DTH
「罠だとは考えなかったのかい?」
夜の街をハイスピードで転がすスポーツカーの中でセレンが言った。
夜まで待とうとセレンが言ったのだ。もしかしたらひょいと帰ってくるかもしれないと。
「実は夜のほうが動きやすくてね」とも言った。
「なに?風の音で聞こえないよ!」
叫び返すと、セレンがウィンドウを上げた。風が音を立てて締め出される。
車内にようやく静寂がやってきた。
「風を体感できないんじゃこれに乗ってる意味が無い」
セレンが憮然とした。
「一人のときにやってよ。で、なに?」
「罠だとは思わなかったのか?例えば私が君のパーカーの配線を切断していた。今、君を助けるふりをして、誘拐している、とか」
セレンの横顔をネオンが流れた。
「…本当にそうしている人はそう言わないと思う」
「OK。その言葉にひとかけらの真実くらいはあるだろう。でも裏の裏ってやつがある。常に疑うことだ。ついたぞ」
セレンが顎をしゃくった。
英雄の事務所だ。
灯りは、ついてない。鍵もかかってる。昼間と同じだ。
合鍵を取りして開けようとしたらセレンがオレの肩に手を置いた。
「待て。火薬の匂いだ」
「え?」
「どうにも間が悪いようだな。かちあったか」
セレンが舌打ちした。
すうっと暗闇に複数の影が浮かび上がる。。
「セレン」
「離れるな」
セレンが左手でオレを抱き寄せた。
右手を上げるとなにかが空を切る音がした。
きらりと空中で何かが煌く。
周りの影が一斉に倒れた。
セレンは小さく息を漏らすと、影の一人に近寄った。
その装備を見て、鼻で笑う。
「表の住人は時に我々より残酷だ。英雄を切る気か」
そのままソイツを蹴り上げると、セレンは呟いた。
「だから私は、なにも決めるなと言ったんだ」
事務所にめぼしい痕跡はなかった。
「立ち寄ってすらいなさそうだ。なんのためにここを借りてるんだ?」
セレンが資料を投げ出した。
「あいつら、起きない?」
廊下を気にしながらオレが聞くと、セレンは「二度とね」と答えた。
「殺したのか!?」
「あちらもそのつもりだったようだ。お互い様さ」
オレは黙って下を向いた。
言いたいことはたくさんある。ある、けど助けられたのも事実だ。
言葉を噛み殺す。
セレンはそんなオレを見て笑った。
「なんだ、礼儀くらいはわきまえているんだな。ここにはなにもないようだ。行こう」
セレンに促されて、車に戻る。
「君は英雄のことをどれくらい知っている?」
アクセルをこれ以上なく踏みつけながら、セレンが聞いた。
「料理がてんで駄目で、嘘つきだったことくらい。あと、殺し屋でスパイ?」
セレンはバックミラーを見ながらハンドルを切った。タイヤがアスファルトに擦られて悲鳴を上げる。
ぎりぎりと体に食い込むシートベルトがなければ、車から放り出されてふっとんでたと思う。
「じゃあ、英雄がなにかを決めたら、なにが起きると思う?例えば、もう誰の犬にもならないと決めたとしたら」
げほげほと咳き込んでいた顔を上げるとセレンはオレの返事を待たずに喋りだした。
「一度でも寝返ったスパイは信用しない。どの組織にもある鉄則だ。英雄は一度寝返っている。我々を裏切ってFBIに加担したときに、ね。さらに最後通牒を突きつけたとなれば四面楚歌だな。世界中誰もあいつの味方なんかしない」
世界がぐらりと揺れた気がする。
「…FBIは?」
「正義の組織?ハッ!さっきのがそうさ。事務所ごと生存痕跡すら残さない気だ。ああ、そういえば家にも来たな。退屈だったから相手をしたけどね」
「情報を…渡していたんじゃないのか?役に立っていたはずだ!」
「代わりに英雄を生かした。罪を不問にして、今の今まで」
オレは絶句した。
英雄に、決断を迫ったのはオレだ。
どっちつかずでふらふらと、そんな状態長続きしないって。
でも。
「英雄は、そんなこと、一言も…」
「言わなかったろうな。君は子供だ」
言葉を失ったオレにセレンは畳み掛けた。
「そしてアイツは嘘つきだ。君も知っての通り。あの子は料理が出来るよ。苦手なふりをして、君の居場所を作ったにすぎない。それでも君は、英雄が必要かい?」
セレンを見るオレの目が見開いた。
嘘だ、と言いたかった。
マージとハンズスも言ってた。英雄は昔から料理が苦手だって。ちょっと目を離すと手を抜くってマージが怒ってた。
昔から…嘘を、吐いてた。そうなのか?マージやハンズスにまで?
隙のある一般人を装って?
