DTH

 場所が森ではなく小さな集落だったのはオレにとってラッキーだったかもしれないと少し思う。
 30分たったら犬を放すとダルジュは言った。
 それまでに逃げるなり、隠れるなりすればいいと。
「時間制限はない。お前か犬、どっちかが死体になるまでだ」
 それを見て賭け事をする悪趣味なやつらがいるからせいぜい楽しませてやるんだな、と吐き捨てるように付け足した。
 アスファルトは乾いて、風で運ばれてきた砂がうっすらと積もってる。いつも歩いてる道も、誰も通らないとこんなカンジになるのかもしれない。建物に人気がまるでない。手近なビルのドアに手をかける。鍵がかかってるみたいだ。
 ちょっと考えてから、失礼して石でガラスを割る。この際マナーを気にしている場合じゃないだろう。
 建物の中はがらんとして、何年も空気がこもっているようだった。歩くたびに足音が響く。
 英雄と初めて会った廃墟を思い出す。
 あそこも中はがらんどうだった。
 英雄…。
 ビデオを見て、ようやく少しだけ、英雄が抱えているものがわかった気がした。
 それを思うと、オレは随分無責任なことを英雄に言い続けてきた気がする。
 誰よりもあの状況を嫌がっていたのは英雄本人なのに。
 小さく唇を噛む。ここを出られたら謝ろう。出られるかどうかわからなけど。
 
