DTH
「俺は…!ようやくお前の役に立てたのかと、そう思って…!!」
殴られた英雄は口を切ったらしい。唇の端から血を滲ませたままうなだれて、ハンズスと目を合わせようとはしなかった。
「夢だったじゃないか、警察官」
英雄が言った言葉にハンズスが逆上した。
「お前を踏み台にして喜ぶとでも思ったのか!!」
英雄がうつろに視線を彷徨わせた。瞳が、暗く鈍い光を放つ。心を閉じているのが嫌というほどわかる拒絶の目だった。
「お前は、結局…誰にも心を開かなかったのか…?お前にとって、俺達ってなんだ…?」
ハンズスが苦しそうに呻いて、英雄を手放した。反動で英雄はそのまま壁にもたれて力なくずり下がる。
ハンズスは、そんな英雄を――それでもハンズスを見ようとはしない英雄を――痛ましそうに見て、それから部屋を出て行った。
オレは英雄に駆け寄った。
今、このままハンズスを帰したら、きっと取り返しのつかないことになる!
「英雄!」
口端の血を手で拭いながら、英雄は空ろに呟いた。
「…俺たちってなんだ…だって…?決まってる、家族だ。かけがえのない、家族だ」
瞳に涙があふれる。オレを映してもいない。ハンズスの足音が遠ざかって行く。
英雄が小さく咳き込んだ拍子に、血が手の甲に飛んだ。
「…守りたかったに決まってる…!!」
英雄はきつく胸を押さえて崩れ落ちた。ぐったりと汗をかいて、呼吸がひどく浅くて速い。
「英雄?」
返事の変わりに小さなうめき声が返ってきた。苦しげに胸をかきむしる。様子が変だ。
「ハンズス!」
反射的に叫びながら玄関を飛び出す。丁度車のキーを解除したところだったハンズスは、オレの声に振り向いたときまださっきの険悪な雰囲気を引きずっていた。気配に棘がある。
「英雄が…!」
それ以上なにも言わなかったのに、ハンズスは察してくれた。
室内に駆け込むと、倒れた英雄を手早く抱えて、シャツのボタンをはずした。
「ハンズス」
英雄が呼吸の合間にハンズスを呼んだ。
「黙ってろ」
ハンズスが英雄の脈をみる。手首に触れるハンズスの手を、英雄は握ろうとしたらしい。ぴくりと力なく英雄の指が動いた。それだけでもつらいらしく、口からため息が漏れる。
「…行かないでくれ、ハンズス」
うわごとのように英雄が繰り返し呟いた。呼吸にあわせて胸が上下する。すごく苦しそうだ。
「頼む、行かないでくれ…」
英雄の目線が彷徨う。そこにいるハンズスがわからないみたいだ。
「馬鹿、ここにいる」
英雄の手を握ってハンズスが言った。ハンズスの言葉が届いたのか、英雄はうすく笑って目を閉じた。呼吸がだんだん落ち着いて、やがて寝息に変わっていくと、さっきまでの様子が嘘みたいに眠り始めた。
「救急車、呼ぶ?」
「いや…落ち着いたみたいだ。大丈夫」
ハンズスはそのままそっと英雄を床に寝かせた。
オレは毛布を持ってきて、かける前に英雄の手をタオルでふいた。
「それは?」
ハンズスが聞いた。
「ハンズスが出てった後に咳き込んだら吐いて。口の中切ったみたいだ」
「口の中を?」
ハンズスは意外そうだった。しばらくなにかを考えて、それからオレに聞いた。
「前にもこういうことが?」
首をふった。
「初めて。…なに?」
もしかして、病気?
「いや…ストレスによる過呼吸、かな。もう大丈夫だ」
ハンズスは言って、いつもの笑みでオレの頭を撫でた。
玄関までハンズスを送って、ハンズスが出て行くときにおずおずと声をかけた。
「あの、ハンズス。英雄のこと…」
ハンズスは背を向けたまま大仰にため息をついた。
「あ〜あ、仕方ないなあ」
台詞が演技がかってる。目を丸くするオレにくるっと向き直ると、満面の笑みで答えた。
「あいつは俺がいなきゃまるでダメなんだから」
「じゃあ!」
目が覚めたら電話するよう言って、ハンズスは出て行った。
嬉しさで胸が一杯だったオレは知らなかった。その時英雄は目を覚ましていて、オレ達に聞こえない程度に小さく咳き込んだこと。その音を押さえ込んだ毛布に、新しい血がついてたこと。
それはもう、殴られた時のものなんかじゃなかったのに。
オレは、まるで気づかなかったんだ。
第13話 END
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