DTH
「最悪だ」
ダルジュに受けた手刀の場所に湿布を貼ると、英雄が顔をしかめた。
「痛いのか」
「キミの存在が知れた。しかもダルジュに。…最悪だ」
オレを無視したまま英雄は呟いた。
へそを曲げたオレは、そのまま湿布の上を思いっきり叩いてやった。
「…っ!!」
英雄が声も出さずにもんどりうつ。
「終わったぞ、湿布はり!済んだこと言ったってしょーがねーだろ!」
ショッピングモールの駐車場で、ダルジュは嬉しそうに俺を見た。
凶悪な笑み。
背筋を冷たい手で撫でられたような戦慄が駆け抜けた。
でも、それだけ。
ダルジュはなにをするわけでもなく、凍りついたオレに背を向けて去っていった。
今日は挨拶だけだと、そう言い残して。
だのに英雄は帰ってくるなり最悪だの連呼。オレはうんざりした。
「これ以上愚痴を言うなら説明する!できなきゃ黙れ!」
英雄の鼻先に指を突きつけて叫ぶと、英雄はこれ以上ないくらい眉を八の字にして困った顔をしてみせた。
しゅんと黙りこくった英雄に背を向けてキッチンに立つ。
ホットミルクでも作ってやろうかと思ったんだ。
手鍋にミルクと砂糖を入れてからゆっくりかき混ぜたとき、英雄がぽつりと呟いた。
「ダルジュはね」
話すことにしたようだ。
「恩人、なんだ」
苦しそうに告げる英雄の声に、あまったるいホットミルクの香りがにじんだ。
第5話 「残酷な恩人。」
英雄は昔、暗殺のエキスパートとしてとある組織にいた。
全米にネットワークがあり、殺人をも請け負う組織だったそうだ。
英雄は物心ついたときからそこにいた。
そういうケースは稀で、たいていは10歳前後の子供を攫ってきて暗殺者に育てるらしい。
ダルジュもその中の一人だった。
「攫われた子供は、まずマインドコントロールを受ける。両親の記憶、これまでの記憶、全て消されるんだ。組織哲学を一から刷り込まれてあとはひたすら訓練。そしてまた訓練。ついて行けない者は処分される」
英雄はそう言った。
「ダルジュと会ったのは丁度君くらいの年だった」
オレをじっと見たまま、英雄は話し続けた。
その頃ダルジュは泣いてばかりだったそうだ。とても信じられないが、人など殺せないと泣いていたという。
処分も間近だった。
「僕はダルジュの手にナイフを握らせて、その上から僕が手を掴んだまま、人を殺した」
ナイフはこうやって使うんだ―――とダルジュの耳元で囁きながら、彼を足蹴にしていた教官の首を真一文字に切り裂いた。
ダルジュは返り血を浴びて呆然としていた。
それから、彼は変わったのだという。
ためらいなく人を殺し、残酷なまでに追い込みをかけるようになった。
「それから…」
3年後。
暗殺計画がどこからか漏れ、対象にFBIが張り付いていた。
ターゲットは仕留めたが英雄は囲まれた。
子供だと知ったマージの父親が、英雄を保護しようと周囲の反対を押し切って説得を試みた。
「僕は近づいてくるマージのお父さんだけでも道連れにしようと考えていた」
そして組織の教えのままに死のうと。
トリガーに指を掛けた。
コンマ何秒の差だろう。
「一瞬弾丸が目の前を掠めた。気をとられて…気づけば、マージのお父さんに」
抱きしめられていたのだという。
「なぜだかわからない。まだ撃てたはずの銃を落としてしまった」
マージのお父さんはあたたかかったと英雄は言った。
そして抱きしめられて呆然としながらも、弾丸の軌道を目で追っていた。狙撃点を探して。
その先にいたダルジュ。
「彼が今、何を考えているかはわからない。でも僕は、彼を暗闇に置き去りにしたままだ。彼を助けようともしないまま何年も過ぎた。僕を日の当たる世界に帰してくれたのは彼なのに。多分…恨んでる、だろうね」
英雄はふっと笑った。
焦げかけたホットミルクを無理矢理カップに注いで渡す。甘い匂いが室内に満ちた。
「だから君には気をつけて欲しい」
ミルクを飲むには似合わないほど真剣な顔で、英雄は言った。
「で、ここにxを代入して、そう。OK、クレバス。君は飲み込みが早い。休憩にしようか」
ハンズスはそう言って立ち上がった。相変わらずのくせっ毛にメガネがインテリっぽい印象を与える。
オレはハンズスに勉強を教えてもらっている。文字は英雄が教えてくれたけど、算数や理科といった学校の勉強はハンズスに聞けと英雄が言ったのだ。
