空中で絡まった鋼糸が張り詰める。
糸を引ききれない。力が足りない。
雨粒が透明な糸にそって滑り落ち、見えないはずの軌道を示していた。
「なかなかやるじゃないか」
セレンが英雄から手を離して立ち上がる。
ゆっくりと指を折ってから、セレンが勢いよく腕を引く。
と、同時に体が引っ張られた。
バランスを崩す。糸ごとセレンに引き寄せられた。
「うわ…!」
セレンが手を伸ばす。捕まる…!
目を閉じた瞬間、乾いた音がして糸が切れた。
セレンの手をよけながら転ぶ。そばの水溜りに突っ込んだ。泥水があたりにはねる。
「アレクか」
切れた糸を見ながらセレンが言う。
まだ煙をあげる倉庫の屋根を見ると、炎を背に銃を構えるアレクが見えた。
「アレク!」
無事だったんだ。良かった。
かちりという撃鉄を起こす音に、オレの顔から笑みが消えた。
英雄が、いつの間にかコートから新たな銃をとって、セレンの後ろに立っていた。後頭部に狙いを定めてる。
「…セレン」
英雄が言った。
「僕の気持ちはあの日と変わらない。君達の誰一人、置いていく気はない。だから…」
穏やかな英雄の声は、雨音に負けることなく響いた。
セレンの前髪から雫が垂れた。顔にどこか疲れたような笑みが浮かぶ。
「頼む」
英雄が言い切った。言葉とは裏腹に厳しい顔をしてる。セレンにもそれは伝わったらしい。
「撃つ気、だな」
セレンが言った。
「今の僕は、撃てる」
雨が一層激しくなった。
「頼む。答えを」
セレンが英雄を振り返った。いつもの余裕な笑みで言葉を紡ぐ。
「NO」
ためらいなく英雄が撃った。
「クソが!」
ダルジュが飛び込む。セレンの腰にタックルするようにして、横倒しにした。なびいたセレンの銀髪に、英雄の銃弾が掠める。
「英雄!」
オレが駆け寄ると、英雄は黙って銃を構えなおした。
「英雄、なんで…」
「話してもわかる気がないんだろう?だったら」
英雄の息が上がっていた。雨が絶え間なく英雄の肌の上を流れる。
「だからって!」
「時間がないんだ」
そう言って英雄は顔を上げた。視線の先に、馬乗りになったダルジュに胸倉をつかまれたセレンがいる。
「ひどいじゃないか、泥まみれだ」
いたく不服そうにセレンが言った。
「何言ってやがる!ふざけた真似しやがって!死ぬ気かよ!」
セレンは怒鳴るダルジュを不思議そうに見た。
「なぜ怒る?私はお前を本気で殺しても悔いはしまいよ」
「俺が知るか!!」
ダルジュに毒気を抜かれたような顔をしたセレンは、英雄に視線を向けた。そばにいるオレを見て、目を細める。
「てめぇも銃を下ろせ!」
ダルジュがこちらを向いて叫んだ。と、英雄の様子を見て動きを止める。
ダルジュの視線をたどるように、英雄を見上げた。英雄の顔色がひどく悪い。右手は銃を構えたまま、左手が自分の胸を掴んでいた。食いしばった歯の間から、荒い息が漏れる。
「英雄…?」
様子が、変だ。
するり、と英雄の右手から銃が零れ落ちた。そのまま両手で胸をかきむしるようにして、ゆっくりと崩れ落ちた。
「英雄!」
倒れる英雄に駆け寄ると、英雄がオレに手を伸ばした。
とん、と。
まるで近づくなと言わんばかりにオレの肩を押す。
それは、一瞬のことだったけど、肩に残る感触が気のせいじゃないと告げる。
なんで…?
信じられないと思いながら英雄を見る。倒れたままの英雄は、動こうとはしなかった。
「おい…?」
ダルジュが不審そうな声を出す。緩んだその手をセレンが外して立ち上がった。ぬれぼそった前髪をかきあげて英雄に近づく。
「よく動いたほうじゃないか」
「え…?」
セレンの言ってる意味がわからない。
英雄の傍で立ちすくむオレにセレンが手を伸ばした。頬の泥を落とすようにこすりながら
「ずいぶん汚れたな」と呟く。
「セレン…」
セレンはオレに答えずに英雄を担ぎ上げた。英雄はぐったりとして動かない。
「この子は私が連れて行こう。あの生真面目な坊やのところでいいだろう?君は後からダルジュにでも送ってもらえばいいさ」
「はあ?」
抗議の声を上げたのはダルジュだ。
「そうそう、シャワーを浴びてからおいで。風邪を引くよ」
セレンはそう言って英雄を担いだまま背を向けた。
「おい!」
ダルジュの抗議に片手を降ってみせる。その手が、倉庫の屋上を指差した。
「あれも連れてくるといい」
アレクのことを言っているらしい。
そのままセレンは英雄を連れて行った。
「なんなんだ、くそ」
ダルジュが吐き捨てる。オレを見て、ため息をついた。
「あいつ、前もあったのか?」
「…一度だけ…ハンズスは、ストレスじゃないかっていったけど」
英雄が倒れたことよりも、駆け寄って拒絶されたショックのほうが大きかった。
雨が小降りになっていく中、肩の感触がいやに重い。
それはなんだか、この先の未来を暗示しているようにも思えた。
第30話 END