DTH

 シンヤがオレを振り返った。
 あの日以来だ。変わらない黒い髪、絶望に塗りこまれたような黒色の瞳。
「貰っていくぞ。父さんの指輪」
 言われて、オレは思い出した。
 かつて由希子さんが英雄に依頼したこと。シンヤの父さんの指輪の探索。
 それを、英雄が…?
『僕じゃなきゃ意味が無いんだ』
 ずっと探してたのか。
「あいつ、死ぬんだな」
 シンヤが英雄のいる居間を見ながら言った。
「ああ」
 答えたオレを正面から見据える。
 なにか言おうと口を開いたとき、ガイナスがバイクのアクセルをふかした。
「ちょっとぉー、なにやってんの?行っちゃうよ〜?」
 わかった今行く、とシンヤが答えた。それからもう一度オレに向き直る。
「オレはあいつと行く。多分、今は俺が必要だろう」
「そう、なんだ」
 別れを言うべきなんだろうか。少し迷った。
「この街には二度と来ない。いやなことが多すぎた。でも…」
 シンヤが告げた。
「もう一度、笑えるようになったら」
 ざわりと風が吹く。心を揺らすような風だった。
「お前に会いに来る」
 そう言ったシンヤは、少し笑った気がした。
「ああ!待ってる!」
 オレはシンヤ達の姿が見えなくなるまでずっと手を振っていた。
 

「そうか、ガイナス達は行ったか」
 カウンターの向こうでセレンは満足げに微笑んだ。夜の”Green&Green”は相変わらずの繁盛ぶりだった。深海を連想させる、黒と青のゆるやかな空間に、オレ達の他にもいる客のシルエットが見える。バックミュージックはダルジュの奏でるピアノだ。
 一時死線を彷徨ったダルジュは、それでもこちらに戻ってきた。英雄がそれを聞いたとき、心底ほっとした笑顔をみせたのを覚えてる。
 英雄がカクテルに口をつけながら言った。
「…セレン、もしかしてガイナスに生きてるって言ってないんじゃ?」
「はあ!?」
 言われたことが意外すぎて大声を出してしまった。
 店内の怪訝な視線を一心に浴びながら、慌てて口を押さえこむ。
 小声でセレンに問いただした。
「言ってないの!?」
「言う必要があるのか?」
 セレンがしれっと答えた。
「あの子のことだ。知ればまた我侭になるぞ」
 セレンはどこまでもセレンだ、と英雄がいつか言ったっけ。くらくらと眩暈がする。
「それでいいのか?」
 英雄が聞いた。
「お前に言われるとは心外だな」
 セレンが肩をすくめた。
「いつか会えるかもしれない。それで十分だ」
 そう言うセレンの唇が、優雅な笑みの形を描いた。


 それから。
 一日の大半をベッドで過ごすようになった英雄は、ある日オレをベッド脇に呼んだ。ハンズスに席を外すよう頼む。改まった話なんだろうか?
「なに?」
「これを」
 半身を起こした英雄が手を差し出した。手を出して、そこに手渡されたもの。
 ――――――鋼糸。
 慌てて顔を上げる。英雄が困ったように微笑んだ。
「いつか君が闘うときに必要になるかもしれない」
「だって、英雄…」
 あんなに嫌がってたじゃないか。オレが武器を持つの。
 言おうとしたら、察したらしい英雄が告げた。
「僕はもう守れないから」
 頭を殴られた気分だった。
「ごめんね、クレバス。もうじき傍にいられなくなる」
 目の前が暗くなる。英雄の言葉が遠く、聞こえなくなるみたいだ。
「僕は死ぬ。その覚悟をしてほしい」
 いいや、聞こえる。はっきり見える。だけど、理解したくない。
 オレはなんて答えたんだろう。
 気づけば英雄の部屋の扉の外で、鋼糸を握り締めていた。


 英雄は、オレが学校を休むことを絶対に許さなかった。むしろ休日すら「友達と遊んでおいで」と外に放り出す。
 一度ハンズスが抗議をしているのを耳にして、思わず廊下で足を止めた。
 意識が耳に集中する。
「英雄、クレバスはお前のそばにいたんだぞ」
 ハンズスが言い含めるように言った。
「わかってるよ」
 むくれたような英雄の返事。
「でも、それじゃだめだ」
「なぜ」
「四六時中僕のそばにいたら、まるでそれが彼の世界の全てのように錯覚してしまうだろう?僕はその中の一部でしかないのに」
 立ち直るスピードがまるで違うはずだと英雄は言った。
「本当はそのまま彼が壊れたとしても縛り付けていたいけどね」
 そう思うならそうすればいいのにと思った。
 少なくとも今、オレは英雄のそばにいたい。それじゃダメなのか?


 それから、その日がやってきた。
 いつもの火曜日、オレは学校で授業を受けていた。
 いきなり先生が入ってきて、オレを呼ぶ。
「お家の人が…」
 よくわからないまま、荷物をまとめて鞄を持った。
 スクールバスのおじさんが、任せろとばかりにアクセルを踏みつける。家につくのはあっという間だった。オレは礼を言ったんだろうか。さっぱり覚えてない。
 頭の中は英雄のことでいっぱいだった。
「英雄!」
 英雄の名前を叫びながら階段を登る。途中で一度足を滑らした。
「英雄!」
 誰も答えはしない。出迎えもしない。
「英雄!」
 それでもオレは英雄の名前を呼び続けた。それしか、出来なかったから。


第36話 END
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