DTH

 真っ白な船内をさまよう英雄は、迷子のようでもあった。
 歩いた後に血痕がぽつぽつと落ちていく。
 足取りがひどく不安定で、何度もよろけるのに、それでも歩くのをやめようとはしない。
 怯えきった瞳で、震えながら、なにかを言う。
 自分の手を見て、ゆっくりと握り締めて、英雄は歯を食いしばった。
 呻くように嗚咽をもらして、それからきつく目を閉じる。泣きたいなら泣けばいいのに、涙が出ないみたいだった。
 ひどく哀しそうな顔をしたまま、また、英雄がなにかを言った。
 動く唇を無音のモニターが映し出す。
 それを見たオレは反射的にボートを飛び出した。客船の窓によじのぼって、船内に戻る。
「クレバス!」
 アレクの声がする。
「戻りナサイ!」
 タイミングを逃したアレクは追ってこなかった。ボートが離れていくのが小窓から見える。
 構わずに階段を数段飛ばしで駆け登って、通路を走る。
 英雄が、なんて言ったのか、わかる。
 もう何千回と聞いた言葉だから。
 英雄は。
 あの最低な場所に居る英雄は。


 オレを、呼んだんだ。


『先輩は人とは違うんだって教えてあげる。
 わからないでしょう?人の気持ちが。
 心の機微が。それは先輩が人じゃないからだよ。ただの機械だから』

 あそこで作られた人の形をした機械だからだよ。

 ガイナスの高笑いが聞こえた気がした。
 英雄は、確かに疎かったけど、でもいつもそれで悩んでたじゃないか。
 わからなくて、わかろうとして、それでも理解できないことに悲しんで。
 だから、
 だから、
 胸を張っていいんだ、英雄。
 心がないなら初めから悩んだりしないんだから…!

 いくつかの角を曲がると、通路の先に英雄の姿が見えた。
 左肩を壁に預けながら通路を歩いている。途切れがちの血痕が道しるべのように続いてた。
「英雄!」
 叫びながら駆け寄る。
 英雄は一度振り向いて、オレを見たのにまた背をむけて歩き始めた。
 進もうとして目の前の景色の違和感に気づく。
 なにか…ある。
 そっと手を出すとなにかに触れた。
 透明な、壁…?
 なんでこんなとこに。
「英雄!」
 名前を呼んで壁を叩く。
 聞こえてるはずなのに英雄は振り向きもしない。
 オレに背を向けたまま歩き出す。
「英雄!」
 オレを呼んだじゃないか。
 あんな顔して、呼んだじゃないか。
「くそ!」
 壁はオレの力じゃびくともしない。こんなに薄いくせに!
 見上げて、煙が向こう側にも流れていってるのに気づく。
 隙間が、ある…?
 だったら。
 手の中に鋼糸を躍らせた。
 英雄の背中が小さくなる。
 こんなもの!
 勢いをつけた鋼糸は、間違いなく壁を切り裂いた。
 ガラスの割れるような耳障りな音に英雄が振り向く。
 オレがそこに立っているのを今度こそ認めたようだ。
「クレバス」
 呆然としたように呟く。
「迎えに来たぞ、英雄」
 手を差し伸べると、英雄は泣いているのか笑っているのかわからない顔をした。
「ごめん」
 なんでかオレに謝る。
 言う歯の根がかみ合ってない。怯えたような、泣きそうな顔で、かちかちと音をさせながら、それでも無理に笑顔を作って、英雄は言った。
「約束…守れなかった」
 それだけ言うと、英雄はオレに背を向けて歩き出した。全身が小刻みに震えている。
「英雄…」
 オレの声に振り向きもしない。
 手をとろうとすると手首だけで器用によけた。
 それだけで辺りに乾きかけの血が飛ぶ。
「赦さないでくれ、クレバス」
 僕がダメになる、と言って英雄は歩き続けた。
 それがなにかの罰のように。
 英雄は立ち止まろうとはしなかった。
 その痛々しい後姿を眺めて、足を止める。
「英雄!」
 勢いをつけて腕に抱きついた。
 英雄がびくりと揺れて立ち止まる。
「汚れるよ」
 なだめるようにオレに言う。オレは英雄の腕を掴んだまま叫んだ。
「いい!」
 英雄の手についていた血がべっとりと頬についた。構うもんか。
「仕方ないな」
 英雄がどうしようもなさそうに呟いた。声が震える。
「汚れて、しまうじゃないか…」
 英雄の声が静かに途切れた。
 壁に頭をもたれさせて、オレから表情が見えないようにして、多分、英雄は涙した。
 オレはその手の震えが止まるまで、絶対に離さなかった。


