DTH
セレンが右腕をあげた。鋼の糸が輪を幾重にも描いて空中をきらめく。
「英雄」
セレンが微笑を崩さないまま英雄の名を呼んだ。
瞬間、英雄はオレを突き飛ばした。
無数の切り傷が英雄に刻まれる。
「英雄!」
「来るな、クレバス!」
駆け寄ろうとしたオレを英雄が止めた。
セレンが糸を引いた。鋼糸の光が英雄の血を纏いながらセレンの手の内に戻っていく。
英雄が立ち上がった。
「そこで、見ていて」
英雄は笑ってみせた。
銃を握る右手に血がしたたる。
一度小さく手の内ですべって、左手に持ち直した。
「セレン」
英雄はセレンを見据えた。
「馬鹿な子だ。私はなにも決めるなと教えただろうに」
英雄が顔をしかめた。
「決めなきゃいけないときもある」
「死ぬためにか?」
「生きるために」
答えた英雄は、銃を構えた。
「お前に私が撃てるのか?」
「撃てるさ、セレン」
「はずせば、足をもらうぞ」
セレンの周りが一瞬煌いた。
鋼糸が空気を切り裂く音がする。
英雄が走った。セレンに向けて、一直線に。
セレンが糸を引き戻すより早く英雄がセレンの懐に入り込んだ。そのまま地面に伏せるくらい低く手をついて足払いをかける。バランスを崩したセレンの右腕をはじいて、靴底で押さえ込んだ。
「チェックメイトだ」
英雄が言った。仰向けになったセレンに馬乗りになるような格好で、セレンの額に銃を押し当てた。
「お前がな」
冷静なセレンの声に、英雄の眉がぴくりと動いた。
「殺さない。それはいいだろう。しかしこういう状況をどう打開する?ダルジュの時と同じ方法をとるのか?あれは鼬ごっこだ。なんの解決にもならない」
セレンが言った。
「あの子を守る気があるのなら引き金を引け、英雄。撃たなければならないときがある。それが今だ」
セレンの言うことは、もっともだった。
いつもこれで済むなんて、オレも英雄も思っていない。
でも、出来ることならもう英雄に人は殺して欲しくない。
わがまま、なんだ。わかってる。
「さて、どうする気だ英雄。無限の鬼ごっこを続ける気か?」
銃口を見つめながらのセレンの問いに英雄の顔がゆがんだ。
「セレン、僕は」
英雄の銃が震えた。らしくない。
「僕は――――、君達も、一緒に」
セレンの目が見開かれた。
英雄の言葉はぎこちなくて要領を得なかったけど、セレンには伝わったみたいだ。
「本気か?」
セレンが探るような瞳を向けた。英雄がセレンを見つめ返した。
英雄の瞳が揺れる。まだ、迷ってる。それでも―――決めた。
「僕一人で出て行く気は無い」
セレンは言葉を失った。じっと、ただ黙って英雄を見ている。
「セレ…」
英雄が尚も言葉を紡ごうとしたとき、英雄の背後に誰かが立った。
「英雄…!」
オレが叫ぶのと、英雄が振り向くのと、英雄の後頭部に一撃が叩き込まれるのはほぼ同時だった。
「こないだのお返しだ」
そう言ったのはダルジュだった。倒れた英雄にその言葉は届かないだろう。
「いつ来るのかと思ったよ」
セレンが笑いながら立ち上がった。
「途中で邪魔すりゃ怒るじゃねーかよ」
ダルジュが悪態をついた。と、オレに気づく。
「よう、また会ったな」
ダルジュの笑み。全身冷や水をかぶせられたようだ。
「そう怖がらせるな」
セレンが言った。
乱れた髪をかきあげながら、オレに近づく。
「ご依頼は果たしましたよ。アフター・ケアをお望みなら家まで送りますが?」
オレはちらりと英雄を見た。
「…いつ、起きるの?」
セレンがダルジュを見た。
ダルジュは、至極嫌そうな顔をした。知るかよ、といった表情だ。
「じゃあ、待ってる」
セレンが小首をかしげた。
「ダルジュ、行きなさい。英雄は私が送ろう。ここは危険だから」
最後の一文はオレに言ったみたいだ。ダルジュが舌打ちして出て行った。
セレンが英雄を担ぎ上げた。
横からおずおずとついていく。
「…不思議かい?さっきまで殺しあっていたのに」
セレンがオレの方を見ずに言った。
「うん。…少し」
正直に答えた。
セレンが笑った。
左側からだったから唇しか見えなかったけれど、とても綺麗な微笑だった。
英雄をベッドに放り投げて、セレンは出て行った。
帰り際、オレに目線を合わせてこういった。
「報酬がまだだったね。君の生き方のひとつ」
そういって、悪戯を考えている子供のような表情をした。
「君は英雄が好きか?」
「それなりに」
「裏切らない?」
「そのつもり」
「よし」
そういうと、セレンは嬉しそうに紙になにかを書き始めた。
「これにしよう。英雄への裏切り、秘密の共有。私の電話番号だ。メールもね」
いつでも連絡なさいとオレに紙切れを押し付けた。
「え、でも」
「大丈夫。君の番号は知ってる。いいかい、くれぐれも英雄には内緒だ。守れる?」
「それが契約なら守る」
いい子だ、とセレンはオレの頭を撫でて立ち上がった。
「それから、英雄に伝えておいてくれ。お前の提案は面白かった。だがエイプリルフールにはまだ早いと」
「そうか…」
気がついて、セレンの伝言を聞いた英雄はそう呟いた。
まだ時々頭が痛むのか、顔をしかめた。
「タオル、水に濡らして持ってこようか?」
「頼めるかい?」
なんだか二日酔の親父みたいだ。
タオルを探そうとして、ポッケから携帯が滑り落ちた。
新しい番号がついこないだ追加されたばかりだ。
実は、気づいたことがある。
オレは初め、この家の設備にひかれたんだ。ふかふかのベッドとか、あったかいシチューとか。
英雄が3日帰らなくても心配しないくらいの図太さは持ち合わせていたはずなんだ。
なのに。
それじゃだめだった。
英雄が時間通りに帰ってこない、それだけであんなに取り乱せる自分がいた。
いつの間にか、オレは変わっていた。
いい変化なのか、悪い変化なのかもわからない。
英雄は変わったとセレンが言ってた。
願わくば、その変化が良いほうでありますように。
そう思いながら英雄のタオルを思い切り絞った。
第6話 END
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