ハンズスはオレをとても歓迎してくれて、毎日時間の許す限りつきあってくれた。仕事で忙しいはずなのに、オレのために時間をやりくりをしてくれているのだ。
「なにがいい?コーラ?」
「オレンジジュース!」
ハンズスの声に叫び返すと、ハンズスがジュースにポテトチップを持って現れた。
「無愛想な部屋ですまないね。ほら、一息入れよう」
ハンズスは英雄の家から歩いて10分ほどのマンションに住んでいた。白い壁にラッセンの青いポスターが貼ってある。
英雄、マージ、ハンズスで三角形が描けそうな住まいの位置関係は、そのまま人間関係に当てはまりそうだった。
「実家近いって聞いたよ?親と暮らさなくていいの?」
オレンジジュースを飲みながら聞くと、ハンズスは少し悲しそうに眉をひそめた。
「離れていないと、親離れの印象がつかないらしくてね」
ハンズスの親は近くで大きな病院をやっている。行く行くは一人息子のハンズスが後を継ぐのだと、誰もが信じたらしい。(現に彼は医師免許も持っている)けれど、ハンズスは医者にならなかった。
代わりに、刑事になった。
「英雄も、昔は刑事だったって?」
「そう!あいつったら、大学で急に言い出すんだ。刑事になるって。それで、僕も」
ハンズスは揚々と言った。
「昔、僕の家はマージの家の隣にあった。そこに英雄が来て、それからは3人ずっと一緒なんだよ。もう10年以上になる」
オレは、想像した。
昔の英雄。小さかったマージと、ハンズス。心から向かえた彼らに、英雄が向けた目。
優しくはなかったはずだ。
「そういう友達は出来た?」
不意の質問に想像が途切れた。
ハンズスがとても興味深そうな顔でオレを見てる。
「いや、まだ。…勉強は、なれたけど」
多少遊ぶヤツはいる、けど。1年後一緒にいるかどうかすら怪しい。
「いつかきっと見つかる。もう出逢ってるかもしれないぞ」
ハンズスがわしわしとオレの髪をかきまぜた。
英雄もきっとこのペースにやられたんだ。
甘っちょろい正義。でも優しくてあたたかい。
この人は、居心地がいい。
ハンズスは必ずオレを英雄の家まで送ってくれた。
暗くなくても、オレが断っても。
絶対に優しく笑ってついてきた。
その日も、そう。いつものように送ってくれていた。
土曜の昼。青い空に白い洗濯物が舞うような住宅街の昼下がり。
目の前に、ダルジュが現れた。
いつかのショッピングモールと同じ、真っ白なシャツ。ラフなジーンズ。
凍りついて歩みを止めたオレに、ハンズスがぶつかった。
オレの表情を見て、彼は眼前のダルジュを見た。
―――――ハンズスは、ダルジュを知らなかったみたいだ――――― その頃にはもう、ダルジュは銃口をハンズスに向けていて。
一発、撃った。
ハンズスは前に倒れる瞬間、オレに手を伸ばしてわざと巻き込んだ。ハンズスの体の下にオレを押し込む。
重いとか、怖いとか、そんなことより、どくどくと伝わる血の流れる感触がオレの頭を真っ白にした。
血が。
こんなに流れたら。
シンジャウ。
ざっと足音がした。
ダルジュが倒れ伏したハンズスの前に立つ。
「出て来い、小僧」
冷酷な声が聞こえた。
「大丈夫。動かないで」
ハンズスが言った。
ダルジュが無言でハンズスの足を撃った。
反動でびくりとハンズスの体が揺れた。
「次は腕だ」
チャキ、と銃を構える音がする。
「出て来い」
「だめ、だ」
ハンズスが上半身を起こした。銃をダルジュに向ける。
「この子は渡さない」
痛みのためにぶれるハンズスの銃口を見て、ダルジュは鼻で笑った。
「そんな体で俺が撃てると?」
ハンズスが唇を噛み締める。口の端から血がにじんだ。
消えそうになる意識を必死でつなぎ止めてる、そんなカンジだ。
ダルジュはその銃口に指をつっこんで言った。
「撃ってみろよ、おぼっちゃま」
言いながら、ハンズスの額に銃を突きつけた。
「……!」
オレは声が出なかった。強烈な悪意に体が押し潰されそうだ。
違う。アレクの時とはまるで違う、ダルジュから向けられる純粋な敵意。
体が凍り付いて動かない。
だめだと、大声で叫びたいのに。
からからと喉が渇く。
ダルジュの指先が引き金に触れた。
皮膚を裂くようないびつな笑みが、ダルジュの顔に刻まれる――――
だめだだめだだめだ!
