都内殺人アパート
[7月20日都内殺人アパート 102号室]
あたしの部屋は汚い。
実家にいるころお母さんはよくそんな部屋に住めるわねと何度も私をしかったものだった。
それは上京して1人暮らしを始めて5年経つ今も変わらない。
玄関を入ると、ダイレクトメールで床が埋まっている。台所だけはなんとか機能するけど、部屋は床が見えない。雑誌やらインスタントのくずやらで埋まってる。
なにがどこにあるのかもうあたしでもわからない。
だからそれを見たとき気のせいだと思った。
あたしの部屋のバスルーム。元バスルームが正解かな。一度ゴミを捨てるのが面倒になって、そこに押し込んだら次は押し込んだゴミを出すのが面倒になっちゃって。それ以来そこは封印。
ちょっとドアが開いているそこにゴミ袋にのっかってまるでマネキンのようにそれがあった。
初めあたしは見たものが理解できなかった。
髪があって白く濁った目があって、胸が膨らんでいて、肌の色は私と同じ。真っ裸の人間だ。
あたしはたまに鍵を閉め忘れる。だからいつかここに泥棒が入るかもしれないとは思っていた。
そしてその泥棒があまりの部屋の惨状にちょっとくらい片付けてはくれないかと思ったものだ。
しかし思いもしなかった。
死体が追加されるとは。
あたしは玄関の鍵を確認した。閉まってる。あわせて窓の鍵も確認する。よし閉まってる。
そして名無しのよしこさん(仮名・今名づけた)の前に戻ってきた。
よしこさん(仮名)はその濁った目が証明しているように生きていない。浴槽はここ数ヶ月、もしかしたら1年気にかけてなかった。率直に言ってよしこさんがいつからここにいたのかあたしにはわからない。まずいな、それは。
夏場だから腐ればにおうはず。よしこさんは今のところ特に匂いがしないからそんなに時間はたっていないはずだった。あたしの鼻がゴミでバカになっていなければの話。
こういうときはやっぱり警察だろうか?あたしはぼんやりと考えた。
現実感がまるでわかない。でも警察を呼ぶってことは…あたしはそのまま首だけぐるりと部屋を見た。足の踏み場も無いあたしの部屋。膝丈のテーブルの上にはいつのものかわからない皿がつまれて、ゴミ袋に入りきらない紙くずがあふれてる。洗濯物を最後にクローゼットに入れたのはいつだろう?すぐ着て脱ぐのだから面倒になって洗ったものは干したままになっている。その下に着なかったものが層を作っていた。もちろん下着も混じってる。
警察を呼ぶということはここに男を呼ぶということだ。
できませんとも、ええ。女としてせめて人並みの部屋にするまでは。
あたしは決意した。掃除をしよう。多分1年ぶりくらいだからなんとかなるはず。3日もあれば終わるだろう。それまでよしこさんには我慢をしてもらうのだ。
あたしはよしこさんをちらりと見た。物言わぬよしこさんはゴミの上でちょっと窮屈そうだった。
ごめんねよしこさん。ちょっと待ってて。
あたしはゴミ袋を買いに外へ出かけた。
[同日都内殺人アパート 103号室]
隣の住人が出て行く音がした。僕はびくつきながら玄関でそれを聞いた。
3日もたってから彼女の死体を発見したんだ。そのわりには悲鳴が聞えなかったけど…。
人ってあんまり驚くと声も出ないっていうし、きっとそうだ。警察に行ったんだ。
僕は座り込んだまま手を合わせた。がちがちと歯が鳴る。
彼女を殺してしまったのは本当に偶然だった。喧嘩して、かっとなって突き飛ばしたら机の角に頭があたった。今時ドラマでもやらなそうな偶然さだった。
でも僕は怖かった。ママに怒られるどうしようどうしようと考えて、隣のセキュリティが甘かったことを思い出した。さすが僕だ。隣の住人が出かけたのを見計らってドアに触れた。祈るようにドアノブをまわすと鍵はかかってなかった!
