DTH

 おばさんの家は英雄の事務所から車で20分程度の住宅街の中にあった。
よくある平屋建てに広めの庭。意外に手入れの行き届いた花壇にいろんな花が咲いていた。そこここに白い人体の彫刻があるのはなんでだろう。
「このあたりにいるとすると…」
 英雄が独りごちながら通りを見渡した。とたんにがばりと伏せて這いずった。
「な、なにやってんだよ!?」
「ジュリエッタの視線にあわせているのさ。僕とは高さが違いすぎる。見えるものも見えないと困るから…ああ、塀の下から全部繋がってるね。そこにも出入りできそうな空間が…」
 そのままずりずり這って移動しようとする英雄の上着を引っ張った。
「バカそのまんま移動すんなよ、恥ずかしい!」
 英雄は心外だという表情でオレを見たが、ご近所の視線に気づいたようだった。しぶしぶと立ちあがる。ぱたぱたと埃を落して咳払いをした。
「探せと言ったのは君なのに。注文が多いよ」
 英雄は憮然とした顔でそう言った。

 英雄が見たとおり、このあたりは芝生でそれぞれの家の庭がつながっている。下水は歩道のすぐ下に吸い込まれるようになっていて入ったら出て来れそうにない。
「う〜ん…」
 英雄が考えながらふらふらと歩いていく。オレはその後をついて行った。
 と、もう使っていなさそうな小屋がある家があった。小さな物置小屋だけどあちこち穴があいていて、動物でも自由に行き来できそうだ。
 オレと英雄は同じことを考えたらしい。
 庭でサングラスをしてねそべっているそこの住人らしき親父に声をかけた。
「すみません、僕ら猫を探しているんですが小屋を見せていただいてかまいませんか」
 グラサンはシャカシャカと音の漏れるヘッドホンをしたまま頷いて小屋を顎でさした。
 好きにしろ、ということらしい。
「ありがとう」
 英雄とお礼を言って小屋に向かう。
 おんぼろな小屋はすでに小屋であることを放棄したかのようだった。雨が降れば物は濡れ、風が吹けば飛んでいくような風情だ。
 英雄と一緒にそうっと小屋を覗き込む。生き物がいる気配はない。
「なんだいない…」
 言いかけるとがたんと音がして何匹かのネズミが走っていった。
「うひ!」
 びっくりしてのけぞったオレを英雄が抱きとめる。
「大丈夫?」
 英雄の声にこくこくと頷く。ばくばくと心臓が鳴る。不意打ちすぎてびっくりした。
 小屋を壊さないよう細心の注意を払いながら中のものを動かして猫を探した。どこかに出入り口があるかもしれないと期待したのだが、秘密の出入り口などなくともここは出入り自由だ。
 収穫なしのままその家を後にしようとするとグラサンが声をかけてきた。
「探してる猫ってのはあのババアのうちのか?」
 今度はおばさんの家を顎でさす。
 英雄が頷くと、グラサンはこれ以上出来ないというくらいに八の字に眉を寄せた。
「ありゃあだめだ。太りすぎてここまでこれねぇ。むしろババアの家を探せ」
「ジュリエッタをご存知で?」
「デブ猫だろ。悲劇だなありゃ」
 グラサンはすんと鼻を鳴らして横にあったビールを飲んだ。グラサンが飲むのにあわせてたぷたぷと腹が揺れる。
「ネコ、好きなんだ?」
 オレがなんの気なしに聞くとグラサンは笑った。
「もちろん。愛さないやつなんかいないさ。見つけてやれよジュリエッタ」
 グラサンが掲げたビール瓶に手を振って、オレ達はおばさんの家へと向かった。


 おばさんの家の玄関で英雄が立ち止まった。思いつめたような顔をしている。
「クレバス、僕は気づいたことがあるんだけど」
「なんだ?」
 英雄は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「…苦手みたいなんだ、あの人。そうでなければ真っ先にここに来てた」
 深刻そうに言う英雄にオレは噴き出してしまった。腹を抱えて大笑いした。
「そんなに笑うことはないだろう!真剣だよ僕は!」
「だって、お前そんなの…」
 ひーひーと息苦しそうに笑うオレに、英雄はだいぶ気分を害したようだった。
「仕事で個人感情を混ぜちゃいけないんだよ。命に関わる」
「関わらないだろ、今回は」
 オレは笑いながらドアベルを押した。
 返事より早く香水の匂いが襲ってくる。オレ達は鼻をつまんだまま顔を見合わせた。

「宅のジュリエッタちゃんは見つかりまして?可哀相にきっとやつれていたことでしょう!たっっくさんご飯を用意して待ってましたのよ」
 ずかずかと迫るおばさんをお手上げのポーズで出迎えながら、英雄はどうにかこうにか探し当てた営業スマイルを顔に貼り付けていた。おばさんはカールのセット途中だったらしい。頭になにか巻きついていてちょっとした怪獣のようだった。
「その件ですが、マダム。もしよろしければお宅の中を調査させていただきたい」
「宅の中ならすみからすみまで探したわよ、失礼ね!」
 英雄の鼻先で乱暴な音を立ててドアが閉められた。
 香水の匂いがあたりにつ〜んと残っている。
 英雄は呆然と立ち尽くしていた。
 その時「ぶにゃー」とつぶれた鳴き声がした。疑う余地はないだろう、ジュリエッタだ。このあたりにいるらしい。
 オレと英雄はおばさんの家のまわりを探すことにした。

