獣−ビースト!−

【3】

 その時、地下牢の門番をしていたアリクイが、侍女のガゼルの背に乗って駆け込んできました。ガゼルが止まった拍子に、アリクイはバランスを崩して滑り落ち、ころころと王の間を転がりました。それでも慌てて身を起こして叫びます。
「大変です!」
「何事だ騒々しい!」
「あの盗人がいません!」
「なんだと!?」
 慌ててファルコと雷牙、ケルト王子が地下牢に向かうと、牢の中にムーアの姿はありませんでした。
「馬鹿な…」
 ファルコがごくりと唾をのみます。
 牢はどこも壊れていません。格子は細すぎて、いくらあの少年でもすり抜けはできないと思いました。
「どうやって出たと言うのだ…」
 悩むファルコの隣で、ケルト王子が腕組みをして顎に手をかけました。もう答えは見つかったようです。
「雷牙」
 促された雷牙は、鼻を利かせました。
 くんくん。くんくん。
 擦り寄るように、牢のほうへ行き、それから牢の中の天井に向けて声をかけました。
「なにしてるの?かくれんぼ?」
「なに!そこにいるのか!?」
 ファルコが驚きの声を上げました。
「いぶしとけ」
 アリクイにいやな匂いの出る草と、炭を渡すとファルコとケルト王子は牢を後にしました。
 アリクイが慣れた手つきで地下の白い土を掘り、そこに炭を入れました。そこらにあった石で、その上に橋を渡して草を積みます。きょろきょろと辺りを見回して、ファルコの羽を見つけると、ぱたぱたと仰ぎました。
「げほ、げほ。しみるなぁ」
 アリクイの伸びた舌がうっかり煙に触れてしまい、アリクイはむせました。舌を撫でたアリクイは、傍らに目を輝かせた雷牙がいることに気づきました。
 雷牙はとても興味深いそうにアリクイのすることを見ていました。
「なんだ?やってみたいのか?」
「やるー!」
 両手を上げて喜ぶ雷牙に、アリクイはファルコの羽を渡しました。
「じゃあ、ちょっとだけ頼むよ。僕、煙を舐めちゃったから水で洗ってくる」
 ひりひりする舌を出したまま、アリクイはそう言って出て行きました。
 ファルコの艶やかな羽で仰ぐと煙が一層輪を描いて天井へと流れていきます。その様子が面白くて雷牙は夢中になりました。 
 3回目でしょうか。
 今度は振り方を工夫して、煙をひねってみようと雷牙が思った時、ムーアが天井から飛び降りてきました。
 勢い良く地面に着地したムーアは、なんだか怒っているようです。
「てんめぇ〜」
 ムーアは牢屋の格子越しに雷牙を掴みました。
「なにパタパタやってやがる!誰のせいでこうなったと思って…!」
「ふわあああ」
 頬を思い切り両側に引っ張られた雷牙は情けない声を上げました。
「ん?」
 雷牙の口を覗き込んだムーアは目をこらしました。雷牙の喉の奥に金色に光るなにかがあります。
「なんだ?」
 ムーアは遠慮なく雷牙の口に手を突っ込みました。あまりのことに驚いて、雷牙はされるがままです。
 手に触れたそれを引き抜くと、溶けかけの鍵であることがわかりました。涙目になってむせた雷牙が抗議します。
「雷牙のおやつー!」
「をやつ」
 鍵を宙に投げては手にとって、ムーアは雷牙の「おやつ」を乾かすことに専念しました。
 不満げにムーアを睨んでいた雷牙はぴくりと反応しました。地上から漂ってくるその匂いに、全身がざわざわと総毛立ちます。
「…このニオイ…」
「ん?どした?」
 ムーアにはさっぱりわかりません。
 匂いがすると言われて鼻を利かせても、地下のかび臭さだけが鼻に残ります。
「血のニオイ!」
 そう言うと雷牙は地上に向けて駆け出しました。獣のような足がしなやかに土を蹴り、あっという間に遠ざかっていきます。
「おい、ちょっと待てよ!」
 ムーアは叫びましたが、雷牙は止まる気配を見せませんでした。
 小さくなっていく雷牙の後姿を見ながら、ムーアは舌打ちしました。
「ち、ったく、なんだってんだよ」
 金色の鍵が、ムーアの手の中で小さく光りました。


