DTH

第7話 「この手の届く距離」

 オレは結果オーライだからなにも考えてなかったけど、コールに出られなかったことを、英雄は物凄く気にしていたみたいだ。
「対策、しておいたから」
 翌朝洗面台で歯磨きをしている英雄の横を通り過ぎたとき、英雄が歯ブラシを咥えながら言った。
「なに?」
「コールに出られないなんてことがこの先あって、君になにかあったら困るからさ。昨日、他に変わったことなかった?」
 そういえば。
「起きたらセレンが飯食ってたくらいかな?昼間ずっとここにいたって」
 オレの返事に英雄が吹いた。
 歯磨きの粉と泡が勢い良く鏡に飛ぶ。
「きったね!後でそうじしとけよ!」
 無言で英雄は口をすすいだ。しつこいくらいに。
「ほ、ほんとに?」
 ようやく落ち着いたのか、タオルで口を拭きながらオレを見る。
「ホントに」
 絶望的な表情で英雄は室内を見回した。それからさっきまでくわえていた歯ブラシをポイとゴミ箱に捨てる。ついでにオレの分の歯ブラシも捨てた。
「なんだよ」
「…無味無臭の毒ぐらい塗ってそうだ」
「オレ、昨日歯磨いたけどなんともなかったぞ」
 ああそうと英雄は興味なさそうに鏡を見て、ため息をついた。眉がきゅっと八の字になる。
「確認してくる。動かないで」
 そういうと居間に向かう。
「なんもなかったって」
 言いながら後ろを追うと、英雄が居間の入り口で立ち止まっていた。
 なんとも言えない皺を眉間に刻む。
 それからタオルをそっと投げた。
 タオルはなにもない空中で、丁度洗濯物が物干しに吊るされるような形になって止まった。
 なにもない?
 いいや、ある。
 糸、だ。
 良く目をこらせば、かろうじて朝陽の中に見出すことが出来た。
 高さは英雄の目線。
 気づかずに歩けば、目に入る。
「やっぱり…」
 英雄はため息をつくと糸を外した。
 それからオレに改めて動かないようにと念を押す。
 トラップは、まだあった。
 とりあえず居間と台所で72個。大は英雄の身長にあわせた手榴弾トラップだったり小は冷蔵庫のドレッシングの中身を入れ替えるとか。よほど暇だったらしい。
「盗聴器のひとつもついてそうだな」
 ようやく朝食にありついたオレが言うと英雄が肩をすくめた。
「それはないよ。確認した。どのトラップも君の身長以上、僕の身長以下。セレンらしいというか馬鹿らしいというか」
 言い終わった瞬間に、絶妙なバランスを保っていたらしい鍋が英雄の後頭部を直撃した。
「…本当に盗聴器ついてねーのかよ」
 スープに顔を突っ込んだ英雄がぼこりと濁った返事をした。


 営業再開した探偵事務所にようやく2件目の依頼が来たのは、季節が冬の気配を見せた頃だった。
 こいつ、本当にこれで食っていく気があるんだろうか。
 宣伝しないにもほどがある。
 オレが問い詰めると英雄は胸を張って答えた。
「ペット関連の依頼はノーカウントだ。これまでに猫5匹、犬3匹、イグアナ1匹にアライグマを見つけたよ。おっと、クモもだ。危うく専門職になるところだった」
 曰く、あのおばちゃんの宣伝効果らしい。
「まあ、なにやったっていいんだけどね」
 英雄が事務所の椅子を軋ませながら言った時、事務所の扉が叩かれた。
 女の子がぽつりと立っている。
 16歳くらい?ふわふわのソパージュにピンクのドレス。どこかのパーティー会場から抜け出してきたみたいだ。ドレスがところどころほつれて、泥だらけになってなくて、手に子犬を抱えていなければの話。
「わんこけがした」
 足に怪我した子犬をこちらに突き出して女の子が言った。
 無言の英雄を横目で見ると、なんだか目が点になっているようだった。

