DTH

 地下室の階段を降り切ると、ちょっとした広間になっていて、その先にいくつかの扉があった。
 子犬の声を頼りに英雄が扉を開ける。
 明るいライトに照らされた綺麗な部屋だった。これまた隅々まで掃除が行き届いているが、部屋の真ん中に食事用のトレイが中身ごとぶちまけられているせいで台無しだ。
 ジェシカは…
「ジェシカ!」
 いた。装飾のほとんどないベッドにうつぶせに伏せていた。子犬がその隣で吼えている。
 慌てて駆け寄る。ジェシカはぐったりと青ざめていた。ひどく元気が無い。
「英雄、なんか変だ」
 英雄が床にころがった食事のスープを指先につけてひと舐めし、すぐさま吐き出した。
「毒か。朝食に仕込んだな」
 ジェシカのそばによると首筋に手をあてて脈を診た。英雄の眉間に皺がよる。
「どうなんだよ」
「どうもこうも…」
 英雄が言いかけたとき、こつこつと階段を下りてくる音がした。
 降りてくる人間なんて一人しかいない。
 英雄と顔を見合わせる。
「金で片付くなら楽だったんだがなあ。やっぱりプライドが許さないか」
 英雄がぼやいた。ここにいてと囁いて部屋を出て行く。
 すぐさま銃声がした。
 ジェシカがびくりと反応する。
「大丈夫だよ」
 ジェシカの頭を撫でるとジェシカは初めてオレを見た。
「あー」
 うれしそうにオレを指差す。
「そう、オレ。クレバス。わかる?」
「バスー」
 ジェシカはころころと笑った。
 オレもつられて笑う。
「どこか苦しいところはない?」
「おなかー」
 ジェシカは苦しそうに腹を押さえた。痛いのか。
「いたい?」
「んん〜」
 どん、といきなり何かが扉に叩きつけられる音がした。
 反動で扉がわずかに開いて、子犬が飛び出す。
「あ!」
 オレよりも先にジェシカが駆け出した。
 子犬を追いかけて扉の外に出て行く。
「だめだ。そっちは…!」
 ジェシカに追いつけない。思いのほか足が速い。
 ガルフは階段を降りきった場所にいた。英雄は、扉のそばに。さっきぶつかったのは英雄か?
 二人とも、飛び出してきたジェシカに気をとられた。
 部屋とは反対方向に駆けて行く子犬を追うジェシカにガルフが猟銃で狙いを定めた。
 引き金を引く前に英雄が飛んだ。ジェシカを抱き寄せて物陰へと滑り込む。
 猟銃の向きがくるりと変わる。
 扉から身を半分出していたオレに。
 あ…。
 英雄の目が間に合わないと言っていた。
 セレンが言った。
『手が足りなくなるのさ』
 片手に銃を持ったら、なにか掴めたとしてもせいぜいひとつだ。
 それをあの子はよく知っている――――
 英雄は言った。
『僕はスーパーマンじゃない』
 あれは全てこのために。
 英雄の腕には、今ジェシカが。
 オレに狙いをつけたガルフの猟銃。
 引き金が、引かれる。目をつぶる暇も無い。

 地下室に銃声が響いた。

 ガルフの猟銃がその手から弾き飛ばされた。叩きつけられるように下へと落ちる。
 撃ったのは英雄じゃない。階段の上からの狙撃。誰だ?
 ガルフもオレも呆然とした、その瞬間を英雄は逃さなかった。
 あっという間にガルフに距離を詰めると組み伏せる。どこからか縄まで取り出して丁寧に縛り上げた。
 階段の上を見たけど、もう誰もいなかった。

 英雄はジェシカをベッドに寝かせた。
「朝ご飯、食べていないね?」
 英雄の質問にジェシカは頷いた。
「わんこがこぼした」
 英雄の足元で子犬が得意げに尻尾を振る。
「いい犬だ」
「え、なに。じゃあ腹へっただけ…?」
 目を丸くするオレに子犬がきゃんと答えた。
「このままここにいるといい。今おまわりさんを呼ぶから」
 英雄はそう言ってガルフの家の電話から通報をしたようだ。
 間もなくやってきた警察にジェシカが保護されるのを遠くから確認すると、英雄は「行こうか」と声をかけた。
「朝から慣れないことばっかりやってくたくただよ。早く寝たいね」
「まだ昼間だぞ」
「昼寝もいいじゃないか」
 そういって角を曲がる。と、そこに懐かしい人物が立っていた。
「アレク!」
 オレの声にアレクは笑みで返した。
 そこに立っているのは間違いなくアレクだった。かつて英雄に恨みを抱いてオレを誘拐した人。武器を手にしたことを悔やんで、家族に会いたいと悩んでた。根は優しいんだと思う。
 家族の元に帰ったと、聞いていたのに。
 嘘みたいだ。ここにいるなんて。
「帰ったんじゃないの?どうしてここに!」
 顔がへらへらしてしまうのはなんでだ。嬉しい。
「あ、じゃあさっきのは…」
 アレクがにっこりと頷いた。
「戻ってきマシタ。用事、アッテ」
 そういうとアレクは英雄を見た。
 英雄が肩をすくめる。
「ガードは頼んだが連れ出せなんて言ってないぞ」
 アレクがきょとんとした。英雄は勘違いをしているみたいだ。
「ワタシ…?」
 あ、わ。
「まあ、いいじゃねーか!おかげで助かったんだし!」
 あはははは、と強引に笑い飛ばすと英雄が怪訝な顔をした。 


 ジェシカの件は翌朝の新聞に載っていた。
 新聞を抱えて怒りの形相でやってきたのはハンズスだ。
「謎の乱入者がいるんだ。こっちはもうホフマンに目星をつけていたのに余計なことを!」
 出されたコーヒーに手もつけずにハンズスは言った。
「ああ、そう」
 寝起きの英雄は死ぬほど眠そうだった。さっきからあくびを噛み殺している。朝からきっちりスーツを着込んでいるハンズスとはひどく対照的だった。
「しかもプロだ。まさかお前じゃないよな」
「そんなに暇じゃない」
「そうか」
 ハンズスは頷いた。
「ところで現場でこんなものを見つけたんだが。俺にはとても見覚えがある。被害者の持ち物だから他の誰も注意を払わなかったが」
 ポケットから出されたそれを見て「あ」と声をあげそうになった。
 英雄があくびをしかけたまま止まる。
 ジェシカが探偵事務所に来た日にしていた髪飾り。忘れていって英雄が無造作にポッケに入れていた。
 ハンズスのこめかみがひくひくと動いていた。噴火が近そうだ。
「さ…あ。知らないな」
 世界水泳にでも出られそうな勢いで英雄の目が泳いだ。英雄、だめだ。全然ごまかせてない。
 マシンガンのようなハンズスの説教を聞き流しながら、オレはコーヒーメーカーのスイッチを入れた。
 おいしいコーヒーくらいは入れてやろうと、そう思って。


第7話 END
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