獣−ビースト!−

【6】

 せせらぎの音だけが木霊する鍾乳洞の中で、ケルト王子は跪きました。
 祈りを捧げるように、頭を垂れます。
 その頭上に掲げたティノスの手で描かれた輪が、次第に光を帯びました。
 光はティノスの手から離れ、ケルト王子の頭上で茨の冠にも似た形を成しました。
 これこそが、森の王冠です。
「王位の継承を」
 ティノスが言い、王冠が静かにケルト王子の頭に触れました。
 急速に光輝いた王冠がケルト王子の頭を縛り上げます。そのひどい痛みにケルト王子は眉をしかめました。王冠の太く問いかける声が体の中に響くようです。
『我を望む者よ、我が問いに答えよ』
 怒号のように渦巻く声でした。ケルト王子は思わず目をつぶりました。これまでのこと、今の森の様子が真っ暗な空間に映し出されていきます。記憶の洪水のようでした。 
『何ゆえ我を望む?富か名声か欲か、答えよ!』
 ケルト王子はゆっくりと瞳を開きました。
「私は…」
『何ゆえ王になる!?』
 なにがあっても見失ってはならないものがある。
 ケルト王子はそれをよく知っていました。

 
 暗闇の中に、西のヘビと対峙する雷牙たちが見えました。
 傷ついたファルコを庇うように、雷牙とムーアが立ちふさがっています。
 西のヘビがゆっくりと口を開きました。
「王子はどこです?答えなさいな」
「知らねーな」
 ムーアが答えながら投げた銛を、西のヘビはたやすく尾で叩き落としました。そのままついでと言わんばかりに、雷牙ごとムーアを尾で打ちました。重なるように投げ飛ばされた二人を、傍に生えていたクスの木がしなって受け止めました。木が大きく揺れて、まだそこに残っていた鳥達が飛び立ちました。
「いって〜」
 ムーアが打ち付けた背を撫でます。
「ムーア、だいじょぶ!?」
 雷牙がムーアを振り返りました。
「ああ、大丈夫」
 答えるムーアの額から血が流れているのを見て、雷牙の心がざわつきました。
 所有物を汚された言葉にならない怒り。その感情は獣に近いものでした。
「おい?」
 雷牙の毛の一本一本が逆立っていく様を見たムーアは驚きました。噛み締めた雷牙の歯、その牙が強調されていくようにも見えます。
 雷牙は、ただケルト王子のことを思っていました。
 いつも自分がそばにいる時、ケルト王子は本を読んでくれました。雷牙にはよくわからないけれど、優しい物語が多かったように思います。ケルト王子はよく学んでいました。雷牙が何かを食べている間も、寝ている間も、常に誰かの話を聞き本を読むことで王になるための知識を増やしていました。  
 そして間違っても誰かを傷つけることなどなかった。
 王冠を持つものは、絶対的な強者の力を手に入れます。それゆえに森の住人の誰も逆らうことはできません。だからこそ、王冠は正しい心の持ち主が所有することを望みます。ケルト王子ならきっと良い王になるのだろうと雷牙は考えていました。
 雷牙は怒りをこめた爪で西のヘビに挑みました。援護をするようにファルコが翼を掲げ、ムーアは新しい武器に手を伸ばしました。
 雷牙は腹の底から吼えました。
「おうさまになるのはお前じゃない…ケルトだ!」

 
 その声は王冠を通じてケルト王子に届きました。
 苦痛に眉をしかめていたケルト王子の唇が微笑んだことにティノスは気づきました。
 どこか仕方なさそうな、でも嬉しそうな笑みでした。ケルト王子は微笑んだまま、自分の額にある王冠に呼びかけました。

