DTH3 DEADorALIVE

第10話 「臆病者になりたい」

 だからよろしくお願いしますと言ったサラの目の前で、ダルジュは遠慮なく顔を歪めた。
 厄介ごとは御免だと、ありありと書いてある。すぐに怒鳴らないのは、サラを連れてきたセレンとアレクがまだそこにいるせいかも知れなかった。
 ダイアナとの会合の後、二人はさも当然と言わんばかりに、サラをダルジュの家に送り届けたのだ。居間で出迎えた(ダルジュにとっては出迎えてしまった)後の対応がこれだ。

「ダルジュさん、迷惑ではないでしょうか……」
 ダイアナとの話し合いの後、セレンの車の中で、シートベルトを握り締めながらサラが呟いた。窓を流れていく景色の速さが尋常ではない。現れた街路樹は次々に後方へと遠ざかって行った。
「ダイジョウブデス」
 独り言に近いサラの呟きに答えたのはアレクだった。本来二人乗りのスポーツカーの後部に、長身を折りたたむようにして乗り込んでいる。サラは自分の方が小柄だからと言ったのだが、アレクは譲らなかった。
「狭いトコ、慣れてマス。この国に来るトキのフネ、これより狭かったデス」
 にこにこと告げるアレクは、屈託のない笑顔をしていた。
「そ、そうでしょうか?」
 サラがバックミラー越しにアレクに問いかける。アレクは目を細めた。
「ダルジュ、怒りっぽいけどイイ人デス」
「それを聞いたら怒りそうだがな」
 笑みを浮かべたセレンがアクセルを踏み込む。スピードが重力となってサラにのしかかった。
「いい風だ」
 風というより、空気の壁と言った方が近い。サラは声も出せないまま、もう一度シートベルトを握り締めた。

「あ、あの……」
 ダルジュのこめかみの血管の動きを察知したサラが、おずおずと声をかける。わがままを言っているという自覚はあった。
 この町に残りたい。けれど、誰かの助けなしには、そんな力すらないのだ。
「そうですよね、私……」
「まあ、サラさん」
 ダルジュの隣にいたカトレシアが、さっとサラの手を取った。
「遠慮なんかなさらないで。いつだって、ここを我が家だと思って下さいね」
「え、あ、あの……」
 カトレシアの大きな瞳が潤んでいる。サラがカトレシアとダルジュを交互に見比べた。しばらくその様子を見ていたダルジュが、大袈裟なまでにため息をつく。
「好きにすりゃいーだろが」
 がりがりと頭を掻きながら、ぎろりと睨むような三白眼が全くそうは思っていないことを告げる。血の気が下がるのを感じながら、サラは頷いていた。
「は、はい……すみません」
「ソウイウ時は“ヨロシクお願いシマス”デス」
「あ、はい」
 アレクに言われたサラが再びダルジュに目をやった時、すでにそこにダルジュの姿はなかった。庭へのガラス戸が開いていて、外から犬達が喜んでいる声が聞こえる。どうやら庭に出たようだ。
「ダルジュさん……」
 やはり迷惑なのだとサラはうなだれた。カトレシアが心配そうにその顔を覗き込む。
「ダイジョウブ」
 アレクが二人の肩を叩いた。
「セレンが行きマシタ」
 それが解決になるのか否か――庭からはまだ犬達の鳴き声が響いていた。

