DTH

 一番近いのが英雄の家だったから、とりあえずオレ達はそこに行くことにした。
 動揺の激しいマージのために紅茶を淹れる。あんまり英雄は好きじゃないけど、マージ用にと置いてある紅茶。英雄は昔、コーヒーよりも丁寧に紅茶の淹れ方を教えてくれた。
 マージにカップを差し出すと、「ありがとう」と小さく言って受け取った。
 一口、こくんと飲む。
「…おいしい」
 わずかに微笑みが戻ったようだった。
「よかった。ハンズスも同じでいい?」
「もちろん」
 マージが笑ったことで、ハンズスも少し安心したみたいだ。
 ゆらゆらと揺れる琥珀色の紅茶を見ながら、マージが呟いた。
「あれは、伸也君だったわ」
「え?」
 ハンズスが聞き返す。
「お父さんの友人の息子さん。前に…もっとずっと小さな頃に何度か会ったことがあるわ」
 きゅ、と小さく唇を噛んでマージは顔を上げた。
「こないだここに遊びに来たばっかりよね?クレバス君」
 来た。
「…うん」
 ハンズスにカップを渡しながら答える。ハンズスの目が本当か?と問いかけていた。
「由希子さんと電車に乗るのを英雄と見送ったよ」
「その後は…?」
 マージが震える声で尋ねた。
「なにがあったの?どうしてナイフなんか…」
「マージ、よさないか。クレバスは子供だ」
 オレを質問攻めにしようとしたマージをハンズスがたしなめた。
 マージはなにか言いたげにハンズスを見て、それから、
「そうね…ごめんなさい」
 とオレに謝った。
 謝ることなんてないのに。
 マージがつらそうな顔をしているのに胸が痛む。
「マージ…」
 声をかけると、マージは無理矢理微笑を作って答えた。
「ごめんなさいね、クレバス君。あなたもショックなはずなのに」
 黙って頭を振る。
 謝るのはオレ達のほうだ。こんなになっても、まだマージになにひとつ話してない。
 
 玄関の方から物音がして、やがて英雄が姿を現した。
 大きくため息をつきながら居間に入ってきて、「逃がした」とだけ告げた。
 肩からのわずかな出血はとっくに乾いてて、黒く変色している。
「傷口を」
 ハンズスが立ち上がって、英雄に座るよう促した。
「左肩から袈裟懸けに切りつけられたけど、身を引いたから切られたのは肩口くらいだ。大した傷じゃない」
 英雄が言いながらコートを脱いだ。
 ちら、とマージを見ると「着替えてくる」と言って2階へ上がっていった。ハンズスが慌てて後に続く。多分、マージに傷口を見せたくなかったんだ。
 マージは、黙って紅茶のカップを睨んでた。しばらく、そうしてたと思う。
 やがて意を決したように立ち上がると、マージは2階へと向かっていった。
「マ、マージ!?」
「クレバス君はそこにいて!」
 普段のマージらしくなく、ずかずかと階段を上がるその後姿が怖かった。怒ってる。間違いなく。
「英雄!」
 マージがノック無しに英雄の部屋のドアを開けた。
「マージ!?」
 傷を看ている最中だったらしいハンズスと英雄の驚いた声が聞こえる。いや今は治療中だから後でまたという情けない弁明が聞こえてきたが、マージは無視した。こっそりとマージの後ろについて部屋の中を覗き込む。英雄が慌ててシャツを羽織るのが見えた。
「伸也君となにがあったの?」
 怒鳴るわけでもない、真剣に聞いているような声だった。
 今度こそ、ごまかしきれない。
 英雄は、答えることにしたようだ。シャツを羽織って胸元を手で押さえた状態のまま、マージに向き直る。
「…旅行日程が終わっても、由希子さんと連絡がつかなかった。おかしいとは思っていたんだ…」
 マージは黙って英雄の返事を聞いていた。
「…シンヤが今いるのは、かつて僕がいた組織だ」
 マージが小さな悲鳴を漏らした。
「僕は彼を取り戻さなきゃならない」
 英雄は静かにそう言った。
「どうして、英雄がしなきゃいけないの…?」
 マージが聞いた。
「警察だって、ハンズスだっているじゃない…!英雄はもう普通の人でしょう?どうして英雄がしなきゃいけないの?」
 英雄が目を閉じた。
「僕のせいだからさ」
 再び瞼が開いたとき、そこには冷たい光が宿っていた。
 唇が自嘲に歪む。
「マージの知らないことはたくさんあるんだよ」
「じゃあ、今言えばいいじゃない!」
 マージが叫んだ。
「言えばいいじゃない!どうしていつも何も言ってくれないのよ!」
 英雄は少し困ったように笑って、マージに歩み寄った。
「いつ、言おうかずっと迷ってた。…今回のことはいい機会になったと思う。僕はいつだって君を困らせてばかりだったね。ごめん」
「英雄…」
 マージが英雄を見つめ返した。
 英雄がマージになにかを手渡す。
 開いたマージの手の中にある、それは鍵だった。マージの家の、かつて英雄と住んでいたあの家の。

「家族ごっこは終わりにしよう、マージ」
 いつもとどこも変わらないような微笑で、英雄は告げた。

「な…に、言ってるの…?」
 マージの声が震える。
「英雄!」
 ハンズスが声を上げた。
「黙っていてくれ、ハンズス。身内の話だ」
 英雄が切り捨てる。
 納得いかないというハンズスを一瞥して、英雄はマージに向き直った。
 マージは、瞳にいっぱい涙をためたまま、英雄を見た。英雄がそれを真っ向から受け止める。
 睨んでいるかと思ったマージの視線は柔らかく、唇は微笑んでいた。
「英雄…、やっぱり、わかってない…」
 マージが瞬きしたせいで、瞳から涙が零れ落ちた。
 どうしようもない、というように目を閉じて、マージは小さく首を振った。
 黙って英雄の手を取って、鍵を持たせると、ゆっくり指を閉じさせていって、握らせた。
「家族は、そうやって辞められるものじゃないの…あなたが、そう、思わなくても」
 マージが英雄の手を握り締めたまま、英雄を見上げて微笑んだ。
 泣いているのに笑ってる。すごく哀しそうな表情だった。
「あそこは、あなたの家だし、私は、あなたの家族だわ。…帰ってきて。いつでも」
 いつでも待ってる、と言ったマージは、耐えられないというように泣き出した。
「今日は…もう、帰るわ。ごめんなさい」と小さく呟いて、部屋から出て行く。
「マージ!」
 ハンズスが追いかけていった。
 英雄はそれを黙って見送っていた。止めもしない。
「英雄…」
「今はなにも言わないでくれないか、クレバス」
 見上げると、英雄が苦渋に満ちた表情をしていた。
 窓の外を睨むように見えたその視線は、ガラスに映った自分に向けられたものかもしれない。

 羽織っただけのシャツの間から、英雄の胸の傷が見えた。
 アレクと同じ無機質な数字が並んでる。
 その上にこそげ落とそうとしたような傷跡がついていた。

『家畜の証みたいだろ』

 英雄の葛藤を、垣間見た気がした。


第20話 END
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