「見えたろう、王冠。私を待つ者がいるのだ。ならば私は応えねばなるまい」

 王として。

 人として。

 ケルト王子の言葉は真実だけが持つ誠実さを以って王子自身の内側に響きました。
 王冠が応えるように輝きを増し、ケルト王子の内に吸い込まれていきました。



 西のヘビは退屈そうに尾を振りました。
 目の前のオモチャたちはよく起き上がってくるけれど、そろそろ飽きてしまった。
「もういいでしょう、私は忙しいのですよ…」
 三匹ともまとめて絞め殺してやろうと西のヘビは決めました。
 うっすらと笑った唇から、赤い舌がちろちろと覗きます。
 ムーアは歯を食いしばりました。打たれた体のあちこちが痛んで、銛も弓も折れてしまってもう使い物になりません。生物としての圧倒的な力の差を嫌でも感じていました。
 隣にいる雷牙の疲労も激しく、ファルコは立っているのが不思議なほどでした。
 一体自分は何をしているのか、疑問がムーアの心をよぎりました。
 自分の村の惨状に呆然とする中で、グフ王が逝去したのだと風の噂で聞きました。
 それで西のヘビが動き出したのだと、心のどこかが納得したのを覚えています。でも、やるせなかった。仕方なかったという気持ちと、理解したくない気持ちが混ざって、ムーアの心を焦がしました。そんな中王冠を西のヘビが狙っていると聞きました。
 西のヘビに取られるくらいなら自分が盗もうと王城に入って、雷牙に出会い、ケルト王子に出逢って…
 今、どうして自分がここにいるのか、ムーアはとても不思議でした。
 隣にいる雷牙が、ファルコが、ひどく頼もしい存在に思えます。そんなに多くの言葉は交わしていないはずなのに。
 そして何より不思議なのは、自分がケルト王子の帰還を信じて疑わないことでした。
 あまりに打たれすぎて、自分の頭がどうかしてしまったのかもしれないとムーアは思いました。なのにどこか誇らしくて微笑んでる自分がいます。
 兄ちゃんは王様を守ったんだぞ、すごいだろう?
 
 ムーアは自分めがけて振り下ろされてくるヘビの尾を、ただその瞳に映していました。

 その尾がムーアに届く前に響いた凛とした声が、西のヘビの動きを止めました。
「これ以上私の民を傷つけるのはやめてもらおう」
 ムーアがゆっくり振り返ると、そこにケルト王子がいました。
 胸を張り、心なしか高飛車に西のヘビを睨んでいます。
「ケルト様!」
 歓喜を滲ませてファルコが叫びました。
「ケルトォ!」
 雷牙も嬉しそうです。 
 ケルト王子の姿、そのどこにも王冠がないことに気づいたムーアは目を見張りました。
「お前、王冠どうしたんだ、まさか…!」
「馬鹿か、貴様。王冠は王の体内にあるのだ!そんなことも知らんとは…」
 ムーアに怒鳴りかけたファルコがハッと息を呑みました。
 西のヘビがぺろりと唇を舐めました。
「わざわざ王冠をお持ちいただいて…ご苦労様でした、王子」
 言うが早いかケルト王子の細い首に、西のヘビの白い尾が巻きつきました。そのまま抱え上げるように、ケルト王子の体を宙に浮かせます。
 もうすぐこの首が折れる。
 西のヘビの体を甘い期待が貫きました。
「王冠を欲しがっていたな」
 ケルト王子は言いながら西のヘビの頭上に手のひらをかざしました。
「くれてやる。受け取れ」
 西のヘビにかざされたケルト王子の手のひらが、黄金の輝きを持ち始めます。
「…!?」
 吸い込まれるような輝きを持つ光を、西のヘビは凝視しました。
 どこか懐かしい黄金色の光。
「ティアラ!」
 ケルト王子の声と共に肥大したまばゆい光が、西のヘビの体を覆いつくしました。
 あまりの眩しさに、ムーアも雷牙もファルコもその手や翼で目を覆いました。

 やがて光が収まった後、辺りにはきらめきの残骸が散らばって、西のヘビの姿はどこにもありませんでした。
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