DTH

 女の口説き方を論議する最中で、なぜそんなことを話しているのかわからないという表情をしていると、話を振られたことがある。
 曰く、どうやったらそれだけ女を虜に出来るのか? 魔法の呪文でも知っているのか?
 小首をかしげ、私としては非常に真摯に答えたつもりだった。
「女は口説くものじゃない。勝手に寄ってくるだろう?」
 後にダルジュがあの場にいた全員を敵に回したぞと吼えていたが、雑魚が群れをなしたところで気にするつもりはない。
 誰の言葉も、女の体温も、全て私をすり抜けるものだ。
 心を揺らす何物も無い。
 ただ――ああ、そう。アレクと言ったか。あれの心底侮蔑したような視線にだけ、なぜか私は満足する。それは決して満ち足りるという意味ではないが、それでも心が奇妙に落ち着くのだ。
 首をはねるのはとても簡単なことだが、しばらく泳がしておいてもいいかもしれない。
 そして――あれを見ていると、あの日のことを思い出す。
 青い正義を信じるその姿に、どこか女の面影を重ねているのだろう。


DTH 番外2「ノクターンは響かない」


「私の友達が、死にました」
 セレンがそう言われたのは、酒場だった。場末のどこにでもあるような、活気だけがとりえの店。店内を喧騒が包み、時折笑い声が洪水のように起こる。
 そんな店のバーカウンターで静かにグラスを傾けていると、時折声をかけられることがある。
 大抵、酔っ払いの難癖だが(そしてセレンはそれをあしらうのを楽しみとして酒場に足しげく通っていたわけだ)、この日はどういうわけか趣向が違った。
 声をかけたのは、女だった。まだ若い、幼ささえ感じる声だった。セレンの隣に立ったまま、腰掛けようともしない。
「あなたに恋をして、振り向かないあなたに恋焦がれて、死んでしまいました」
「恨み言でも言いに来たのか」
 女を見ようともせず、セレンは答えた。
「初めは」
 女は言った。淡々とした声音からは、しかし、恨みの意思は感じ取れなかった。
「話に聞く限り、なんてひどい人だろうと思ったんです。恨み言のひとつもくれて、頬を張ってやろうと思っていました」
「なら、そうすればいい」
 興味なさそうにセレンがグラスを傾けた。
「でも、あなたを見て――なぜ彼女があなたに惹かれたのか、よくわかりました」
 穏やかな声で女は続けた。うるさいほどの酒場で、なぜか女の声はよく聞こえた。張り上げているわけではない、どちらかと言えば穏やか過ぎるほどの言葉は、セレンのためだけに紡がれたものだった。
「女性はあなたの孤独を埋めたがる。あなたはそれに甘えているのですね」
「なんだと?」
 セレンが不快そうに眉をひそめた。酒場の騒音が遠のく。
 それまで背景と等しい雑音に過ぎなかった女の顔を、セレンは初めて直視した。
「ようやく、私を見てくれました」
 女が微笑む。茶色の髪をゆるやかに編みまとめ、心持ちぽっちゃりした印象を持たせる体にゆるめのワンピースを着ている。手にした本には、図書館のシールが見てとれた。生真面目な学生が酒場に迷い込んだような格好だ。
「そうやって、一度でも彼女を振り返ってくれれば良かったのに」
「興味が無い」
 酒代のコインを置いて、セレンは立ち上がった。まるでそこに女などいないように、出口へと向かう。
「お名前を聞かせていただけますか?」
 女が振り返らないまま告げる。平素ならそのまま立ち去ったであろうセレンが振り向いたのは、ほんの気まぐれだった。
「セレンだ」
「セレンさん」
 大切な宝物のように、女はその名前を口にした。
「マーゴットです」
 流れるような彼女の声を聞きながら、セレンはその場を後にしていた。

 それから二度と、女は酒場に現れなかった。セレンも気にしなかった。
 変化に気付いたのは、しばらく経ってからのことだった。
 酔っ払い達の笑い声、どこかで唐突に始まった喧嘩が、煩いと思った。
 それまでの自分なら、喜んで飛び込んでいたと言うのに。
 グラスを傾ける。
 氷がグラスに当たる音が、あの女の声によく似ていた。

 翌日、セレンは図書館にいた。
 マーゴットが手にしていた本に図書館のバーコードがついていたのを覚えていたのだ。滅多に足を運ばないこの場所に、あの女はいるのだろうか。
 誰かに待ちぼうけをくらわせることに慣れているセレンにとって、誰かを待つというのは奇妙な感覚だった。
 待っている?
 適当に手にした文学の本に視線を落としながら、セレンは内心驚いていた。
 なぜだ? あの女と話すことなど、なにひとつない。
 視線が文字をすりぬける。その感覚が、セレンには理解しがたかった。自分が驚いているという自覚が、不快ではない。
 唇が妖艶に微笑む。
 午後の陽射しが差す。セレンは満足そうに本を閉じた。
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