獣−ビースト!−

氷河の国の溶けない友情

【1】


 灼熱の太陽が燦々と照りつけ、植物の緑が一層濃く、花の赤さが際立っています。
「あちー」
 ムーアはタンクトップに似た麻の服のすそを仰ぎながら、人の手の5倍はあるような大きな葉を団扇代わりにあおいでいました。
 森の国が常夏であることは十分に知っていましたが、それでもここのところの暑さは少し異常です。ムーアがいる木陰ですら、むっとした空気が肺に詰まります。ムーアの隣では、暑さにバテた雷牙が横たわっていました。だらしなく舌を出して、浅い呼吸を繰り返しています。四肢はこれ以上なく伸びきって、全身から倦怠感がにじみ出ていました。
「大丈夫か、オイ」
 葉であおいでやると、雷牙が少しほっとした顔をしました。
「こりゃ、少しおかしーな。暑すぎだ」
 ムーアが何気なく森を見渡した時、視界に入ったものに釘付けになりました。
 ムーアの膝丈ほどの、雪だるまが、拾ったであろう棒きれを杖代わりによっかかるようにしてジャングルを歩いていました。一瞬幻覚でも見たのかと思ったムーアは目をこすりました。
 しかし、何度目をこすっても、瞬いても、雪だるまは消えません。
 歩いているその姿は、絵本で何度も読んだ姿そのものでした。
 雪だるまは、ジャングルの中をふらふらと歩いていきます。
「なんだありゃ」
 呟いて立ち上がるムーアの姿を、雷牙はぼんやりした視線で追いました。

 雪だるまの名は、スノウ・マンと言いました。氷河の国からの誇り高き使者です。森の王国が新しい王を迎えたと聞いた氷河の国の女王が、自分の代わりに祝辞を述べるよう遣わしたのです。スノウ・マンは大変に栄誉なことだと喜びました。灼熱の太陽なんのその。この身を作る雪の結晶の美しさにかけて、その使命を果たしましょうと勇んでやってきたのです。
 しかし。
 想像をはるかに超えた森の暑さに、スノウ・マンの体は溶けかかっていました。木炭で出来た眉がしょんぼりと落ち込んでいるのは、彼が弱気になっているからであり、また溶けかかっているせいでもありました。
 ふ、と足を止めたスノウ・マンはため息をつきました。拍子に、女王様からいただいた真っ赤なブリキバケツの帽子がずれて、慌ててそれを直します。自分は使者です。きちんとした格好で森の王にお会いせねば、女王様が笑われてしまう。
 けれど、自分を飲み込むような背の高い木々に囲まれて、スノウ・マンは不安になりました。
 本当に、この道であっているのだろうか。
 自分が溶けきる前に、せめて女王様の意思だけでも森の王にお伝えせねば。
 木炭の眉をきりりと吊り上げて、スノウ・マンは再び歩き出そうとしました。
 と、それまでじりじりと自分を溶かしていた太陽の光が途切れました。
 雲でも出来たのかと思い、見上げると、そこには大きな葉が自分を守るように掲げられていました。
「なにやってんだ、お前」
 いたく無礼な口を聞くのは、人間の子供です。カーキ色の裾が広がったズボンに、木のつるを編んだサンダル。白い上着を着るその少年は、ムーアでした。
「なんだとは、なんだ!無礼な!私は…」
 スノウ・マンが自己紹介をしようとした時、ムーアについてきた雷牙が、ぺろりとスノウ・マンを舐めました。
「うわあ!?」
「つめたーい!」
 嬉々とした雷牙が、スノウ・マンを掴みあげました。
「なにをする!私は、氷河の国の使者、うわあああ!?」
 雷牙の真っ赤に開いた口の中を見ながら、スノウ・マンは思い出しました。
 自分を送り出す時、女王様は言ったのです。

『森には野蛮な獣がいるから、十分に気をつけるんだよ』、と。



 ケルト王子の王位継承から一息ついた王城は、いつもの平穏さを取り戻していました。門番のヒョウも、すっかり怪我がよくなって職務に戻っています。違いといえば、やはり暑さにやられた動物達が、王城の日陰で涼んでいる姿が多く見られるようになったことでしょうか。
「て、ことだったんだけどさ。一応ここに連れて来たぜ?」
 氷河の国の名を聞いたムーアは、とっさにスノウ・マンを雷牙の口から拾い上げていました。王国に対する客人だと思ったのです。雷牙はひどく不満そうに、スノウ・マンを見ていました。
 ムーアの報告を聞いたケルト王子は、王座に座ったまま頷きました。
「お前にしては、上出来だ」
 めずらしく額に汗が滲んでいるのは、やはり暑さのせいでしょう。
 これが森の王か、とスノウ・マンは驚きました。まだ随分子供です。凛とした雰囲気と圧倒的な存在感がどことなく女王様に似ている。やはり、一国の王というのは、どこか似るものなのかもしれません。
「お初お目にかかります。スノウ・マンと申します」
 スノウ・マンが意気込んでケルト王子に挨拶した瞬間、彼の右眉である木炭がぼたりと落ちました。
「あ」
 やってしまった。
 冷や汗がスノウ・マンの体から溢れます。傍目には、スノウ・マンが急速に溶けているように見えました。
 それを見たケルト王子が、眉を顰めて席を立ちました。
「ファルコ、客人を案内しろ」
「はっ」
 ファルコが翼を折りたたんでケルト王子に敬礼しました。改めてスノウ・マンに歩み寄ってきます。
 自分の失礼のせいで機嫌を損ねてしまったのかと、スノウ・マンは青くなりました。顔色を察したケルト王子が微笑みます。
「ここでは暑かろう。我が森にも、氷室がある。そちらで涼んで話そう」
 なんて素敵な王様だ!
 スノウ・マンはいたく感激しました。感動に打ち震えるその体からは、やはり水滴が飛び散りました。



 ティノスが棲む水の神殿は、鍾乳洞になっています。ひんやりとした空気に涼みに、森の住人達が所狭しと集まっていました。
「森も、猛暑でな。皆バテている。暑い中、ご苦労だった」
 スノウ・マンの苦労をねぎらいながら、ケルト王子は鍾乳洞でへばった動物達を器用に避けて歩きました。
「ティノス、いるか」
 ケルト王子の声に応えるかのように鍾乳洞を流れていた清流が泡立ち、やがて湧き上がった水が娘の形を作りました。さざめく清流をたゆらせたティノスの体に、スノウ・マンは驚きました。
「お久しぶりです。王子…いえ、ケルト王」
「王子でいい。暫定でなったに過ぎぬしな。それより客人だ。氷室を開けてくれ」
「御意に」
 ティノスの体が二つに割れ、そこに氷室への通路が現れました。氷室はティノスの体の奥深く、鍾乳洞のさらに地下にあるのです。
「お客様の体も直しましょうか?」
 ティノスの囁くような提案に、ケルト王子は同意しました。
「ああ、頼む」
 ふう、とティノスが息を吹きかけると、瞬く間に溶けかけていたスノウ・マンの体が新雪のようにぴかぴかになりました。
 スノウ・マンとケルト王子に続いて、氷室に入ろうとする雷牙の髪をムーアが掴みました。
「痛!」
「馬鹿、オレらはここまでだろ」
「構わん、入れ」
 ファルコの声に、ムーアは怪訝な顔をしました。一番に止めると思ったファルコが、らしくないことを言っています。
 その表情が深刻そうなことに、ムーアは気がつきました。
Copyright (c) 2005 mao hirose All rights reserved.