獣−ビースト!−
【5】
城門から奥に入った王城の東の庭で、ムーアは担いでいた雷牙を降ろしました。
「あー、くそ、重てぇ」
どさりと投げ出された雷牙は動こうともしません。
「貴様…いつの間に」
ファルコが驚きを隠さずに呟きました。
「その武器、王城の物だな」
ケルト王子が言いました。
弓矢に剣、ありったけの武器を体中にくくりつけたムーアは、ケルト王子に向き合いました。鉄で出来た剣を、ケルト王子に向けます。
「王冠はどこだよ」
「知らんな。お前に答える義務などない」
ケルト王子はムーアを睨んだまま答えました。
「なに言ってんだお前!さっきの見たろう?あんなヤツが王冠を手に入れたらヤベーんだよ!」
「それであわよくば自分が王か?立派な魂胆だな」
「てめぇ!」
ムーアはケルト王子の顔の真横に剣を突き立てました。剣を受けた王城の壁がぽろぽろと崩れます。ケルト王子は瞬きすらしませんでした。
「ケルト様!」
ファルコが叫びます。
ムーアは額がつくほどの距離でケルト王子の眼を覗き込むようにして睨みました。
ケルト王子も目をそらそうとはしません。真っ直ぐな視線でムーアを見つめ返します。
空気が張り詰めました。
緊張感にファルコが息を呑んだ時、城門が破壊される音がしました。西のヘビです。
「いかん、見つかる。王子、王冠の継承を!」
ファルコがケルト王子に申し入れました。
その声に気をとられたムーアに、ケルト王子は言いました。
「…王冠の継承には試練が伴う。王の資質を問う試練だ。私にはお前にも、ヤツにもその資格があるとは思えんが」
ムーアはケルト王子を見ました。王冠の継承に試練があるとは知りませんでした。ムーアには難しいことはわかりません。ただ、あのヘビが王になるのだけは嫌でした。
「…お前は、知らないだけだ。あいつが、どんなヤツなのか」
ムーアはケルト王子の眼を見ながら言いました。
「獣は人を食う、人も獣を食う。生きるために。それは仕方ない。でもアイツは、ただ遊びで殺す…!」
ケルト王子はムーアの瞳が揺らぐのを見ました。
「オレの村だって…!」
忘れるはずもない光景。
炎に包まれたムーアの村。手から零れる花束。炎に照らされ浮かび上がるように見えた、西のヘビの姿。
『おにいちゃん、だいすき』
さっきまでそう言って、ムーアに月光石の話をした妹の姿はどこにも見えませんでした。それどころか生きた村人の姿はどこにもありません。ただ、炎にくべられて焼け爛れていました。
妹のために花を摘みに行ったムーアだけが、生き残っていました。
ムーアの胸元で光った月光石の淡い輝きに、ケルト王子は目を細めました。
「オレは別に王になるのがオレじゃなくても構わない。だけど、アイツだけはご免だ!」
ムーアはありったけの力をこめて叫びました。
思い切り歯を噛み締めると、ぎゅっと目をつぶってケルト王子に背をむけます。
「行けよ。時間ならかせいでやるから」
「…断る」
ケルト王子の返事を、ムーアは聞き間違えたのかと思いました。違う、とわかった瞬間に怒りが沸いて、ムーアはケルト王子の首を掴んで壁際に叩きつけました。
「ケルト様…!」
ファルコが叫びます。
ケルト王子が小さく咳き込みました。構わず首を締め上げます。
「いい加減にしろよ、お坊ちゃま。なんならオレがやったっていいんだぜ…?」
ケルト王子はムーアを毅然と見据えました。
「友の一人も救えずになにが王か…!」
ムーアが傍らに横たわる雷牙を見て、思わずその手を緩めました。
西のヘビに立ち向かった雷牙は全身を打ち据えられて、ぐったりとしているようでした。傷ついた足、鳴るお腹、幸せそうな寝顔からは涎が垂れ、あたりの草を汚しています。
「う〜ん、おなかいっぱいだよぉ…」
「アイツは全力で大丈夫だからさっさと行け」
