DTH3 DEADorALIVE

 乱暴に蹴り開けられた扉に、クレバスが身構える。英雄はちらとダイアナを見た。落ち着き払ったダイアナは、顎を少し上げ、見下げるように入り口を見ている。
 相手を、知っているのだ。
 蹴り開けられた扉からすぐに飛び込んでくると思われた乱入者は、しかし、静寂を保っていた。
「誰だ?」
 クレバスが叫ぶ。
 その声に呼ばれたように、ゆっくりと足音がした。やはり緩やかな動作で現れた男は、白い装束を身に纏っていた。中国服に似ている。きっちりとした詰襟、歩く度にゆるやかに弧を描くスカートのような腰布には左脇に深いスリットが入っていた。上着も、ズボンも、靴に至るまで、全てが底抜けに白い。まるで生活感を漂わせないその佇まいは、事務所から完全に浮いていた。
「失礼」
 男が軽く会釈する。少し長めの黒髪が流れた。抜け目のなさそうな鋭い目が、瞬時に事務所を見渡す。その中央に座るダイアナが、小鼻を鳴らした。
「アンタが来たのね、楊」
「ダイアナ様」
 楊、と呼ばれた男は礼の姿勢を取った。浅く頭を垂れ腕を組むと、間にいるクレバスと英雄などまるで眼中にないと言うように、ダイアナに語りかける。
「ご不便がおありなら、我らにご命じ下されば良いものを」
「あんたらの存在が不便なの」
 ダイアナが言い放つ。組んだ膝もついた肘も崩す気はなさそうだ。
「私の為になにかが出来ると言うんなら、ひとつよ」
 気だるげなダイアナの唇のルージュが光る。

「今すぐ消えて」

 畳み掛けるようなダイアナの声に、楊はしばらく沈黙した。
「ダイアナ様……」
 やがてゆっくりと頭を上げる。
「残念です」
「クレバス!」
 英雄が叫ぶ。クレバスがテーブルを蹴り上げる。次の瞬間、部屋に男達がなだれ込むと同時に、英雄達は窓を割った。英雄が部屋に向けて煙筒を放ると、ダイアナを抱き上げ、地上へとダイブする。事務所は二階。あっという間に地上に辿り着いた。
「ちょっと、あたしの鞄!」
 英雄から離れたダイアナが抗議する。
「ここにあるよ」
 やはり窓から飛び降りたクレバスが、鞄を振って見せた。ダイアナがそれをひったくる。中に金貨があるのを見つけた彼女は、ほっと息をついた。
「あれは、知り合い?」
 英雄が事務所を見上げながら、聞いた。煙筒のせいで、事務所の窓から煙が立ち昇っている。誰かが通報したのだろう、消防車のサイレンが近づいてきた。
「祖父の部下よ。全く、好き勝手やってくれるわ」
「ふうん」
 英雄は曖昧に頷いた。事務所から英雄達を見下ろしている楊と目が合う。
「街中でやりあう気はないらしいね」
 集まり始めた人だかりに紛れるように英雄は歩き始めた。慌ててクレバスが後を追う。
「ちょっと、待ちなさいよ」
 ダイアナが英雄の後を小走りで追った。
「依頼人を置いていくなんて、どんな神経してんの?」
「ああ」
 言われた英雄が足を止める。にこりと微笑むと、彼は告げた。
「お話はよくわかりました。依頼は、お断りします」
「は?」
 クレバスが目を丸くした。ダイアナが信じられないといった表情をする。
「お前、何言って…」
「だって、ものすごくやっかいそうじゃないか、クレバス。第一、危ない。この際、窓代はサービスしよう。ああ、そういうことだか…」
 言いながら、ダイアナに向かい合いかけた英雄の頬に、ダイアナの平手が飛ぶ。
 見事に頬を捕らえたその音は、高く澄んだニューヨークの青空に響いていた。


 G&Gの昼の顔はカントリー風の花屋である。柔らか味のある白い壁、木目調のテーブルやカウンターに鮮やかに緑が映えている。道端にまで溢れた花々が、心地良い香りで店内を包んでいた。湿気のせいか、フロアは外より幾分蒸し暑い。そこでアレンジメントを手がけていたセレンの動きが、ふと止まった。
「客だ」
 呟かれた言葉に、ダルジュが顔を上げる。
 客なんか、来て当然――言いかけた言葉が喉元で止まる。店先に、見慣れない男達がいた。頭からつま先まで、真っ白な装束。中華テイストなその服を纏った男達は一様に髪を剃り上げていた。
 十人どころではなさそうだ。
 街中で異様に浮くその集団が、G&Gを囲い始めている。
「招かれざる、か? クソ」
 舌打ちしたダルジュが店から出ようとした時、集団の中から一人の男が歩み出た。
 褐色の肌に、短い金髪。深く澄んだ青い瞳が、知性的だった。肩からななめにかけた白の布が風になびく。
「こんにちは」
 人の良さそうな笑みを浮かべながら青年が告げた。
「何の用だ」
 ダルジュが不快そうに眉を顰める。
「私達、人を探しています。女の子です。家出をしてしまって……とても心配しているのです」
「ガキだあ?」
 瞬間、朝方のことがダルジュの脳裏をよぎった。今、二階で寝ているあの少女のことだろうか?
「見ませんでしたか?」
 穏やかそうな青年の言葉に、ダルジュが口を開きかける。
 と、ダルジュは気付いた。
 にこにこと笑う青年の顔、褐色の肌によく映えた青い瞳、その目が少しも笑っていないことに。
 機械的な目だ。むかつくことに見覚えもある。
「……知らねぇな」
 吐き捨てるようにダルジュが言う。なんだと、と叫んだ男達が、じり、と歩を進めた。店を背にしたダルジュに、輪が少し縮まる。
「嘘は、いけません」
 青年が笑った。
「入るのを見た、という人がいます」
「そ……」
「帰った」
 ダルジュの言葉を遮って、セレンが告げた。
「随分と丁寧に礼を述べてな。どこに行くかまでは聞いていないが」
 パチン、とセレンが手にしたハサミで花の茎を切り落とす。花の蕾がぽとりとテーブルに落ちた。
「それで、まだ、なにか?」
 静かに――威圧するようにセレンが青年を見やる。辺りに異様な緊張感が立ち込めた。思わずダルジュが息を呑む。
「そうですか」
 青年は頷いた。
「それは、どうも失礼しました」
 にこりと礼をし、男達を促すように引いていく。その後姿を見送ったダルジュがほっと息をついた。
「なんだってんだ、あいつら」
「ダルジュ」
 嘆息したダルジュの頭をセレンが肘で打つ。
「いてぇ!」
「話術がまるでなってないな。あそこで“知らない”というのは“知っています”と同義だぞ」
「そんなのわかるか! 俺をペテン師共と一緒にするなよ!」
 ダルジュが吼える。と、同時に二階の窓が開き、アレクが物を放り投げた。
「うわ!」
 随分と重量を誇るそれがダルジュの鼻先を掠める。初め、毛布かなにかだと思ったその塊は、人の形をしていた。白い装束を来た男が、伸びている。ダルジュとセレンが二階を見ると、なんのことはないという顔でアレクが手をはたいていた。二人の視線に気付いたアレクが、にこりと微笑む。
「ソレ、不法侵入です。ゴミね」
 瞬間、ダルジュは理解した。
 あの青年が誰に似ているのか。
 アレクだ。
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