわ」
 ダイアナが小鼻を鳴らす。
「ボディーガードもしてくれるもの」
 その言葉が終わらない内に、ドアは乱暴に蹴り開けられた。


 アレクはじっとりと汗ばんだ少女の額を拭いた。おそらくは過労だろう。少女がうなされる度に、胸まで伸びた金髪が揺れた。顔はまだあどけなさを残している。十四くらいだろうかとアレクは推測した。念の為、ハンズスに診てもらったほうがいいかもしれないと思った時、それに気付いた。
「コレハ…」
 少女がG&Gの住所を示した紙と共に握っていたものが見えた。きらりと光る輝きに魅せられるように手を伸ばす。手に触れたそれは、金属の質感を示していた。
「銀貨…?」
 アレクの手の中で、銀貨が光る。彫り込まれた女性は、いばらの冠をし、その手に雷を携えていた。
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