DTH
しばらく英雄は2階で誰かと電話していたみたいだった。
降りてきたときにはだらしないパジャマじゃなくて、外出用の完全装備になってた。サングラスまでしてる。
「コートはまだ早い気がするんだけど」
「必需品でね」
コーヒーを差し出すオレに内側をぺろりとめくって見せた。武器がぎっちり詰まってる。
自分で入れろといったコーヒーを半分も飲まずに、英雄は出かけようとした。
「待てよ、オレも!」
「君はお留守番」
「いやだ!」
「だめだ」
英雄が笑った。ひらひらと軽く手を振る。完全にあしらう気だ。
「ハンズスに言いつけるぞ」
びくりと英雄の動きが止まった。
「お生憎様。そのハンズスと行くよ」
そう言うと英雄は勝ち誇って扉を開けて出て行く。
間もなくエンジンの音がして、英雄の車が街に消えた。
ああ、そう。そうですか。
英雄を見送るオレの手には携帯電話がしっかりと握られていた。
「だいぶ面白そうな話だな。あの子が人助け。下手なジョークみたいだ」
セレンは笑ってアクセルを踏んだ。スポーツカーが一層加速する。オレはシートに押し付けられた。相変わらず運転が荒い。
「だが今日は忙しい。最後まで見物は出来そうにないな、残念だ」
だからガードはできないぞとセレンは言った。
「いいよ。ジェシカが心配なだけだから」
「あの子の心配もしてやれよ。相手がやっかいそうだ。喰らいついたら離さない、ヘビみたいな男さ。馬鹿みたいに真面目で几帳面で、退屈なヤツだが」
「犯人、知ってるのか?」
「興味はなかったが、自分で声高々に宣言していたからな。通称ガルフ。本名は…なんだったかな。もっぱら誘拐殺人専属。金の支払いを拒否したが最後、人質は二度と戻ってこない。ま、払えば返ってくるけどね。あのおっさんは後ろ暗いところがないからつっぱねたわけだ。正義万歳」
セレンが肩をすくめた。
「じゃあ、ジェシカは、もう…?」
「金を払うまでは生きているだろう?指なり腕なり切って送るのに使えるからな。そりゃあ死なないように万全を期すさ。だが、今朝方一般報道に切り替わった。足が着く前に消そうと考えるかな。リミットが早まったわけだ」
前方の車に痺れを切らしたのか対向車線に躍り出て抜かしていく。クラクションがあちこちで怒号のように鳴ったがおかまいなしだ。オレは目的地に着く前に死ぬかもしれない。
「あの子が君の申し出をしぶったのもわかる」
「え?」
「手が足りなくなるのさ。届かなくなる」
わからない、という顔をしていたんだろう。セレンがちらとオレを見て表情を緩めた。
「今にわかる」
さらにぐんと加速して、街の景色があっという間に流れた。
やがてたどり着いたのは郊外の、なんでもない一軒屋。緑の芝生、太陽をなめらかに反射する白い壁。
手入れの行き届いた窓ガラス。きっちりと管理された、オレの家より少し広いだけの普通の家だ。
住宅街のど真ん中。回りも家が並んでる。家族の談笑がどこからか聞こえた。
とまどうオレにセレンが言った。
「なんだ?犯罪者は日の当たらないじめじめしたところで臭い飯でも食ってると思ったのか?そのくだらない先入観は捨てたほうがいいな」
そういうと悪戯な笑みを浮かべた。
「よし、先回り出来たようだな。英雄が来たぞ」
言われて前を見るとフロントガラスの向こう、鉄製の門扉の前に英雄がいた。オレ達には気づいていないらしい。
「ハンズスがいない。一緒に行くって言ってたのに」
「嘘だろ」
セレンが涼しい顔で言った。
「こないだ事務所に来た黒子。誰の手先か忘れたわけじゃあるまい」
「ハンズスは…」
「なにも知らずに今頃捜査中だろう。あの子にとっちゃ人質にとられているようなものだ」
ああ馬鹿らしいとセレンは伸びをした。
「そろそろ降りるんだな。私は用事があってね。帰りはあの子に送ってもらうがいい」
英雄はガルフの門扉の前でしばらく家を眺めていた。
やがて決心したようにドアベルを押す。
返答がないようだ。
「ホフマンさーん?」
底抜けに明るい大声で英雄は家に呼びかけた。ホフマン、が表札にかかっている名前なのだろう。
「いないんですか?ホフマンさーん。不動産管理事務所の者です〜」
必要以上に語尾を延ばすのはたぶん嫌がらせだ。英雄は呼びかけながら門扉を開け、中に入って行った。オレもこっそり後に続く。
手入れの行き届いた庭だった。セレンが「馬鹿みたいに真面目で几帳面」と評したのがわかる気がする。きっちりと整えられた芝生に、露の一滴さえ無駄のない薔薇。庭ひとつとってもこれだ。
「ホフマンさ〜ん」
英雄がドアをノックした。しばらくして規則正しい足音と共に初老の男性が現れた。
50代くらい、短く刈りそろえた髪が少し後退し始めている。杖を使っているのに必要ないくらい足腰はしゃんとしていた。とても誘拐犯には見えない。町内に一人はいるぞ、こんなジジイ。
「良かった。御留守かと」