 王城の門番であるヒョウは、その仕事に誇りを持っていました。
 怪しいヤツは通さない。入る者も、出て行く者も、捕まえるとなればその俊敏な動きで仕留められます。それに。
「ぴかぴかのヒョウの門番がいるなんてさすが王城だね」
 なんて小さな頃のケルト王子に言われたのがちょっと嬉しかったりもしたのです。
 今、倒れそうな彼を支えているのは、そんな小さなプライドでした。
「ここは通さぬ…!」
 何度と無く言った言葉を、再び招かれざる客にぶつけます。
 大きな大きな白いニシキヘビ。人間の大人4人以上分はありそうな長く太い胴。なめらかな皮膚は独特のぬめりとにぶい光沢をもっています。その細長い舌がチロチロと唇を舐める様子が不愉快でした。
「私は王冠を貰いに来たのですよ。通しなさいな」
 ヘビはまるでそれが当然と言わんばかりでした。
「断る!」
 ヒョウは吼えました。
 ヘビの尻尾がヒョウを鞭打ちました。ヒョウががくりと崩れ落ちます。もう何度こうされたことでしょう。ヒョウの綺麗な毛皮のあちこちが裂け、血は滲み、数えるのも馬鹿らしいくらいの骨が折れていました。
 ヘビの目が見下げるようにヒョウを見ました。その瞳の色の残酷なこと。森で出会えばどの獣も道を開けることでしょう。事実、ヘビはこの門に至るまでその道を邪魔されたことなどありませんでした。だからこそ、このヒョウの言い分は尚のこと不愉快でした。
「…通さぬ…!」
 ヒョウはもう一度立ち上がろうとしました。
 本当はもう立ち上がれなどしない。
 それでも自分はせねばならぬのだと、ヒョウは思いました。
 ヘビはとても面倒くさそうにヒョウを見て、その尻尾を振り上げました。
 自分に目がけて振り下ろされるそれが、ヒョウの目にはスローモーションに映りました。
 ああ、もう動けない。
 王子、自分は頑張りました。力不足で申し訳ない。
 
 ケルト王子は自分を褒めてくれるだろうか。

 褒めてくれたらとても嬉しい…と思いながらヒョウは目を閉じました。
 空気が破裂したような音がして、したのに、いつまで待っても体に新しい痛みはきませんでした。
 疑問に思ったヒョウがそっと薄目をあけると、今にも自分を鞭打とうとするヘビの尻尾を誰かが押さえている姿が目に入りました。
 ケルト王子と同じくらいの背丈。
 ざっくばらんな黒髪をしっぽのように伸ばしたその頭。
 見覚えがあります。いつもケルト王子の傍にいる獣。
「…雷牙…!」
「うぬううぅ〜」
 白いヘビのしっぽを掴んだ雷牙は顔を真っ赤にさせました。渾身の力をこめて、ヘビの尻尾を振り投げます。
 小さな体のどこにそんな力が潜んでいたのか、バランスを崩したヘビは茂みの向こうへを飛んでいきました。
「ヘイキ!?」 
 雷牙がヒョウを振り返りました。
「あ、あ…」
 言いながらヒョウは自分の意識が遠のくのを感じました。ほっとして、力が抜けてしまったようです。雷牙が自分に駆け寄って、遠吠えをする姿を見ながら、ああやはりこの子供は獣でも人でもないのだと妙に納得したのでした。

 雷牙の遠吠えを聞いたファルコは、ケルト王子に「失礼」と断ると、王室の窓から飛び立ち一気に門へと向かいました。方々にいた空軍の鳥達も門を目指していました。
 ファルコは門番のヒョウをパイソンの背に乗せると、フクロウ博士のいる病院へ行くよう言い聞かせました。
「なにがあった!?」
 叫ぶように雷牙に聞くと、雷牙は森を指差して「ヘビ〜」とだけ言いました。
「ヘビ…!?西のヘビか!」
 ファルコはその名に心当たりがありました。
 西のヘビ。
 どの獣よりも大きなその姿。残虐を好み、始末に終えない厄介者だと聞いています。獅子であったグフ王がかろうじてその力を抑えていました。
「おのれ…」
 西のヘビはグフ王の逝去にかこつけて、王冠を狙って来たに違いありませんでした。
 それは遠まわしにケルト王子など敵ではないと馬鹿にされたようで、ファルコは強い怒りを感じました。職務に忠実であった門番に怪我をさせたことも許せません。
 ファルコのそばにあったクスの木、その葉が、さわさわと揺れました。誰もが風だと思い気にもとめなかったそれを、雷牙は見逃しませんでした。
「トリ!」
 雷牙の声にファルコが後ろを振り向きます。
 眼前に真っ赤に広がった洞窟は、西のヘビの大きな大きな口でした。 
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