DTH
携帯の画面を見てオレは多分怪訝な顔をした。
「着信:セレン」
あまりありがたくないのは気のせいか。
ご丁寧に留守電まで入ってた。
曰く、時間はどうでもいいからこれを聞いたら指定の場所に来い、と。
真夜中に聞いたらどうする気だ。
まあ、いいや。今日は日曜で暇だし、英雄いないし。
オレは意気揚々と出かけることにした。
指定の場所は意外にも公立の図書館だった。
図書館独特の、あの静かな雰囲気がまるで馴染めない。
オレなんか場違いじゃないかと思いつつ、扉を開けるとセレンが居た。窓から入る木立の木漏れ日を受けながら、本を読んでる。初めて会ったときもそう思ったけど、あらためて顔立ちが整っていると思う。室内にいる女性の何人かは本そっちのけでセレンを見てた。
音を立てないように静かに移動する。声をかける前にセレンが顔を上げた。遠巻きに「やだ、子持ち?」という囁き声が聞こえる。
なんだろう、この居心地の悪さは。
「よく来たね。これを渡そうと思って。」
セレンがおかまいなしにそう言って渡してきたのは、綺麗にラッピングされた小さな袋だった。
「なに?」
「プレゼントさ。あけてごらん」
セレンに促されて中を見る。入っているのは革手袋と―――輪を描いて小さく束ねられた細く煌く糸、鋼糸だ。鋼糸の先には小さな錘がついていた。
驚いてセレンを見た。
「言ったはずだ。君の生き方の一部をもらうと。君には武器を覚えてもらうよ。鋼糸なら遠心力を使えば力は要らないからね」
そう言って、セレンは微笑んだ。
第8話 「オオカミ少年は真実の夢を見るか?」
英雄は夕方に帰ってきた。
コートも脱がずにソファに座り込むと、ぐったりと首を傾けながらため息をついた。
相当疲れてるらしい。
「おかえり、なんか飲む?」
「うん、頼むよ」
コーヒーを入れて声をかけようとして慌てて引っ込める。
英雄がソファにもたれこんだまま、小さな寝息を立てていた。
本当に疲れてるんだな。
そっとテーブルにコーヒーを置いたつもりだったのに、英雄は目を覚ました。瞼を開けても意識が覚醒しきってないのか、ぼうっとしている。
「…ちょっと寝ちゃったか」
「ごめん、起こした」
「いいよ。コーヒーありがとう」
のろのろとした仕草でコーヒーをすする。
「…それは?」
英雄がテーブルに置いてある絵本に気づいた。
「ああ、今日、図書館に行って」
セレンに勧められた絵本だという言葉を飲み込む。危ない危ない。
あの子の末路が書いてあるよ、試しに読んでみるといい――――そう、セレンは言ったのだ。
「”オオカミ少年”か。絵本には縁がなかったな」
英雄が興味深そうに絵本を手に取って、ぱらぱらとめくる。
それからふと何かに気づいたように顔を上げた。
「もう読んだ?」
「いや、まだ」
「じゃあ一緒に読もうか」
誘われるまま英雄のとなりに腰掛けると、英雄がゆっくりと絵本を読み始めた。
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いつもいつも「オオカミが来るぞ」と嘘ばかり吐いていたオオカミ少年は、
本当にオオカミが来たときに誰にも信じてもらえずにオオカミにぺろりと
食べられてしまいましたとさ。 おしまい。
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二人で読むんじゃなかったというのが、二人共通の暗黙の感想だったと思う。「なんて耳が痛い話だ」と英雄はぼやくと、昼寝をしてくると言ってさっさと2階へ行ってしまった。
オレはもう一度絵本をめくった。
嘘を吐いてばかりのオオカミ少年は、確かに英雄に似ていた。
「嘘つきのオオカミ少年をそれでも信じる物好きがいると思うか?」とセレンは笑っていた。
前に月夜の倉庫街で英雄がセレンに告げた言葉。
『僕は――――、君達も、一緒に』
『一人で出て行く気はない』
英雄の銃口が震えて、普段滑らかに嘘を吐く英雄の真実の言葉は、滑稽なほどぎこちなかった。セレンの瞳も揺らいで、嘘だと即座に切り捨てなかったのはきっとそのせいだ。
たぶんセレンはまだ揺れてる。気まぐれで行動するにはリスクが大きいから…見極めようとしてる。
だからオレに会うんだと思ってる。
英雄がどこまで本気か、オレで図る気なのかもしれない。
しっかりしなきゃ。
いつまでも守られてるのも嫌だしな。
ポッケから鋼糸と手袋を取り出した。
きらきらと光る極細の糸。
これで英雄の力になれるなら、願ったりだとオレは思った。
裏切りになんかなるもんか。
秘密にしてるのは、そりゃ悪いと思うけども。
探偵事務所に久々の依頼が来た。
「娘を、探してほしいんです」
母親らしい40代くらいのおばさんはそう言った。質素な紺のワンピースを綺麗に着こなしている。金髪を綺麗に整え、整然とした印象を受けたが、それでも目はどこか不安げに動いていた。
「お嬢さんを?行方不明なのですか?ええと…」
「パーキンソンです。スザンナ・パーキンソン。娘はアリス」
「パーキンソンさん」
英雄が復唱した。
「アリスさんはいつから?」
英雄の言葉にパーキンソンは目を泳がせた。説明しがたい、と言うように首をかしげる。
「これを」
ハンドバッグからテープレコーダーを取り出すとスイッチを入れた。
「娘は一人暮らしをしていて、時折電話をもらっていたのですが…3ヶ月前です」
『あ、おかあさん、私。元気だよ』
テープから若い女性の音声が流れた。アリスらしい。
『あら、アリス。元気?』
これはパーキンソンの声だ。今と変わらない。
『あ、ごめん。電波悪いみたい。また電話するね』
一方的に電話が切れると同時にテープも切れた。
「これは、私が出るときに間違って留守電のテープボタンを押してしまったので録音されたんです。
それで次が2ヶ月前」
『あ、おかあさん、私。元気だよ』
アリスの声がした。
『まあ、アリス。久しぶりね』
『あ、ごめん。電波悪いみたい。また電話するね』
英雄は黙ったまま聞いていた。よくある会話だ。
「…1ヶ月前、」
『あ、おかあさん、私。元気だよ』
アリスの声に違和感を覚えた。
「同じ?」
思わず声を出すと、英雄が頷いた。
「テープだね。…一体、いつからです」
「わかりません。おかしいと思ったのはつい最近で…普段からこういう会話はよくあったのでたいして気にしていませんでした」
恥じ入るようにパーキンソンは目を伏せた。
確かに会話自体、どこにでもあるありふれた内容だった。それが月に一度なら数ヶ月は気づかないかもしれない。
まして親しい間柄なら。
「いつの間にか職場を辞めていたようです。アパートも解約されていて、…私には、一体なにがなんだか…」
「警察には?」
「行きました。行方不明者の捜索願を出しました」
それだけです、と言ってパーキンソンはハンカチで目頭を拭いた。
英雄は指を組んでしばらく考えているようだった。テーブルの上に置かれたテープレコーダーをじっと見つめる。やがて、決意したのか、顔を上げた。
「パーキンソンさん。見つけられるとも、結末が幸せだとも限りません。それでも、お嬢さんを探しますか?」
パーキンソンは潤んだ瞳で英雄を見た。
その疑問はもう何度も心の中で反芻したんだろう。事実を知るか、どこかで元気にやっていると信じるか。葛藤しきって、それでもここの扉を開けたのだ。
「お願いします」
パーキンソンは、はっきりとそう告げた。
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