英雄が白々しく両手を広げて見せた。
「なんの用だね。不動産には興味がないが」
「いやあ、大事なお話です。防音設備と、ホフマンさん宅の地下室の件について」
最後は声をひそめて英雄が囁いた。ガルフが怪訝な顔をした。英雄は笑顔こそ崩さないが目は笑っていない。びり、と一瞬空気が緊張したように思う。飲み込まれそうだ。
「まあ、入るがいい。ところで」
ガルフが言った。
「あれはお前さんの子か?」
ふ、と少し肩の力を抜いた英雄に杖と顎でオレを指し示す。英雄がぎょっとした顔で振り返る。やばいバレた。
英雄の口が音もなくぱくぱくと上下している。かなり動揺しているようだ。
なんでここにと目がオレを責め立てた。
ガルフの疑わしげな視線に気づいた英雄は、わざとらしく咳払いした。
「ええ、そう、僕の子です。ついて来るってきかなくって」
苦しい笑顔の英雄を焦らすようにたっぷり見つめて、ガルフは背中を向けて家の中に案内した。
ガルフが背中を向けた瞬間、英雄がこれ以上ないくらいに肩を下げた。
背を向けたまま、手招きでオレを呼ぶ。そばに駆け寄ったら、拳で軽く頭を叩かれたけど、これくらい別にいいや。
家の中は、外観以上にきっちりと整頓されていた。
どこを見てもぴかぴかだ。床も壁も。額縁の上にすらほこりがないのは見習うべきだとオレは思った。
通されたリビングもしかり。壁を大きく切り取った窓はそこにガラスがあるのかと思うくらいに透明だ。書棚も大きさ順にきっちり整頓されている。
「そちらへどうぞ」
ガルフに促されて、ソファに座る。英雄は書棚を見るふりをして立っていた。
「こんな程度しかありませんが」
紅茶と共にガラスの器に入った角砂糖が差し出された。器の中に角砂糖が積まれているのがガラス越しに見える。ガラスはこれ以上なくピカピカ、角砂糖は隙間なくぴっちり。なんだか手を出しにくい。
「ああ、おかまいなく」
ガルフが腰掛けるのを見届けて、英雄がオレの隣に座った。コートを脱ごうともしない。
「で、なんのお話でしたかな」
「これは失礼」
英雄は慣れた手つきで名刺を差し出した。
「私は不動産会社の者です。実はこちらの物件を強く所望しているお客様がいらっしゃいまして。お譲りいただけないかと思った次第です」
「急な話ですな」
「急な話です。しかしこちらには相応の用意があります」
英雄がアタッシュケースを机の上に置いた。
「キャッシュで」
アタッシュケースを開いて英雄はさらりと言ってのけた。中にはぎっちり札束が詰まってる。
一体いくらだ?見当もつかない。
ガルフが興味を示した。
「土地代、家代、家具代、…それからご無理を申し上げるお詫び代。どうです?悪い条件ではないと思いますが」
ガルフがアタッシュケースに手を伸ばす前に英雄はケースを閉じた。
「ただし、条件がひとつ」
英雄が顔を上げた。
「家の中の”家具”には何一つ傷つけないことが条件です。地下室を含めて」
ぴんと空気が張り詰めた。英雄もガルフも微動だにしない。
風でふわりとカーテンが揺れた。先に動いたのはガルフだ。
「先ほどから…」
手元の紅茶を優雅な手つきで持ち上げる。
「なにか勘違いをされているようですな。我が家に地下室はありませんが」
静かな威嚇、だ。
英雄は受けた。
「いいえ、お宅には地下室がありますよ」
言いながら力強く足を踏み鳴らす。
かすかに、本当にかすかに…よくよく耳を澄ませなければ聞こえない程度の…子犬の鳴き声がした。
床下から。地下、だ。
ガルフがわずかに歯軋りした。
英雄が畳み込む。
「ほらね。今が決断時だと思いますが」
ガルフの額に汗が滲んだ。
「…条件は、満たせない」
ぴくりと英雄が反応した。
「もう遅い。条件は満たせない」
英雄の瞳の色が変わる。
「傷をつけたのですか、”家具”に?」
ガルフは答えなかった。
英雄が無言で立ち上がる。
慌てて後をついて行った。
「英雄!」
英雄はオレにかまわずどんどん家の奥に進んだ。
地下の入り口を探しているらしい。
「金とあいつあのままでいいのかよ」
「金で済むなら万々歳だ。よし、あったぞ」
廊下の突き当たりを前に立ち止まると、英雄はしばらく壁を叩いてから横に引いた。
壁が音もなく横にすべって、目の前に地下への階段が現れた。
地下の湿った風が吹き上げてくる。
普通、映画で見る地下室への階段ってのはもっとこう湿っていて、埃がひどくて、見るからに闇への入り口っぽいのにここは違った。
かえって足を滑らせそうなくらいぴかぴかに磨き上げられて、ご丁寧にライトアップまでされている。神経質がすぎるんじゃないのか?
「ジェシカ!返事をしろ!」
英雄が声を張り上げながら下に降りて行った。
オレも後に続く。子犬の声がだんだん大きくなった。
それでも、ジェシカの声はしなかった。
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