ことば日和

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  寒い冬の夜だから  

 寒い冬の夜だから、いっそ凍えるような話をしましょう。

 ここは、とあるお屋敷。わけあって人里離れたところにあります。
 お金持ちの主人と、執事、メイドたちが暮らしています。
 今日は主人に28人目の妻がやってきます。
 メイドたちは大忙し。お屋敷のお掃除に、お料理と大忙し。
 主人も私の手入れに余念がありません。
 私は綺麗なドレスを身にまとって、花嫁を出迎えます。
 まだ見たことのない28人目の花嫁は、きっと人生で最高の輝きを持ってこのお屋敷の門をくぐることでしょう。
 私と、残りの26人の花嫁たちはそれを待っているのです。
 嗚呼懐かしい。かつて私もあの門をくぐったとき、それは瑞々しさに満ちていました。
 私は今も綺麗だと主人は声をかけてくれますが、どこか肌が乾いた気がいたします。
 年月のせいかもしれません。
 
 さて、花嫁が到着しました。
 白いウェディングドレスが結った黒髪に映えて大層素敵です。
 主人は花嫁を別室に案内しました。実は私の隣の部屋です。
 そこで大人しく待っているようにいい、主人は部屋を出て行きました。
 花嫁はしおらしくうつむいていましたが、主人の足音が遠ざかると颯爽と立ち上がりま
した。
 初めてのお屋敷が嬉しかったのでしょうか、部屋のあちこちを確認するように調べ上げ
て、ついに本棚の裏にある私のいる部屋のドアを見つけました。
 初めからそれが目的であったように花嫁はドアを開けました。
 こうして、私は花嫁と対面することになったのです。
 
 私の部屋の両脇には、1番目から27番目までの妻がならんでいます。
 生前の姿のまま、綺麗に着飾られて黙って並んでいます。無論私もその一人です。
 花嫁は驚きの形に口を開くと、あわてて手で押さえて悲鳴をこらえました。
 薄暗い室内に花嫁衣装をまとったまま恐る恐る進みました。長いドレスが床をする音が
厳かに聞こえます。
 花嫁はひとりひとり顔をのぞきこむように確認していきました。
 そうして、私の前で立ち止まったのです。 

 花嫁は、私の前でぽろぽろと涙をこぼしました。
「姉さん…」
 呟いて、それ以上は言葉にならなかったようです。蜀台を私の横に置いて、私の頭を抱
きしめます。体温が、涙がとてもあたたかい。
 私はまばたきが出来ないので花嫁の涙を見開いた瞳で受けました。
 私の頬を花嫁の涙が流れ、それはまるで私の涙のようでした。
 花嫁は、涙を流しながら私の頬を撫でました。声を殺して、泣きました。
 額に、かつていつもそうしていたように額を合わせて、長い睫を伏せて泣きました。
 主人が帰ってくる足音がしました。
 花嫁は泣いたままです。
 私は、伝える手段を持ちませんでした。
 
 やがて長い長い主人の影がドアから伸びて花嫁を包みました。

 それから、ああ、どう告げればよいのでしょうか。
 花嫁は顔を上げました。
 主人に「これは私のたった一人の姉だ」と涙ながらに告げました。
 姉さん、ともう一度私を呼んで私の頭を抱きしめました。
 主人は少し悲しそうな瞳をしました。
 それでも花嫁に歩み寄ろうとすると、花嫁は毅然と立ち上がりました。
 ドレスをたくし上げ、主人の横を走り抜けると部屋のドアを閉めました。
 そのまま、本棚を元に戻したようです。
 そうなるともう、内側からは開きません。
 ドアを叩く主人を26人の花嫁と共に見つめました。
 私達の声を漏らしたくないと音が届かないようにしたのは主人です。
 夫婦水入らずの生活、とでもいうのでしょうか。ここは私達と主人の部屋になりました。

 やがて次の冬が来ました。
 前の冬、式の当日に主人を失った花嫁はそれでも屋敷の人々に歓迎されました。
 穏やかに暮らしている様子が漏れ聞こえる声から伝わります。
 
 この部屋は暗く冷たいけれど今は主人がいるからあまり寂しくありません。
 人がいるだけであたたかい。
 27人の妻も、形を残すものは半分になりました。もうすぐ私の番です。
 だから妹よ、扉を決して開けてはいけません。私に会いたくとも我慢なさい。
 獣は、まだ生きているのですよ。

 外からは轟々と吹雪の音が聞こえます。
 こんな夜は人は感傷的になるようです。
 去年の冬を思い出したのでしょう。花嫁は扉のある本棚を見つめました。
 
 そして…。

 寒い冬の夜です。こんな体でも寒さが身にしみます。
 そういうときは妹の涙を思い出します。今の彼女とは違ってとてもあたたかかった。
 とても、あたたかかったのです。
 
 

【完】
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