DTH
第9話 「それは大事な私の家族」
マージの家にはオルゴールがある。
曲が流れると回転木馬が回りだす、ちょっとレトロな作りのオルゴールだ。曲名はわからないけどキンコンと流れる音が聞いていて心地よかった。「お父さんの手作りなのよ」とマージは笑った。
写真立てには、マージのお父さんらしき人と、小さな頃のマージと、拗ねたような英雄の映っている写真があった。
マッシュポテトを作りながらマージの話に耳を傾ける。今日はグラタンの作り方を教えてくれると言っていた。英雄の家にはかろうじて一通りの調理器具はあったし、くもの巣の張りそうなオーブンも出掛けに手入れしてきたから、うまく行けば今日の夕飯くらいにはなるだろう。
「お母さんは私が物心つく前に死んじゃったから、英雄が来るまで私の家族はお父さんだけだったの。英雄が来た日は今でも覚えてる。10歳のとき。ビックリしたなあ…」
ぴたりとオレの手が止まる。マージはオレが興味を示したのに気づいたみたいだった。
「話そうか?英雄が家に来た日のこと」
刑事をしていたマージのお父さんが、ある日突然英雄を連れてきたのだという。お父さんは、なんというか快活で豪快な人だったとマージがそっと付け足した。
「今日からこの子も家族だ!お前のお兄さんだぞ!」
見たことも無い黒髪の少年は、絶対にマージと目をあわそうとはしなかった。暗く沈んだ瞳が陰を落としていたという。なんて暗い子だというのが第一印象だったようだ。
「英雄だ、マージ。英雄、これは俺の娘、マージだ」
「初めまして」
マージが手を差し出しても、英雄は応えなかった。
「第一印象は怖かったかな、うん」
そう言ってマージは笑った。
気まずい空気が流れそうになったのをマージのお父さんが笑い飛ばした。
「ははは、マージ。英雄は照れ屋なんだ。今日の晩御飯は奮発するぞ〜。手伝え、英雄、マージ」
照れている、というよりマージには感情がないように見えた。瞳がガラスのように澄んでいて、無機質だと。機械を相手にしているような気すらしたと言っていた。
二人を玄関に置き去って、お父さんはずかずかと家の中に入っていった。
マージが英雄を見ると、英雄の目は外を見ていた。
どこかに帰りたがっているのかと思った、とマージは言った。
目を離したらふっと消えてしまいそうな雰囲気だったという。
「台所、こっちよ」
マージが英雄の手をとると、初めて英雄はぴくりと反応した。
そのまま手を引っ張って、台所に連れて行った。
すでになにかを作ろうとしているお父さんの様子を見て、マージは英雄に椅子を持ってきた。
「あたしたちはここで皮でもむきましょ。どうせカレーなんだから」
そう言って、じゃがいもを積むと英雄に皮むき器を渡した。
自分も一生懸命に剥き始める。
ふと見ると、英雄がじゃがいもと皮むき器を持ったまま呆然としていた。
「使い方わからない?」
「…いいや」
マージの手元をちらりと見ると英雄は器用に皮を剥いてみせた。
「マージ、ハンズスも呼んで来い!」
お父さんの声にハンズスを呼ぶと、ハンズスは喜んでやってきた。
英雄とマージの間に椅子を運んでくると、やっぱりそこに腰掛けて皮を剥き始めた。
初め英雄はハンズスを気にしているようだったが、ハンズスが皮むきにしか興味を示さなかったのであきらめたようだった。
「ハンズス、皮剥き好きだったの?」
「そう、なぜかしらね。むきになって剥いてたわ。放っておくとじゃがいもがなくなるまで剥くの。もう本当にすごいんだから」
あははと二人で声を出して笑った。
マージが目尻の涙を指先で拭いながら続けた。
ハンズスの手の中でじゃがいもがどんどん無くなっていくのを、英雄は呆然と見ていたという。3個目に入るに至って目が丸くなり、動かしていたはずの英雄の手は完全に止まった。
マージがふと顔を上げると、目で”いいのか”と訴えていた。
「おとうさーん、ハンズスがまたやったー」
マージが大声で父親に言いつけると、英雄がぎょっとした。
「なんだあ、しょうがねえなあ」
大股で近づくお父さんに対し、英雄は完全に硬直していたという。
「おお、こりゃあ凄いな」
ざるの中で皮と混じった身を覗き込んでお父さんは大笑いした。
ハンズスは構わずに皮を剥き続けていた。
「この集中力があればこいつは大物になるぞ」
そう豪快に笑い飛ばすと、お父さんはざるを取って適当に皮を避け、なべにぶち込んだ。
それから、ハンズスと英雄の肩に手を置いて「ようし、二人ともよくやった」と声をかけると、初めて英雄は力を抜いたのだ。
「そのときにね。ああ、つらい環境にいたのかなあってぼんやり思った」
殴られるのを恐れたのでは、とマージは言った。
多分ビンゴだ。
「それから、英雄からだんだんぎこちなさが抜けていったかな。それがとても嬉しかった。でも…」
マージがちらりと写真を見た。
「きっと何かがあったのね。お父さんが死んですぐに家を出てしまって。それでもこんなに近くに住んでるなんて」
マージは、どこか寂しげに微笑んだ。
英雄はその話を聞き流そうとして失敗したようだ。
「そうか、マージが寂しがっていたか」
適当にサラダをフォークでつつく。
ざくざくと葉っぱに穴が開くけど食べる気はないらしい。
「そうかあ…」
「食う気がないならやめろよ」
「こうするとドレッシングの馴染みがいいんだよ」