 おばさんの家の庭にはたくさんの花が咲いていた。茂みが多いってことは、死角が多いってことだと英雄が言った。ひとつひとつ、そっと花や茎をわけて確認していく。
 謎の白い人体の彫刻(ダビデ像などのレプリカだと英雄は言った)の土台からも花が多い茂っている。あちこち中腰になって探すのはさすがに骨が折れた。
 本当にこのあたりにいるんだろうか?
 汗を手でぬぐいながら英雄を見ると、真剣な顔で茂みを分けていた。集中しきっていて声をかけるのもためらわれる。
 仕事の時にはあんな顔をするんだ。オレはなんだか嬉しくなった。
 と、英雄の動きが止まる。なにか見つけたらしい。オレを手招きで呼ぶ。
「なんだよ」
「しっ。静かに」
 英雄が口の前に人差し指をあてた。
「見てごらん」
 うながされて見た茂みは白い人体彫刻の土台につながっていた。あれは中が空洞になっていたらしい。半分壊れた土台にシャツやなんやらが適当につみ重なっている、その奥には…
「仔猫!」
 思わず叫んでしまって英雄に口を押さえられる。
 仔猫たちはまだ目が開いていないのもいるようで頼りなく小さな声でいた。
「かわいい…」
 息を呑むようにオレが呟くと英雄が嬉しそうに微笑んだ。
 みいみいと鳴く仔猫を見ていたオレは風もないのにそばの花が揺れたのに気づかなかった。
 一瞬早く気づいた英雄がオレの前に身をすべりこませる。
 驚いたオレの視界に捜し求めたジュリエッタがするどい爪で襲い掛かってきていた。


 おばさんの家のドアベルを鳴らす。
 英雄の腕にはジュリエッタの引っかき傷と噛み跡が痛々しく残っていた。噛まれたとき、英雄は抵抗することなくオレを後ろにかばったまま後退した。
「子供が見つかったから怒ってるんだ。仕方ないよ」
 ジュリエッタが怒りをむき出しにして英雄の腕に歯を立てているのを仕方なさそうにながめていた。
「驚かせてごめんね」
と猫に謝る。あくまで穏やかな声だ。
「い、痛くないのかよ」
「なに言ってるんだ、痛いよ」
 英雄の額にうっすらと汗がにじんでいた。オレはなんだかすごく悪いことをしたと思った。

 間もなくおばさんの足音に先立って香水の匂いがやってきた。
「宅のジュリエッタちゃんは…!」
「お静かに」
 英雄がおばさんのマシンガントークをせきとめた。少しは耐性が出来たようだ。
「見つけましたよ、あちらです」
 わざと内緒話をするようにひそひそ声で話す英雄におばさんは呑まれたようだった。
 大人しく(!)なったおばさんを英雄があの茂みへと案内した。
 おばさんの歓喜の悲鳴にジュリエッタはしぶしぶといった様子で抱き上げられていた。
 横で英雄がほっと息をついている。今夜のディナーはこいつの好きなものにしようと決めた。
 

 おばさんからのお礼はクッキーと薄謝。やっぱりというかなんだか香料のばっちり効いたクッキーで二人で食べるには少々酷だった。英雄はこういうときに使わねばと、めったにかけない電話でハンズスとマージを呼び出した。英雄から呼ばれることがほとんどないらしい二人はとても喜んでやってきたが、クッキーの味には閉口したようだった。
「こんなの毎日食わされているのなら弁護士を紹介するよ」とハンズスは言い、マージは「クレバス君、料理に興味があるのなら私が教えるわよ」と息巻いた。
 マージの提案には興味があった。以前マージが来たとき、目の前で作られる料理は魔法のようで美味しかった。あれから、見よう見まねで料理の本とにらめっこしつつ料理を作っていたから、これはありがたい提案だ。オレはぜひにと頷いた。
 その日のごはんは格別においしかったように思う。


 夜中にふいに目が覚めた。
 ついでにトイレに行こうとして、真っ暗な居間に誰かの気配を感じた。
「英雄…?」
 英雄がソファに座っていた。おばさんの謝礼とクッキーの入っていたかごを目の前に置いている。
「一日走り回って、猫にひっかかれて、挙句にこの報酬だよクレバス。安くて明日の食費にもならない。クッキーなんてひどい味で食えたもんじゃなかった」
 英雄が自嘲気味に笑った。
「でも、クッキーの事情を話したら誰も捨てようとは言わなかったね」
「…うん」
 オレは頷いた。
 英雄がゆっくりとうつむいた。
「なにかを決めるには勇気が要る。闘うには決断が必要だ。…猫だってそれを知っている」
 英雄が手に生々しく残っていたジュリエッタの傷を撫でた。
「クレバス」
「ん?」
「組織と闘うのならまともな生活は出来ない。きっと君にも危険が及ぶ。それでも…」
 英雄が立ち上がった。
「闘おうと思う。そばにいて欲しい」
 まだ迷いの余韻を残しながら英雄が言った。
 泣きそうな表情をしていたけれどそれはオレが見た英雄の顔の中で一番かっこよかった。

 
 翌日、オレは英雄の探偵事務所の前に立っていた。
 家から2ブロック先、オフィス街のビルの3階のちんまりとした部屋に看板がかかっている。

<霧生英雄探偵事務所 営業中>

 ダンボールで作ったクレヨンの看板がドアノブでひらひらと風に舞っていた。


第3話 END
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