DTH

第4話 「ショッピングモール」

 英雄は自分の過去をめったに話さない。
 聞いてもいけない。
 それはオレがこの家に来てからの絶対のルールのようなものだった。
 オレが知っている英雄のことといえば、表と裏の顔があること。相互に騙していること。
 真実は英雄の中にしかないということくらいだ。
 騙していくのが英雄の仕事のようなものだった。
 それぞれのどこにも真実を置かずに英雄は生きてきた。その生き方を止めると決断したのがついこの間。オレは英雄について行こうと決めたのだ。
 オレが騙されている可能性もあるけれど、少なくとも、英雄がオレにかける言葉にはいくばくかの真実があるように思えた。

 そばにいて欲しい――――

 気づけば路地裏で暮らしていたオレに、そんな言葉がかけられる日が来るなんて思わなかった。だから、今オレはものすごく嬉しい。
 ずっとここにいていいんだと言われた気がして、ものすごく嬉しい。
 ベッドにもぐってふとんをかぶってもドキドキしたままで、結局朝までぐるぐるしてた。
 

「クレバス、朝だよ」
 いつもはオレが声をかけなければ起きない英雄に起こされてしまった。
 不覚。朝になってから寝ちまったらしい。
 眠い目をこすりながらキッチンに向かうと、サラダとフレンチトースト、オレンジジュースが待っていた。
 まだ夢でも見ているのかとごしごしと目をこすりながら英雄を見る。
「マージに料理を習いたいって言ったんだって?日頃いかに僕がだらしないかを説教されたよ。ぜひこの朝食も報告して欲しいね」
 英雄は肩をすくめてそう言った。

「クレバス、これ」
 朝食が終わると、英雄がパーカーを差し出した。薄水色の落ち着いた色調で、子供向けにしてはデザインがシンプルだ。そっけないくらいに。
「出かけるときはこれを着て。防弾仕様になってるから」
 オレは危うくオレンジジュースを吹き出すところだった。
 英雄は生真面目な顔で説明を続ける。
「それから、このヒモの先のボタンは絶対なくさないで。右にGPS機能がついているから君がどこにいるのかわかる。左は緊急時のコールボタン。やばいと思ったら押してくれ。ヒモの内部にケーブルが仕込んであるから、遊びで切らないように。ちなみに切断された場合には非常用のバッテリーに切り替わるけど、あまり長時間はもたない。過信しないように」
 フォークを加えたまま唖然としているオレに構わず英雄は話し続けた。
「防弾仕様と言っても38口径9ミリ弾までだ。防刃も脇が甘い。これだけ薄いから仕方がないが、近距離で銃を向けられたら距離を稼ぐことを第一に考えて。ああ、そうは言っても遠距離ライフルへの耐性は無いから…」
「ち、ちょっと待ってくれよ」
「なにか質問が?」
 英雄が至極当然と言った風情で顔を上げる。
「…大袈裟すぎねーか?」
 今度は英雄が唖然とする番だった。
「…君は死にたいのか?僕といるっていうのは危険が増すってことだが」
「それにしたって、さ」
 オレが言いよどんだとき、英雄の顔にこれ以上ないってくらい悲壮感が漂った。
「それとも、僕とはいられない、とか」
 ぐ。食べかけのマッシュポテトが喉に詰まった。
 英雄がしょんぼりとうなだれて食卓に気まずい沈黙が流れる。
 あああもう。
「わかったよわかった!オレも子供じゃねーし、服くらいでがたがた言わねぇよ。着ればいいんだろ、着れば!」
「そうかい?良かった!」
 オレがキレると同時に英雄がぱっと笑顔になる。こいつわかってやってるな。
 むくれながらパーカーに袖を通す。ずしりと重い。
「…これ重くねーか?」
「子供用だよ。1.5キロ」
 十分だ。
 まだ機嫌がよくならないオレを英雄は困ったように見つめた。
「心配をね」
 なだめるように、穏やかに言葉をつむぐ。
「しているんだよ。クレバス」
 オレは言葉に詰まる。
 英雄はオレの顔をじっと見た。
「う……」
 今日はどうやらオレの負けのようだった。 

 
 小麦粉に卵、牛乳に砂糖。ベーキングパウダーを加えて丸型でくり抜いて揚げると、ドーナッツの出来上がりだ。
「うまいじゃないクレバス君」
 横でマージが嬉しそうな声を上げた。
 マージは英雄の義理の妹だ。組織にいた英雄をマージのお父さんが助けたらしい。
 マージはお菓子のようなふんわりした匂いがする。お姉さんがいたらこんなカンジかな、とオレは思う。
 肩でくるんとウェーブを描いた髪をかき上げてマージが笑った。優しい笑顔ってこういうのを言うのだ。
「はい、これ。英雄と食べてね」
 料理教室の終わりにマージは必ず英雄にお土産をくれる。
 オレが料理できないころはシチューとか温めるだけで食べられる物、最近ではよく漬けてある鶏肉とか。オレに料理しろということらしい。
 マージの家を出て、しばらく歩く。
 英雄の家から15分。なにかあったら駆けつけることの出来る距離だ。
 そんな距離に暮らす位なら一緒に住めばいいのにとマージに言ったら、悲しそうな顔をされた。英雄に言ったら「そうだね」と言ったきり黙ったままだった。
 オレにはわからない、大人の事情と言うヤツらしい。
 複雑なんだなと思った。
 英雄の周りの人々。英雄に、マージ、ハンズス、アレク。オレが会ったのはそれくらいだ。