 自分を見て尻尾を千切れんばかりに振ってくるジャックと子犬達を手であしらいながら、ダルジュはもう一度大きなため息をついた。
「ひどいため息だな」
 落ち着いた響きのある声に振り返る。後をついてきたのだろう、セレンが庭先に立っていた。白いシャツが庭のグリーンによく映える。管理の行き届いた庭は、まるでセレンの引き立て役のようだった。
「なんの用だよ」
「別に」
 薔薇の棘を指先で滑らせながらセレンが微笑んだ。
 ジャックと子犬達がいつの間にか鳴くのをやめている。それどころか、警戒の姿勢を取っていた。ダルジュはそのことに気付いた。ダルジュの足元で、セレンの様子を伺っているジャックの頭を撫でてやる。
 ――セレンのせいだ。
 自分が手の内にじっとりと汗をかいているのがわかる。
 嫌なプレッシャー放ちやがる。ダルジュは舌打ちした。
「どういう気まぐれだよ」
「あの子を拾ってきたのはお前じゃないか」
「ケッ、よく言うぜ。その後、首を突っ込んだのはセレンじゃねぇか」
 不満げに顔をそらしたダルジュは、しゃがみこんでジャックの全身を撫でた。ジャックが心地良さそうに舌を出す。
 セレンはゆっくりと庭を見渡した。
 手入れの行き届いた庭だった。カトレシアの父と、ダルジュとで管理していると聞く。庭だけではない。車庫も、そして家も、息づくような生活感がどこかぬくもりを感じさせた。
「……怖いか?」
 セレンの呟きにダルジュが手を止めた。
「この日常が消えるのが」
 ダルジュはすぐに返事をしようとはしなかった。ジャックを覗き込むように伏せた顔からは、表情をうかがい知ることは出来ない。くうん、と不安げにジャックが鳴く。その頭を撫でながら、ダルジュは立ち上がった。
「それはあんただろ、セレン」
 ぴくり、とセレンの眉が寄る。
 振り返ったダルジュは、セレンを正面から見据えた。ダルジュの口の端がいびつに歪む。滲み出るのは悪意だった。
「怖いのかよ。自分が日常に馴染むのが」
 辺りの空気が一変した。
 張り詰めるような気配に、子犬達が慌ててジャックの後ろ足に擦り寄る。
「私が?」
 セレンが小首を傾げる。表情はさして変わらない。けれど、空気が独特の緊張感をはらんでいた。
 思わず後ずさりしかけたダルジュは、その足がジャックに触れたことで、どうにかその場に踏みとどまった。
「ああ、そうだ」
 セレンの瞳を睨む。
「でなきゃ、アンタがそうそう他人に絡むわけがねぇ」
 ダルジュは覚えていた。英雄が蘇った時、セレンがあっさりとダルジュ達との生活を捨てたこと。最低限の家財道具だけが置いてあったセレンの部屋。その扉を開けた時の寂寥感。
 忘れるものか。
 アレクと暮らし始めたと聞いた時、驚くと共に喜びがこみ上げた。ようやくセレンが居場所を見つけたのだと、そう思って。
 けれど――。
 ダルジュは無意識に拳を握り締めた。
 ぶつける言葉は、かつて何度も自身に問いかけたものでもあった。
「怖いんだろ? どんどん丸くなってく自分が。弱くなってくみてぇで。そこにあのガキが転がり込んだ。ラッキーだとでも思ったんじゃねぇか?」
 びり、と空気が震える。
 異様とも言える重圧感が、牧歌的な風景を織り成す庭を包み込んだ。
「……ふ」
 セレンの唇が笑みを描いた。く、くと押し殺すような笑いと共に肩を揺らす。
 やがて耐え切れないというように哄笑しだしたセレンを見て、ダルジュは目を丸くした。
「な、なにがおかしいんだよ!」
「いや」
 喉を鳴らし、笑いの余韻を引きずりながら、セレンが手のひらをダルジュに向ける。断じてダルジュを笑ったわけではないという意思の表れだったが、ダルジュにとっては変わりないように思えた。
「……失礼。ああ、やはり、お前にはそう見えるのか」
「当たり前だ。ガキの頃から何年付き合ってると思ってんだよ」
「ああ、そうだな」
 セレンが目尻の涙を拭った。瞼を伏せると睫が長いのがよくわかる。セレンの白い肌に、影がそっと落ちた。所作に色気がある、というのはこういうことを言うのだろう。
 女共が騒ぐわけだとダルジュは内心舌打ちした。
「だが」
 セレンが再び薔薇に手を伸ばした。
「お前に見透かされる程度の私ならば、私は自分に絶望するだろうよ」
 花弁に口付ける。甘い蜜を楽しむかのように、しばらくそうしていたセレンは、やがて唇を離してダルジュを見た。
「私は存外、今の私が気に入っている――お前は信じないかもしれないがね」
 だからしばらく騙されてやってくれないかと微笑むセレンに、ダルジュは断る術を持たなかった。
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