 やがて、遠くから地響きのような音が聞こえて、船が揺れた。
 新しい黒煙がこの通路にも流れ込み始める。
 オレが小さくむせると、英雄はオレを見た。
「行かなきゃな。船が沈む」
 そう言って、オレの頬についた血を拭って笑う。
 もう、いつもの英雄の顔だった。
 
 甲板に出ると辺りはもう黒煙の壁で、ちろちろと火の手が見える。
 港も、アレクが乗っているはずのボートも全然見えない。
 またどこかで爆発があったのか、衝撃がして船が傾いた。
 英雄が壁につかまりながらオレを支える。黒煙が甲板すら覆いつくす勢いでせまってきた。
「これで生き延びたら、本当の死神だな」
 英雄がぽつりと呟く声にあわせて、空からエンジン音がした。
 ヘリだ!
 見上げると一機のヘリが黒煙の合間に見えた。
 ヘリのドアが開いて、ハンズスがなにか叫ぶ。
「ハンズスだ!」
 オレが言うと英雄が呆れたように言った。
「職権乱用が過ぎるんじゃないか」
 つかまれ、と叫んでハンズスが救助ロープを投げた。
「手抜きだ」
 英雄が苦い顔をする。
「時間がない!二人一度に来い!」
 ハンズスの声が聞こえる。
「こういうときはね、普通レスキューの人間も降りて来るんだよ。危ないから」
 だいたい普通ならロープの巻き方だって知らないんだぞと言いながら、英雄がオレの体に救助用のロープを巻いた。
「ん」
「どうした?」
「煙、目に入ったかも」
 ごしごしとこする。ダメだ目が開かない。
 英雄が仕方なさそうに笑った。
「さ、行くぞ。つかまって」
 手を伸ばして英雄にしがみつくと、英雄は驚いたように一瞬体を強張らせた。
 それから、恐る恐るといった風情でオレを抱きしめて、大事そうに頬を摺り寄せる。
「僕が死んだら、泣いてくれる?」
「え?」
 声が、あんまり寂しそうでオレは顔を上げた。
 英雄が合図を送ったんだろう、体が引っ張られ始める。
 英雄は見上げるオレをやさしく見つめて、額に唇を落とした。
 初めての、キスだった。
「さよなら」
 持ち上げられる体が、なぜか英雄から離れていく。
 オレは初めて、ロープが自分の体にだけ巻かれているのに気づいた。
「な…!」
 英雄が名残惜しそうに握っていた手を離す。
 それだけでオレの体は宙に上がって、どんどん英雄から遠ざかった。
「バカ!なに考えてんだ!!」
 煙にむせながら叫ぶ。
 英雄は綺麗な笑顔で手を振っていた。
「バカ、英雄…!!」
 視界に見る間に黒煙が広がる。英雄が見えない。
「ふざけんな―――――――――!!」
 大声を出した瞬間に煙を吸い込んでオレはむせた。
 げほげほと咳き込みながら、ヘリに回収される。
 オレを抱きとめたハンズスが一瞬苦い顔をして叫んだ。
「もう一人いる!もう一度行くぞ」
「無理です、熱風と黒煙でこれ以上は…!」
 操縦者の返事にハンズスは食い下がろうとして、オレを見る。
 咳き込むオレの頭を撫でて、船を睨んだ
「あの馬鹿!」
 船は黒煙に阻まれて、もうその姿を確認することも出来なかった。


第26話 END
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