「他に誰がいるかって?」
 英雄はこの上なく間抜けな顔をした。
 そんなこと聞かれるなんて予想もしていなかったみたいだ。
「そりゃ僕に関わってる人はたくさんいるけど…そうだなあ、会わせたくない人ならいるな」
 英雄は顎に手をやって考えながら言った。
「会わせたくない?」
「うん…」
 英雄は話したくなさそうだった。
「組織の方に、ダルジュってのがいる。悪魔の化身みたいなものだと言われているよ。真偽はともかく、…会ってほしくはないな」
 なぜ、と聞くのはためらわれた。英雄はそれだけ真剣な顔で言っていた。

 
 
 その日はとてもうららかな日曜だった。
 英雄とモールに買い物に行く。ちょっと遠出だ。もちろん着ているのはあのパーカー。くそ重い。目指すは巨大なショッピングモール。スポーツ用品からカー用品、ベビーベッドに食品に本。3階建ての建物に、必要なものは全部詰め込みましたってカンジだ。真ん中は吹き抜けでバルーンが飾ってある。吹き抜けの1階には噴水。
 まるでどこかのテーマパークのようだった。
 3階のブックフロアに立ち寄った。
 英雄はなんだか欲しい本があるみたいだった。オレも新しいコミックがないかと英雄から離れてフロアをうろついた。
 突然、轟音がした。
 と同時に衝撃があって、オレは吹き飛ばされた。

 目が覚めたときに見たのは。
 もうもうと立ち込める黒煙と、子供の泣き声、人の叫び声、そして。
 崩れたブックフロアだった。

「英雄!」
 オレは叫んだつもりだった。
 いつの間に喉が渇いていたのか、ひきつって声が出せない。
 ごほごほとむせて、また名を呼んだ。
 あちこちで家族を呼び合う声があする。オレは体を起こした。自分の体なのに、なんてぎこちない。あちこちに砂と埃がついている。すすまみれだ。
 立ち上がって、そばに子供が寝ているのに気がついた。
「おい、大丈夫か?」
 声をかけてそばによる。その子は、もう動かなかった。
 ぞっと全身を恐怖がめぐる。
「英雄!」
 気づけば叫んでいた。
 離れたとき、英雄はあの中にいた。もしかして…。
 思いっきり頭を振った。そんなわけない。
「クレバス」
 英雄の声が聞こえた。
 顔を上げてあたりを見る。崩れたブックフロアから何人か逃げているのが見える。けど、英雄の姿はない。
「そのまま、顔も動かさないで聞いて。店員の誘導にしたがって外に出て。ハンズスかマージに迎えに来てもらうんだ」
「…お前は?」
 英雄が唇を噛んだのが気配で伝わった。
「まずいことになった。僕のせいだ。だから…」
 英雄の声半ばで空気を裂く音がする。聞いたことがある。サイレンサーだ。
 英雄が移動したらしい。声が遠のく。
「いいな!逃げろ!」
 そのまま、英雄は気配ごと消えた。

「おい子供じゃないか。大丈夫か」
 様子を見に来たらしい店員がオレを見つけた。
 声をかけながらオレに駆け寄る。
「さあ、もう大丈夫だ」
 そういって、オレの手をとった。
 店員に連れられながらぼんやりと階段を下りる。
「一体なにがあったの?」
 老婆が歩きながら店員に事情を尋ねていた。
「原因不明なんです。テロの可能性も。とにかくここは危険だ。さあ降りて」
 オレは黒煙にまみれたフロアを振り返った。
 そうだ、危険だ。
 危険なんだ。だから、なのに。
 英雄はあの中に飛び込んで行った。自分のせいだと呟いて。
 オレは店員の手を強く握っていたらしい。
「怖かったな。大丈夫だよ」
 店員が頭を撫でた。
 その時にとうとうオレはわかってしまった。
 この手じゃない。
 オレが触るのはこの手じゃない。
 するり、と店員の手から手を離す。店員が不思議そうにオレを見た。
 そのまま2、3歩後ずさるとオレがなにをしようとしているのかわかったようだ。
 捕まる前に背を向けて走り出す。
「おい!危ないぞ!」
 店員の声が背中を追ったが、オレは振り返らなかった。
Copyright 2006 mao hirose All rights reserved.