DTH
それから、どうしてそうなったのか覚えていないけど、オレはそこに居つくことになった。
黒髪は自分がニホンジンだと告げた。
霧生英雄と書いて「キリュウ・エイオ」と読むのだと言う。
母国語さえ満足に書けないオレには全く未知の文字だ。文字なのか、これ?線ばかりでよくわからない。一番初めの文字なんかぐしゃぐしゃに塗ったほうが早い気がする。
まあ、いいや。
それでオレが自己紹介をすると―――と言っても通り名しか持っていないから大した名でもないのだけれど―――英雄は大層嬉しそうな顔をした。
「クレバスか。良い名だね」
何がいいのかさっぱりわからない。
それでも英雄は嬉しそうだった。
東洋人は若く見えると聞いたけれど本当に若く見える。10代かと思ったらもう20代後半だと言っていた。
そして自分は探偵だと。
あの廃ビルの事件は、FBIに協力して潜入捜査をしていたら正体がばれたために起きたと英雄は告げた。
「止むを得なかった」
眉を寄せて、ぎゅっと唇を噛むその姿は本当に後悔しているように見えた。
で、同居生活が始まった。
いつか君は学校に行かなきゃね、と言いながら英雄はオレにアルファベットや基本的な算数を教えてくれた。クレヨンに画用紙、子供用の服をたんまりと買って帰ってくる。
そして、いくらオレでもいい加減気づいた。
この家はおかしい。
誰も訪ねてこなければ、電話も鳴らない。
本当に家の中にあるのは最低必要限のものばかりで家族もいない。
おかしい、と思うたびに英雄が金髪を撃った瞬間の目を思い出す。
冷たく凍てついた瞳。今と同一人物だとは思えない。
なにかを隠してる。
オレがガキだからみくびっているのか、それともオレに知られたくないのか。
オレにはわからない。
わからないまま月日だけが過ぎていく。
その人に会ったのは夏の入り口、初夏だった。
学校に通い始めたオレの通学路。公園でいつも鳩にエサをやっていた。初めて見た時、英雄に似てるなと思ったんだ。もちろん肌が褐色なのは似ていないけど、なんだろう、目が。優しそうに鳩を見る目がなんだか英雄に似ていて、だから、声をかけた。
その人はアレクと名乗った。
英雄と似たような年頃、背が高くて、髪は漆黒。後ろだけ少し長くしているのが特徴だ。
「オレも鳩にエサやっていいかな?」
そういうとアレクは微笑んでパンくずを分けてくれた。
アレクと一緒に鳩にエサをやるのがオレの日課になった。
「クレバス、今日も早いんだね」
英雄が笑いながら目玉焼きを焼いてくれた。
こいつの作る目玉焼きはサニーサイドでも両面焼きでもなく「ムシヤキ」というヤツらしい。
日本かぶれの義父の影響だと言っていたが、あやしいものだ。
「うん、アレクとの約束に遅れるから」
「アレク?」
「言わなかったっけ?毎朝公園のハトにエサやってんだ。一緒に」
瞬間英雄の顔がこわばった気がした。
「英雄?」
「いや、楽しんでおいで。クレバス」
その時オレはもっと深く考えるべきだったのだと思う。
悲しいかな、ふかふかのベッドがオレの思考力を奪っていたのだ。飼いならされて、本能が磨り減っていた。
きっとそういうことなんだと後のオレは思うことにした。
「…って英雄がヘンだったんだよ」
朝日が差して温まり始めた公園でハトにエサをやりながらオレは言った。
ちょっと愚痴に近かったかもしれない。
「そうデスカ」
アレクが片言の英語で返した。
郷里はアフリカの方とかで、今こちらには留学生として出向いているらしい。
「…エイオが…」
ぼそっと言ったアレクの囁き。まるで英雄を知っているようだった。
「なに?アレク、英雄知ってるのか?」
朝日を背にオレのほうを向いたアレクの表情は逆光で見えない。
かすかに笑っているような、そんな気がした。
第1話 END
Copyright 2005 mao hirose All rights reserved.