血の気が引いていく。
「ちょっと、待って…」
頭痛がしてきた。
なにが本当なんだろう。
英雄の真実。
本当のこと。
英雄の―――――
「あの子の人生そのものがフェイクだ」
セレンは断言した。
「今アイツが君を捨ててトンズラしたんじゃないとどうして言える?」
どれくらい走ったんだろう。
車が港の倉庫街に入った。
セレンが携帯で誰かと話して、英雄がそこにいるとわかったらしい。
「一人張り付かせておいた。正解だったな」
さっきまでの勢いが嘘みたいに、なめらかな動作で車は止まった。セレンが降りる。
「残るか、行くかは君の自由だ」
そういい捨てて自分はすたすたと歩いていく。
オレは車から飛び降りてセレンの後をついて行った。
「おや」
セレンがオレを見て片眉をあげる。
「なんだよ」
「てっきり見捨てたのかと」
そう言って、肩をすくめた。
「文句は直接言うことに決めてるんだ」
そりゃけっこう、セレンがくすくす笑った。と、銃声がする。
「英雄だ」
「わかるのか」
意外そうな表情でセレンが聞いた。
わかる。英雄だ。
真っ暗な倉庫街に銃声が響いている。
「英雄が、闘ってる―――」
銃声を頼りに倉庫に入ると、何人か入り口に転がっていた。倉庫の中はなんだか…なんと言えばいいんだろう、空気が殺伐としている。硝煙と血の匂い。砂埃が舞って、空気が落ち着かない。
戦場の空気だ。
セレンが鼻先で笑う。
「見ろよ。殺していない、あの子が」
言いながら、近場に転がっている人間を足で転がした。
確かに全員重傷を負ってはいるが生きているようだ。
「こういう場では必ず命は摘むべきだ。なぜだかわかるか?」
セレンが片目の碧眼でオレを見た。
「こういうヤツがいるからさ」
セレンが右手でオレの後ろを指し示す。同時にまたなにかが煌いた。
オレの後ろでナイフを振りかぶっていた男が倒れる。
「本来ならここの全て息の根を止めたいがな」
あの子の努力に免じようとセレンは言った。
「さっきの、なに?右手から光るやつ」
歩きながら聞くとセレンが右手を軽く上げた。
「これかい?」
月明かりを受けて何かが光った。光の粒子が紡ぐその形。細く、長い…
糸、だ。
「特性の鋼糸だ。よく切れる。銃と違って音もないしね。暗殺にはもってこいの武器さ。本来なら夜間使用の場合黒く塗りつぶすべきだが、それはあまりにも無粋だと思わないか?」
思わず手を伸ばすと避けられた。
「触らないほうがいい。手を切るよ」
それから、ふ、となにかに気づいたようだった。しばらく考え込む。
セレンが止まるのにあわせて、オレも止まった。
何を考えているんだろう。
しばらくそうしていて、何発目かの銃声を聞いてから、「ま、今決めなくてもいいか」とセレンは呟いた。
「丁度最後のケリがついたみたいだな」
セレンが言った。
倉庫の奥に、英雄が立っていた。
真っ暗な中でそこにだけを月明かりが照らしていた。
オレに背を向けて、肩で息をしている。全身泥だらけで、英雄のものか他の人のかもわからない血がところどころについていた。
汗びっしょりだ。
乱暴に手の甲で汗を拭う、その仕草。気配がまだ殺気立ってる。
びりびりと気圧される。これが英雄の本来の姿。オレの知らない英雄が、そこにいた。
声をかけあぐねたオレの横でセレンが手を叩いた。
「ブラボー。よくやったな。倉庫の中だけで16人、か?これだけやれば当分手出しはしてこないだろうよ」
拍手の音に英雄が振り向く。
射るような視線がオレを見たとたんに見開かれた。
「クレバス」
気の抜けたような、いつもの英雄の声。
その肩からもがくりと力が抜ける。ほっとして、英雄に駆け寄った。
「ボタン押したのに来なかったから、さ」
心配したとは言えなかった。
「ごめん」
英雄は素直に詫びた。
そんな場合じゃなかったのは見ればわかる。
英雄は、そこもここも傷だらけでぼろぼろだ。近づいただけでむっと血の匂いがする。
「その子は今日2度ほど死んだかな」
セレンがオレを顎でしゃくりながら言った。
「今しがたお前が相手をしていた奴等のお仲間さんが来たときに1度。2度目はお前がコールを無視したのを知った私がもし職務に忠実であったなら。私の気まぐれに感謝するんだな」
英雄がセレンを見た。視線が険しい。
「セレン…。どうして、ここに」
セレンは微笑んだ。銀髪が月光に煌く。どこかに残酷さが潜む、優美な笑みだった。
同時に空気がピンと張り詰める。
「ダルジュに手をだしたろう?お仕置きを、しないとね」
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