ムーアが言うと、ケルト王子は小さくため息をつきました。怒りにかられて視界が狭くなった自分をわずかに恥じて、らしくなかったと自戒します。
一瞬の内に自分を立て直したケルト王子は、ムーアの手を払い胸を張って背筋を伸ばしました。首のあたりにまとわりついたムーアの感触を手で払い、ムーア達に背を向けます。
「全く、三流盗賊に説教を食らうとは世も末だな」
「んだと!?」
いきりたったムーアは、振り向いたケルト王子の笑顔が優しいことに驚きました。
「後を頼む。ファルコ、死ぬなよ」
穏やかに告げられたファルコの全身を感激が貫きました。翼で敬礼の形をとって叫びます。
「はっ!ファルコ、この命に代えましてもケルト様をお守りします!」
「…矛盾してんぞ…」
冷め切った声でムーアが呟きました。
ファルコの切れ味の良い翼が、間髪いれずにムーアの頬を打ちました。
一般にヘビは、視覚よりも皮膚感覚が優れています。西のヘビも例外ではありませんでした。 風に乗った血のニオイ、大地の震動がケルト王子たちの居場所を西のヘビに告げていました。
西のヘビは静かに目を細めました。
自分を射抜くように見据えたケルト王子の視線が忘れられません。
あの白く細い首を折ったら、どんなに気持ちがいいでしょう。
ぞくぞくと背を駆ける快感に、西のヘビは背を震わせました。
ケルト王子の首だけはゆっくり、ゆっくり締めなくては。
毅然としたあの顔が屈辱に歪む様を見てみたい。
歪んだ欲望に舌なめずりしながら、西のヘビはゆっくりと体を進めました。
ケルト王子のいる、その場所に向けて。
ムーアは雷牙の頬をばちばちと叩いていました。
「おい、起きろってば!おい!」
「うーん、お腹いっぱいらよ〜」
「起きろっつってんだろが!」
焦れたムーアが雷牙の脇腹を蹴ると、雷牙は目をこすりながら起き上がりました。
「ごはん〜?」
「…お前、怪我は?」
きょとんとムーアを見返す雷牙を見て、ムーアはファルコを見ました。
「さっきまで大怪我を…」
言いかけたファルコがムーアの凍りつくような表情を見て言葉を止めました。自分の背後にぞくりとするような気配を感じます。
「王子はどこです?」
西のヘビの声が、すぐ耳元でしました。
瞬間、ムーアがヘビに向けて弓を引きます。戦いの気配を敏感に察した雷牙がヘビに対して牙を剥きました。
それら全てを受け止めて、西のヘビは嬉しそうに目を細めました。
ケルト王子は、王城の裏手にある神殿の中にいました。
太陽が照りつける王城や森とは違い、鍾乳洞の中にある神殿は冷やりとした空気を保っていました。清流が何処からともなく流れ、乳白色の祠にきらめきを与えていました。
ケルト王子は自分の髪飾りを解きながら呼びかけました。
「ティノス、いるか?」
ケルト王子の呼びかけに応えるように、清流が泡立ち、水が湧き上がって女性の姿を成しました。穏やかで優しそうな美しい女性の顔に清流が示す長い髪が服のように体を覆っています。透明に揺れ、絶え間なく流れる水の体を持つティノスは森の神官です。
「王子…お久しぶりでございます」
ティノスは波音をもって王子に語りかけました。水のさざめきが音となり、ティノスの声となってケルト王子の耳に届きます。
「挨拶はいい。王冠はあるか?」
ティノスのとまどいを現すように清流が乱れました。
「戴冠式などと悠長なことを言っている暇はなくなったようだ。今、欲しい」
「お心が決まっていなければ、王子。王冠に御身が破壊されてしまいます」
「覚悟など」
ケルト王子は笑いました。
「とうに決まっている」
迷いのないケルト王子の金色の髪がさらりと揺れました。
それはかつてティノスが愛したグフ王のたてがみにも似て、ティノスの透明な胸がこぽりと音を立てました。
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