彼女を部屋に入ってすぐのバスルームに投げ込んで一目散に自分の部屋に逃げ帰った。
ここは単身用のアパートだし、路地に入ったところにあるから誰にも見られなかったはずだ。念のために彼女の衣類やアクセサリーは外しておいたから身元がばれるにしても時間がかかるだろう。
それでもがちがちと歯が鳴った。生きている彼女がとても好きで僕らは良い恋人だったように思う。だけど死んだ彼女はお荷物でしかなかった。まるで別人のようだった。
隣の住人は警察に行った。彼女はきっと荼毘に付される。その時は彼女を思って泣くのを許されるだろう。僕は本当に彼女が好きだった。あれは事故だ事故だった。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
僕はがじがじと親指の爪を噛み続けた。
[同日都内殺人アパート 102号室]
正直面倒なことになったと思う。
ただでさえ収拾のつかなかった部屋は壊滅状態になった。どうせ3ヶ月もすれば元にもどるんだろと思うと片付ける気が失せてくる。ていうか警察って呼ばなきゃいけないんだろうか。
よしこさんを見た。どっからどうみても死体だ。死体だっていうことは生ものだ。腐る。
今は夏だから腐りやすいに違いない。あたしは溜息をついた。
もしもあたしにプライドというものが残っていなければ、今の部屋でも臆面無く警察を呼べるだろう。警察が来る、事件になる。すると母が来る…なんのことはない、あたしは怒られるのが嫌なだけだ。部屋の汚さも鍵の件も全部あたしが悪いのだ。ああ、わかっていますよ。年頃の乙女の自覚にかけます。
溜息をつきながらゴミを拾う。結構な量になりそうだ。これだったらバスルームのゴミだけ捨てたほうがよっぽど早い…。
あたしは気づいてはいけないことに気づいてしまった。
でもそのほうが良さそうだ。
バスルームからよしこさんが枕やふとんにしているゴミ袋を取り出した。室内通路にどんと積む。
おかげで通路は通れなくなったけど、まあいいや後で崩しながら進もう。
シャワーをひねる。あ、良かったお湯も水も出るや。
よしこさんを湯船に入れた。さて、ここからだ。やったらもう戻れない。
ちょっと考えた。
一人暮らしだと会話も無いから脳のシナプスが減りやすいとかどこかで言っていた気がする。
ゴミ屋敷に住む人は心理的に欠陥があるとかなにかに執着しているとか…。
うん、きっとそうだ。あたしにはなにかが足りない。それでいい。
自分の部屋に戻ってきたときいつもそうするように心にフィルタを一枚挟み込む。現実感が急速に遠くなる。自分のしていることがまるで他人事のような感覚に陥って、それから。
あたしはよしこさんの首筋にかみそりを当てて一気に引いた。
[7月21日都内殺人アパート 103号室]
昨日僕は警察が来るのを今か今かと待っていたのに結局来なかった。サイレンを消してきたのかと思ってドアスコープに張り付いていたんだから間違いない。
どういうことだろう?
思い切って外に出る。早朝の空気はひんやりと心地よかった。
そうだ、彼女の衣類を捨てなければ。
僕はゴミ袋を持ち上げた。雑誌や紙ゴミを外側に、彼女の衣類を内側に入れてある。
本当はずっと手元に置いておきたいけどごめんね彼女に詫びた。
集積所はアパートのすぐ前にある。僕の部屋から5メートルの距離だ。
ゴミを置いて、所定のネットの中に入れるとドアの開く音がした。隣人だ。一気に緊張が走る。
滅多に顔を合わさないからわからないが、なんだか眠そうだった。
僕を見ると「おはようございます」と挨拶をする。僕も「おはようございます」と応えた。
本当は聞きたい。死体を見つけたのか?まさか気づいてないのか?警察はどうした?