 遠くサイレンの音が聞こえた。開始の合図だ。
 
 犬の武器ってなんだろう、と昨日オレは考えた。
 速く走る足と、ニオイを嗅ぎ分ける鼻。
 オレの武器ってなんだろう、とも考えた。
 犬に出来ないこと、オレに出来ること。
 階段を上がるのは犬にでも出来る。目もいい。鋼糸が張ってあっても、気づくだろう。
 じゃあ、飛び越えたその先の着地点にトウガラシの粉末がたっぷり敷いてあったら?
 敏感な鼻と、目。一時的とはいえ利かなくできるかもしれない。
 オレが通ってきた道から、キャインという鳴き声がした。トウガラシのトラップに数匹くらいはかかってくれたらしい。
 それから勢いよく駆ける爪音。
 角から、犬達が現れた。図鑑で見たことがある、ドーベルマンだ。思ったよりずっと大きい。多分立てばオレよりも。負けるかもしれないと一瞬ひるんだ。
 距離が縮まる。
 オレに出来て、アイツに出来ないこと!縦横の切り替え!
 犬が飛び掛かろうと宙に飛んだ瞬間に、横の窓を開けて部屋に飛び込んだ。犬の牙がパーカーを掠める。そのままオレは室内に着地すると、窓を閉めて鍵をかけた。犬達が窓を引っかく音がするのを背で受けたまま部屋を通過して、反対側の通りに出る。
 後ろで、犬が窓を割った音がした。体当たりしたらしい。思ったよりよっぽど速い。
 道を横切って、次の建物へ。元雑貨屋だったらしいそれは、オープンな作りの店構えだった。
 チリペッパーを撒きながらそこに入る。
 はしごで2階に上がるレトロな作り。はしごに登りきると、そのままそれを蹴倒した。犬達が下で吠え立てる。
 一息はつけそうだ。
 はーっと息を吐く。
 心臓がばくばく言ってる。
 たったこれだけ、まだ始まって数分なのにすごく疲れた。英雄はいつもこんなことをしてるのか。
 2階も窓ガラスを多めにとってあって、ああ、景色が良く見える。隣の店の屋根と同じくらいの高さで…って。
 体躯のいいドーベルマンが隣の店の屋根に現れた。
 どうやら休憩などないらしい。
 慌てて、別の窓から外へと飛び出す。ほぼ同時にさっきまでオレが居た場所に犬が突撃してくる音がした。2階なんだから飛び降りるくらいどうってことはない。着地で足が痛かったけど、なんとかなった。次の建物に行こうと、顔を上げて硬直した。進もうとする狭い通路の先に犬が居る。
 反対側にも。挟まれた。
 じり、と2匹が距離を詰める。どうしよう。
 雑貨屋の1階には別の犬がいるはずだ。窓から逃げる手は使えない。
 くそ。
 右手の鋼糸を構える。
 いずれやらなきゃ帰れないなら、今。
 覚悟を決めた時、犬達が飛び掛ってきた。
 モーションに入ろうとした瞬間、ふわりと後ろから抱きかかえられて、雑貨屋の窓に引き込まれた。両手で救い上げたオレを片手に抱きなおして、犬に向けて銃を撃つ。見覚えのある横顔。黒い髪にサングラス。犬達が倒れる前にぴしゃりと窓を閉めた人物。
「英雄!」
「とんだハイキングがあったもんだな?クレバス」
 見れば、室内にいたはずの犬は皆倒れていた。あらためて見ると、相当でかい。
「そばに寄らないほうがいい。麻酔弾だ。いずれ目を覚ます」
 おいで、と英雄に手を引かれて、別のビルに入った。奥まった場所にある、密室に近い部屋に入り込むと、英雄はドアを閉めて鍵をかけた。外から爪で引っかく音と唸り声がする。
「集落の情報は手に入れてきた。ここは更衣室だったようだよ。小さな窓はあるがあの犬は入れない」
 英雄の言葉にほっとして座り込む。
「アレクに礼を言うんだな。君がダルジュに連れて行かれたと家に駆け込んで来たんだ」
「アレクが!無事だったの!?」
「肋骨にヒビが入ってるようだったから、今医者に診てもらってる。大丈夫だ」
「よかった…」
 ほうっと息をもらす。アレクにも、後で謝らなきゃ。
「さて、後は帰るだけだな」
 英雄がそう言った瞬間、耳障りな音がして、集落全体に放送がかかった。声が相当割れているが喋っているのはダルジュだ。
『よう、いい場所に逃げ込んだな。おぼっちゃん』
「ダルジュか」
 英雄がさして面白くもなさそうに言った。
『そのままバックレなんてのはナシだ。折角飛び入りのゲストも来たことだしな。実はビデオはまだある。マスターテープは北の…』
「ビデオ?」
 ダルジュの言葉に英雄が反応したのを見て、肩をすくめる。気まずそうに手を後ろで組んで、そっと鋼糸と皮の手袋をはずすとポッケにしまいこんだ。もう遅いかもしれないけど。
「クレバス、まさか」
「見たよ。壊した。これに出れば、くれるって言うから」
 英雄が静かにこめかみを押さえた。
「あんなもの、あるから英雄困るんだろ!?なければ、マージとだって…」
 オレの言葉に英雄は首を振った。ああ、君はまだ子供だったねと呟いて膝を折ると、オレに目線を合わせた。
「覆らないんだよ、クレバス。ああ、なんて言えばいいのかな。例えば、ビデオがなくなったとしても、僕が養父を殺した事実は変わらない。マージが記憶を失ったままだとも限らない。僕のついた嘘が、消えるわけじゃない。だから、なにがあっても覆らないんだ。僕とマージは」 
 英雄はひとつずつ慎重に言葉を選んでオレに話した。
「兄妹だ、永遠に。」
 言葉が胸に刺さるようだった。刺さった場所がひどく熱い。
 だってそれじゃ、そのままじゃ。
 言葉がうまく形にならない。悔しくて、唇を噛み締めたまま下を向くとぽろぽろと涙が零れた。
 英雄はしばらく黙ってオレを見ていたが、
「だから君はこんなことをしなくていいんだ」
 そういうと英雄は黙ってオレを抱きしめた。オレは頭を摺り寄せて、英雄に手を回した。
 人のぬくもりって、どうしてこうあったかいんだろう。
「ビデオは、何パターンもあるんだ。あの時確認できただけでカメラは3つあった。それにダビングを重ねたらキリが無い。なにより怖いのは、それが意図的に編集されてマージのところへ届くことだ」
 耳元で言うにはおよそ不釣合いなことを英雄が囁いた。
「編集?」
「例えば、アングルを切り替える。マージ自身が映らないようにする。加えて、順序を入れ替える。初めに到着した時ダルジュを睨んだ。それを編集して、睨んだ先が養父であるように錯覚させる。かくして自分の意思で養父を殺した英雄の出来上がり、だ」
「…きっとマージは信じないよ」
「それでも映像のインパクトは計り知れない。苦しむだろうね。嫌な話だが」
 ぐ、と一度だけ力を込めてから英雄は身を離した。
「いつか断罪の日が来る。結末は最低だと決まりきってる。それでいいんだ」
 これは僕のエゴだから、と英雄は立ち上がった。
 それから、ちょっと決まり悪そうに頭を掻いて、
「心配をかけてごめん。それから、ありがとう」
 ぎこちなくそう言って、英雄は微笑んだ。
Copyright 2005 mao hirose All rights reserved.