「オレは獣医じゃない」
 呼び出されたハンズスは憮然とした表情でそう言った。
 女の子…ジェシカから見えぬよう、扉の影で英雄を締め上げる。もう少しで英雄のつま先が浮かびそうだ。退院から数週間。すっかり傷はいいようだった。なによりだ。
「でも、ほら、怪我してるし。かわいそうだろ?」
 英雄がハンズスの顔色を伺いながら必死で弁明した。
 ハンズスは鼻を鳴らすとジェシカがじっと見ている子犬に近づいた。
 その動きが一瞬とまる。
 子犬よりもジェシカを見ているようだった。
「…ハンズス?」
 オレが声をかけると、ハンズスはハッとした。
「あ、あ。よし、子犬を見よう。ゴールデンレトリバーだね。賢い犬だ」
 ハンズスはジェシカの隣にかがみ込むと、ジェシカと子犬に話しかけながら傷の様子を見た。雰囲気が柔らかい。話しながら治療をするハンズスを、ジェシカはぼーっと見てた。
 子犬は右の後ろ足を少しひねったようだった。ハンズスが添え木をして、「もう大丈夫」と子犬の頭を撫でた。ジェシカが嬉しそうに子犬を抱きしめる。紅茶でも入れようとして、英雄が再びハンズスに連れて行かれたのに気づいた。また物陰で締め上げられている。今度はなんだ?
 そっちを見ていたオレの鼻先に子犬がつきつけられる。
「うわ!」
 驚いてのけぞると、ジェシカが面白そうに笑った。
 実はオレはあんまり動物に慣れてない。触る機会がほとんどないから。
「どうした?」
 オレの悲鳴に英雄とハンズスが駆け込む。
 二人ともポットを持ったまま顔に犬を乗せられたオレを見て、助けるどころか大笑いしやがった。
 
 ジェシカはハンズスに連れられて帰って行った。
「さっき、ハンズスなんて?」
「ああ、あの子を知ってたらしい。大層な資産家の娘だそうだ。パーティーから抜け出て行方不明になってたんだってさ」
 ああ、それであんな格好を。
 場違いなほどのドレスが妙に印象に残っていた。


 それから半月ほどたった頃、あのジェシカが誘拐されたと新聞に載った。
「英雄!これ!」
 ジェシカが新聞の一面にでかでかと載ってる。
”資産家令嬢誘拐される!”
”犯人の目的は?金?怨恨?”
”娘を返して――両親の願い”
 そんな見出しが所狭しと紙面を躍ってる。
「うん」
 大慌てするオレに、英雄は雑誌を見ながらコーヒーを啜って頷いた。新聞に一瞥くれただけで、また雑誌を読み始める。
「一般公開に踏み切ったか。手詰まりになったんだな。あ、コーヒーおかわり」
 差し出されたカップを無意識に受け取りながら、英雄のリアクションにオレは詰まった。
「なに…?知って、たのか?」
「知ってたよ。これでもまだ情報は手に入るように手は打ってる。それが?」
 英雄は平然とトーストを食べていた。オレには本を読みながら食事をするなと言うくせに、遅く起きた日はいつもこうだ。
「いつから…?」
「2週間ぐらい前、かな。ほら事務所にあの子が来て3日後くらいにさ」
 なんでそんなこと聞くんだと言いながら、英雄はオレを見た。
 見て、オレが怒っているのを知ったらしい。ごくんと口に入れたトーストを無理矢理飲み込む音がする。
「クレ、バス…?」
「…ば、か」
 英雄のカップを一度強く握り締めて勢い良く投げつけると、英雄は反射的に雑誌でガードした。そんなとこもムカツク。
「バカかお前は!!最低だ!」
 英雄が怪訝な顔をした。
「なんで?」
「なんでってこっちのセリフだ。どうしてなんもしないんだよ!」
「どうしてなにかしなきゃいけないんだ」
 英雄がむっとして反論した。雑誌を横に置いて、オレに向き直る。
「クレバス。君はなにか勘違いしていないか?僕はスーパーマンじゃない」
 オレは立ったまま英雄を睨み据えた。
「それでもお前はあの子を知ってるじゃないか」
「街ですれ違った程度にね。関わった相手にいつも全力になっていたら寿命が縮むよ」
「オレにも同じことを言うのかよ?」
「言うわけないだろ。彼女とは別だ」
 英雄はオレから目をそらさなかった。
 オレも英雄から目をそらさない。
 険悪な雰囲気が室内に充満する。
 やがて根負けした英雄がため息をついて頭を掻いた。
「…朝からこんな言い合いになるんじゃ、新聞なんか取るんじゃなかったな」
 もう一度長く深い息を吐いて立ち上がった。
「とりあえず、コーヒーを入れてくれよ。依頼料はそれでいいから」
 そう言いながら2階へ上がって行く。
 相当しぶしぶだが、動く気になったらしい。
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