僕は叫びそうになった。緊張でどうかしそうだ。
隣人はよいしょと掛け声をかけてゴミを捨てた。雑草取りでもしたのか軍手をしている。
僕の目は自然隣の部屋のドアノブに行った。ゴミ集積所からみえなければきっと手をかけていたに違いない。昨日のあれは夢で、ドアを開けたら彼女がしょうがないと言って笑っているのだ。
そんな空想までした。
[7月21日都内殺人アパート 102号室]
すがすがしい朝だった。
ゴミと一緒に悩み事までさよならした気分だ。さよならよしこさん。バラバラにしちゃってごめんね。おかげでバスルームのゴミは消えた。よしこさんをくるんで一緒に捨てたのだ。このまま一挙に片づけをすれば綺麗な部屋になる!
あたしはやる気になった。なったうちにやらないと来年部屋はもっと悲惨になる。今日はやるぞ!
[7月27日都内殺人アパート 103号室]
おかしいおかしいおかしいおかしい。
あれからもう10日近く経っているのに警察が来た気配もない。
相変わらずドアを気にしながらいらいらとテレビのチャンネルを変える。彼女が発見された気配すらない。
もしかしてまだ彼女はあそこにいるのだろうか?
それとも死んだと思ったのは僕の間違いで生きていたのか?
わからない。なにもわからない。
いらいらと親指の爪を噛もうとしてももう噛めるほど爪が残っていなかった。
おかしいおかしいおかしいおかしい。
確かめなければ。
確かめなければ。
あの部屋に、入って。
[7月27日都内殺人アパート 102号室]
人間の集中力なんてそんなものだとあたしは悟った。
相変わらずの部屋のゴミが四角くふとんを囲んでいる。まあふとんが敷けるスペースがあるだけでもいいんじゃないかと自分をなぐさめた。
ここ数日久々に手足を伸ばして寝られたのが本当に嬉しい。
ふとんでぐうたらしている時だった。
玄関の前に気配がする。新聞勧誘か?あたしは気配を消した。
チャイムが鳴っても知らぬ存ぜぬで通す気だった。
チャイムは鳴らなかった。
ドアノブに手をかけた音がする。うそ、と思う間もなくノブがひねられた。
あたしは目を見張った。
鍵をかけ忘れてる!
なんてこと!
どきどきする心臓を押さえて息をひそめた。隠れる場所を探してどこにもないことに気づく。
せめてもの抵抗に、間仕切りを兼ねたドアを足でそっと押した。すりガラスのドアはゆっくり動いて半端な位置で止まった。けどこれで玄関入ってすぐにあたしの姿を見つけることはできない。
できれば入ってこないでほしい…。あたしの気持ちとは裏腹に静かに、玄関の開いた気配がした。
目できょろきょろと武器を探す。なにかないか。
最後にはさみを使ったのはいつだったけ?
適当にそのへんに投げたせいでごみに埋まってるに違いない。
だから片付けしなさいって言ったじゃないと母の声が脳裏をよぎる。ああ、こんなことって。
ごみをあされば音がする。だめだ動けない。
侵入者はゆっくりと入ってきて、鍵をかけた。
それから玄関にあがりこむ。そしてすぐ脇の今は清潔を保っているバスルームに入ったようだった。
「ない!」
男の声。
瞬間あたしはこいつの目的がわかった。
よしこさん(仮名)を捨てた奴だ!!
「ないないないない!なんでだ!?」
うろたえる男の声がする。
捨てておいてないはないだろう。なにを考えてるんだこいつ。
あたしになんだか怒りが沸いてきた。
衝動のままに立ち上がってすりガラスのドアを開けた。
「捨てておいてなによ!」
男はびくりとしてあたしを見た。
「か、のじょは…?」
焦点の合わない目で脂汗をしたたらせながらあたしを見ている。
「捨てたわ。腐るといけないし」
「捨てた…?」
「ばらばらにしてね。大変だった!」
「ばらばら…」
男の唇がわなないた。
「ばらばら?彼女を?ばらばら?手を、足を切って、ばらばら?ばらばら…」
ぶつぶつと言いながら呆然とした表情をしている。
「ばらばら…あんないい人を」
「自分で捨てたくせに。殺したんでしょう?」
「僕は殺してなんかいない!」
男が叫んだ。あたしは一瞬気おされた。
「あれは事故だ。あれは事故だ。あれは事故だ。あれは事故だ。あれは、僕は」
男が力なくうなだれた。
「彼女が好きだった…」
ぽつりとつぶやいた言葉にはいくばくかの真実はあるようだった。
「綺麗で、優しくて、かわいくて、好きだった。彼女はどこに…?」
「ばらばらにされて、ゴミ集積車に乗せられていったわよ」
ようやく理解したらしい、男の目が見開かれた。
「なんてことを…」
あたしが少し後ずさる、それが合図だった。
「なんてことをしたんだああああああ!」
男があたしに襲い掛かってきた。
あたしは後ずさった。くるりと背を向けて、走る。
ごみの間を器用につま先で避けながら、部屋の奥まで逃げた。
男がわけのわからないことを言いながら拳を振り回して追い掛けてくる。
と、男がふとんに足を取られた。なだれをおこすゴミにめがけて派手に転ぶ。
今がチャンスだ!
