獣−ビースト!−
【6】
ムーアは、お気に入りの木の根元にぼうっと座り込んでいました。
太陽が燦々と輝いて、心地良い熱を持った風が頬を撫でます。
ケルト王子が良くなった、それは大変に良いことです。けれど、ムーアは首の軽さが気になっていました。
あのペンダント、結構重かったんだな。
そう思うたびにため息が漏れます。
月の光を望む女王に、月光石のペンダントを渡す。その判断自体は間違っていないという自信がありました。考えている時間も、悩んでいる時間もなかったのです。しかし。
またムーアはため息をつきました。
このままでは幸せが逃げ切ってしまう気がします。
ぐるぐると考えていてもどうしようもないのだと思っても、暇すぎて考えてしまうのです。
そう思うと、三度ため息が漏れます。
「…なんだ、あれは」
ムーアの様子を王の間から見ていたファルコが言いました。ケルト王子が読んでいた本を閉じます。
「氷河の国から戻ってきてから様子がおかしいな」
「雪娘に恋でもしましたかね」
「あれにそんな甲斐性はあるまいよ。雷牙」
ケルト王子に呼ばれた雷牙は、ぶんぶんと首を振りました。
「雷牙、知らないよ。ムーアが言うなっていったもん」
「そうか」
ケルト王子が言いました。
「私に言うなと言ったなら、ファルコに話す分には問題がないな?」
雷牙はうーんと考えました。
女王様にペンダントを渡す時、ムーアはあいつには言うなと言ったのです。あいつって、と聞き返したらケルトだよ、とムーアは言いました。
「うん!大丈夫!」
ほがらかに笑う雷牙に、ファルコは眩暈を覚えました。そんな機会が来ることは絶対にないけれど、もしもあったらという前提で、雷牙に秘密は漏らすまいと誓います。
「とのことだ。ファルコ、聞いておけ」
ケルト王子は涼しい顔でファルコに命じました。
「はっ」
当然、ファルコは聞いた話をケルト王子に伝えました。
話を聞いた王子はひどく憮然として、しばらく留守にするからと雷牙を連れて王城から出て行ってしまいました。
朝が来て、昼が来て、夜が来て、それを何回繰り返してもムーアのため息は止まりませんでした。食べてはため息、寝てはため息、起きてはため息です。そしてやることがなくなっては、お気に入りの木の根元でぼうっと過ごしていることが多くなりました。
「いや、やっぱよくねーな」
うじうじとした自分はらしくありません。
「よし、ふんぎった!オレはふっきったぞ!」
自分に言い聞かせるように叫んで、ムーアは立ち上がりました。
その瞬間、ムーアの目の前に手が突き出されました。
見れば、ケルト王子が木の幹の向こうでムーアに背を向けたまま、手だけ突き出しているのです。
手には、ムーアが氷河の国に置いてきた月光石のペンダントが握られています。
「げっこー…」
ムーアが呆然と呟きました。
自分は暑さにやられてしまったのかと、我が目を疑います。
「お前に貸しなどご免だ。さっさと受け取るがいい」
ケルト王子は努めて憮然と言い放ちました。
「んだと!?」
自分に吼えるムーアに構わず、ケルト王子はムーアの胸にペンダントを押し付けます。ムーアは思わずそれを受け取りました。
「これでお互い様だ。礼は言わぬぞ」
ケルト王子はムーアを真っ直ぐに見てそう言うと、くるりと背を向けました。
ムーアは手の中にある月光石がまだ信じられませんでした。なんとなく、あの女王が無条件で返すわけがないと思ったのです。
「おい、待てよ。これどうやって…」
「はいはい、雷牙知ってるー!」
ムーアが涼んでいた木の上から、雷牙が逆さづりになって現れました。足を枝にひっかけて、ぶらぶらと揺れています。
「馬鹿、雷牙…!」
ケルト王子は口止めをし忘れたことを後悔しましたが、あとの祭りです。
「頬ずり1000回!」
「は?」
高らかに告げた雷牙に、ムーアが目を丸くしました。
「頬ずり、って、お前…」
ぽかんとしたままムーアがケルト王子を見ると、王子は居心地悪そうに視線をそらしました。
「お前が!?」
腹を抱えて笑い出すムーアにケルト王子が激昂します。
「な!?笑うな、無礼者!」
「だって、おま、どんな顔して…!」
真っ赤になって怒るケルト王子の言葉も届かないほど、ムーアは笑い転げました。
胸では、月光石のペンダントがいつものようにやわらかな光を放っていました。
【氷河の国の溶けない友情・完 2005.8.12〜8.13】
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