言いながら、英雄は尚もざくざくとサラダに穴を開け続けた。ドレッシングの出番は当分ないらしい。その野菜、わからないくらいに刻んで夕飯に混ぜてやると心の中でそっと誓った。
「…もうすぐ誕生日だったな…」
英雄がぼそりと呟いた。
「誰の」
「君も僕も誕生日なんて持ち合わせてないじゃないか。マージの、だよ」
「パーティーでもやるのか?マージ喜ぶぞ」
「たまにはいいかもね」
なぜ棒読みなんだ。
英雄はしばらくなにかを考えた後に、ハンズスに電話した。来るべきマージの誕生日にサプライズパーティーをしよう、と。ハンズスのそりゃあいい!という声が受話器を突き抜けて、キッチンにいたオレにまで聞こえた。今頃英雄は耳を押さえてるな、と思いながらオレはサラダの惨殺死体を片付けた。
その後の話の進みは早かった。
てきぱきと段取りを決め、役割分担もそつなくこなす。買出しにはオレと英雄。プレゼントは各々で(でないと数が稼げない)。マージを誘い出すのはハンズスの役目。それからみんなで料理を作る。男三人で出来ることなんてせいぜいこれくらいだろう。
ああ、室内に貼る色紙のわっかを作るのはもちろんオレ。
「料理、できるのか?」
英雄が訝しげにハンズスに聞いた。
「これでも外科医だ。免許は持ってる。切るのはまかせろ」
ハンズスが胸を張った。
おいおい、てことは…。
英雄とハンズスが同時にオレに向き直る。
「ご指導よろしくお願いします。クレバス先生!」
マージはその師匠なんだがそれでいいのだろうか。
料理本を三人で読んで、見栄えがして、かつ美味しそうで、出来そうなもの(※ここが重要だ)をチョイスした。もちろんケーキも忘れちゃいけない。不恰好でも自分たちで作ることにした。
「ケーキ、英雄が作れば?」
スーパーのカートを押しながら歩く英雄の横で、果物のシロップ漬けを手に取りながら言う。
「僕?無理だよ」
英雄がシロップ漬けを受け取ってカートに入れた。イチジクだと知って眉をしかめたが、マージの好物なので我慢することにしたらしい。
「本当は料理が出来るってセレンが言ってたぞ」
料理が出来ないふりをしてオレの居場所を作ってるんだと。
英雄がきょとんとした顔をした。ああ、と心当たりに思い至ったのか、そっと身をかがませてオレに耳打ちする。
「それ、嘘だよ。出来るふりをしただけ。レトルト使いの達人と呼んでくれ」
今度はオレが呆然とする番だった。
「ほ、んと?」
「君に嘘はつかない」
英雄が手のひらを上げて宣誓した。
すとん、と心の中で音がした。
なんだ、オレ気にしてたのか、こんなこと。なんでもないのに。
心の風通しがよくなったせいだろう。なんだかやたらにすがすがしくて嬉しかった。
顔がぱっと笑顔になるあたりオレは相当現金だと思う。
英雄はオレに笑い返すと、眉をしかめた。
「最近、君からよくセレンの名前を聞く気がするんだが。気のせいかな」
笑ったまま一瞬オレは固まった。まずい。
実はあれからちょくちょくセレンに会ってる。鋼糸の使い方を教えてもらって、最近では狙い通りの場所に巻きつけることが出来るようになってきた。あとは切るタイミングと角度の問題らしい。
例えば今手にしている缶詰なら、もう苦もなく切れるようにはなったのだ。
なんてことは英雄には絶対に言えない。
「あの日、ほとんど一日中一緒にいたから。気絶したお前運んでくれたのもセレンだったし」
ふうん、と英雄は生返事をした。まずい、疑われてるかもしれない。
「そういやプレゼント何買うんだ?」
強引に話題をそらす。
英雄にとって禁句だったらしい。見る見る不安気な顔になった。
「なにがいいと思う?」
「…さあ」
「一緒に買おうか、クレバス」
「だめ」
オレはもう決めたから、というと英雄は「そんなあ」と途方に暮れた声を出した。
「なんにするんだい?」
「ノーヒント。こういうのは自分で考えなきゃ駄目なんだぞ」
「今まではハンズスと共同購入だったからなあ」
チョイスもハンズス任せだったのか、英雄はがりがりと頭を掻いた。
どうも困ったときの癖らしい。
とりあえずスーパーであらかたのものを手に入れた。
戦利品を抱え込んで道を歩く。大きな荷物を抱えた英雄は前が見えるんだろうか。荷物に持たれてると言ったほうが正しそうだ。
「車で来ればよかったかな」
ちょっと後悔したように英雄が言った。
「オレまだ持てるぜ?」
「いや、僕がもう止まれない…バランスを崩しそうだ。あ」
言ったそばから英雄が立ち止まった反動で、缶詰がひとつ袋から転げ落ちた。
カンと音を響かせて転がるそれを追いかけて拾い上げる。英雄はまだそこに立ち止まったままだった。
ジュエリーショップのウィンドウ。黒をベースにしたエレガンスな装飾の店構え、とでも言えばいいんだろうか。とにかく高そうなその雰囲気に、紙袋をかかえた英雄は完全に浮いていた。
「英雄?」
英雄がじっと見ていたのは、ウィンドウに飾られた小さな指輪。
ダイヤが一つ一つの花びらを模して小さな花を作っていた。少し子供っぽいデザインだけど、マージにはよく似合うと思う。
「きっとよく似合う」
英雄が微笑んで、すたすたと歩き出した。
「買わないのか?」
「指輪はね」
恋人からもらうものだよ、と英雄は振り向かずに歩いていった。
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