男を華麗に飛び越えて、あたしは玄関に向かった。
早く、早く鍵を開けなきゃ。あいつが来る!
焦れば焦るほど手がすべる。
「ああ!もう!」
鍵がすべる。一瞬開けてまた閉めてしまった。あたしの馬鹿!
早くしないとあいつが。
あたしは室内を振り返った。手は相変わらず滑りながら鍵を開けようともがいてる。
あいつが来る気配は無い。
ようやく鍵が開いた。
扉を開けて、外が見えたことでようやくあたしはほっとした。
一目散に逃げ出した。
とにかく人のいるところに行きたかった。あたしはここしばらくしたことのない全力疾走というやつで近所のファミレスに向かった。
[7月28日都内殺人アパート 102号室]
お母さんが口うるさいほど部屋を片付けろと言った理由があたしにようやくわかってきた。
服に無造作にお金を入れる癖は直せと言われたけど直さなくてよかった。なけなしの500円であたしはファミレスでコーヒーを飲んだ。かちかちとカップに歯を当ててうまくコーヒーが飲めないあたしをウェイトレスは不思議そうに見ていた。
視線に気づいて、普通にしなければと自分に言い聞かせた。
あの男は、どうしているだろう。もう出て行った?それともまだ部屋にいるんだろうか。
おかわり自由のコーヒーを飲みながら、あたしは一晩そこで過ごした。
あたしでも人並みに怖かったのだ。
でもいつまでもここにいるわけにいかない。
部屋に戻らなければ。
あたしは自分を説得した。
部屋に、そっと戻って、だめだったら逃げよう。そう決めた。
アパートの前は怖いほど静かだった。
元々たいした人通りがあるわけじゃないけど、今のあたしにその静けさは不気味だった。
足音を消してそうっと自分の部屋の前に立つ。
ごくりと息を呑んで、そうっとドアノブに触れた。
意を決して静かに、静かにそうっとドアノブをひねる。
いつもはされない繊細な作業にドアノブがか細い悲鳴を上げた。最後に手入れをしたのはいつだったか。
でも今日だけは大人しくして欲しい。
あたしの願いが通じたのかドアノブが黙った。今度きちんと手入れしようとあたしはこころに決めた。
慎重にドアを引く。
ドアはあたしが飛び出したときのまま、鍵はかかってなかった。
そっと、室内をのぞきこむ。
室内は静まり返って、なんの気配もしなかった。
あたしは静かに玄関に散らかっている靴をドアに挟み込んだ。
密室にする気にはなれなかった。
足音を忍ばせて、部屋に入った。手探りで照明をつける。
明るくなった室内に彼はいた。ふとんに足をすべらせ、うつ伏せにゴミにつっこんだ姿勢のまま。
あたしは、その気配を知っていた。死者の気配だ。
喉からはさみの先が見える。
全体重をかけて、ごみにまぎれたはさみに突っ込んだのだ。
あたしはへなへなと崩れ落ちた。
だからお母さんは口うるさく部屋を片付けろと言ったのだ。
なにかあってからでは遅いのだと。
あたしは溜息をついた。
今度こそ、今度こそ本当に部屋を片付けよう。
まずは彼からだ。
あたしは彼の足を持って、バスルームへと向かった。
【完】