体中を電流が走り抜けたような感覚。
気づけばオレはハンズスの下から抜け出して、立ち上がっていた。
「さすが」
ダルジュが口笛を吹いてオレに近づいたその瞬間、ハンズスが撃った。
銃弾はダルジュの髪を掠めた。
ダルジュの目の色が変わる。
ハンズスが再び狙いを定めるのと、ダルジュがすでに狙いをつけたハンズスに向けてトリガーを引こうとしたのはほぼ同時だった。
「そこまでだ、ダルジュ」
かちり。
英雄が、ダルジュの後ろをとっていた。
銃の狙いをその後頭部に定めている。銃口が頭に触れそうな至近距離だ。
「英雄…」
オレが呟くと、英雄は少し困ったような笑いをして見せた。
「遅いぞ、この馬鹿」
ハンズスは、そう言って笑うと倒れた。気を失ったみたいだ。
顔がどんどん血の気をなくしていく。
ダルジュは忌々しそうな視線で英雄の隙をうかがっていた。舌打ちせんばかりの表情だ。
「引けよ、マイホームパパ」
ダルジュが言った。
「でなきゃこいつを撃つぜ?」
ハンズスに定めたままの銃口。
英雄の眉がぴくりと動いた。
「このガキの前で!自分は殺人者だと証明して見せろよ!!」
オレと英雄の目線があった。
初めて会ったときに英雄は人を殺していた。
だから知ってる――けど。
オレと会ってからは、たぶん、一度も。
根拠は無い。でもあの晩、優柔不断な英雄が決めたあの夜から、この先一度だって殺しはしないとオレはどこかで思ってた。
それは、きっと、英雄も一緒だと。
英雄の瞳が迷いに揺れた。
ダルジュは、恩人なんだと英雄は言った。
英雄は、親友なんだとハンズスは言った。
どちらも―――――選べない。
英雄が動かないことを答えだと、ダルジュは受け取ったらしい。
にやりと、残酷な笑みが刻まれた。
「じゃあこいつは死ぬな!」
銃声が一発。住宅街に響いた。
反射的に目を閉じてしまったオレがおそるおそる目を開けると、目の前にダルジュが倒れていた。
「英雄!」
「殺しちゃいないよ。銃の台尻で頭を打った。しばらくは目を覚まさないはずだ」
ダルジュの銃口から煙が流れている。弾道はハンズスからそれたようだった。
レスキューに運ばれたハンズスにつきそってやってきた病院の待合室は怖いくらいに静かだった。
手術中の灯りが、血の色みたいに赤い。
「ここはね、ハンズスの実家なんだ」と英雄がぽつりと言った。
「今手術をしているのは、ハンズスのお父さんなんだよ…」
英雄が、奥歯を噛み締めた。
時計の秒針の音がやけに耳に残る。
「どうして、あそこにいるってわかったんだ」
オレが言うと英雄が笑った。
「君のパーカー」
ハンズスの血で濡れたオレのパーカーに手を伸ばす。
前にGPSがついてるって言ってた。非常時のコールも出来るって。
「オレは押してない」
「ハンズスが押してくれた。これを勧めてくれたのはハンズスだから」
オレを巻き込んで倒れた、あの時に。
「これ、ハンズスの血なんだ」
オレは言った。淡い色のパーカーにじっとりと染み付いたハンズスの血。
「こんなに――――守って、くれたんだ」
言いながらぼろぼろ涙が出てくる。
「うん」
英雄がオレの頭を撫でた。
「死んじゃったらどうしよう…どうしよう」
「大丈夫さ。彼は強い。そうだろう?」
英雄はそう言ってオレの頭を抱き寄せた。
その腕が、かすかに震えている。
「君もつかれたはずだ、クレバス。眠るといい」
頭を振る。
眠る気にはなれなかった。
冷たい病院の廊下で、冷えたソファで、ここだけがあたたかかった。
祈るという、その気持ちを初めて知った気がする。
英雄と、いつのまにかつないだ手。
静かに秒針の音を聴きながら、確かにオレ達は祈っていた。
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