DTH

 みんなとは一階で別れたのに、アレクはいつの間にかオレ達より上の階に行ってたみたいだ。ロープを片手に窓から身を滑り込ませるアレクを見て、オレはそう思った。
 オレとアレクの目があう。にこりと微笑んだアレクが引き金を引いた。
 セレンがオレの身体をロッカーの裏へと引き寄せる。アレクの放った水弾がロッカーの壁を削ったのは気のせいだろうか。
「ヨカッタデス」
 にこにこと微笑みながらアレクは言った。嬉しそうに細められた目は、セレンの胸にあるゼッケンを見てる。
 ウォーターガンを握ったアレクの手がせわしなく動く。カシュカシュと独特の音がした。どうやら水圧を高めまくっているようだ。
「的、セレン。クレバス怪我しない。ヨカッタデス」
 オレは気づいてしまった。アレクの目が笑っていないことに。
「そう言うお前は、パートナーを放っていいのか?」
 セレンが聞いた。
 そういえば、そうだ。アレクはゼッケンをしてない。ということは、パートナーがゼッケンを持っているはずだ。
 フォローしなくていいのか?
 それとも、どこかに潜んでるんだろうか。オレは辺りを見回した。あちこちにオフィス器具の放置されたビルの内部は死角が多い。潜んでいたとしても、オレにはわかりそうになかった。
「ダルジュなら心配ナイデス」
 アレクのパートナーはダルジュらしい。
「二人で攻めに転じたか。らしい決断だ」
 セレンが不敵に微笑む。手にしたウォーターガンが、ひどく頼りなく見えた。


 部屋の片隅で物音がした。
 ハンズスがそちらを向く。英雄は反対側を向こうとして――顔に思い切り水をかけられた。
「うわ!」
 ご丁寧に泥入りだった。性格の悪さが滲み出てるよね、とは英雄の弁だ。
「馬鹿が、かかりやがった!」
 ダルジュが踊り出る。顔に手をやり蹲る英雄を尻目に、ハンズスの胸のゼッケンに狙いを定めた。
「なんてね」
 顔を上げた英雄が舌を出す。その目には、ハンズスと同じくスポーツ用のゴーグルがかけられていた。ぎょっとしたダルジュが、英雄が構えたウォーターガンを見る。先に放たれたのは、ダルジュの蹴りだった。
「ぐ!」
 鳩尾に蹴りを叩き込まれた英雄が、今度こそ膝を折った。ダルジュがお構いなしにその背を踏みつける。そのまま英雄を踏み台にして、背を向けて走り出したハンズスを追った。
 ダルジュが撃ち込む水弾を、ハンズスは器用に避けた。時折背後を振り返りながら、それでも足を止めようとはしない。ハンズスが走りながらウォーターガンを構える。気づいたダルジュが失速した。ゼッケンを気にしたらしい。
 その隙に、ハンズスが積み上げられたロッカーの裏へと身を隠した。間髪入れずに、ダルジュがロッカーを駆け上げる。山と積まれたロッカーの上駆けても、バランスを崩しもしない。
「逃げ場なんかねぇぜ!」
「その通りだ」
 ダルジュがウォーターガンを構えると同時に、ハンズスがロッカーを蹴った。反動で浮く身体を反転させて、ダルジュを撃つ。水弾は正確にダルジュのゼッケンを染めた。
「俺が逃げ回ると思ってたのか? 生憎だな」
 水滴に濡れたゴーグルの奥で、ハンズスの目が笑った。
 ゼッケンを呆然と見たダルジュが、むかついたように顔を上げる。そのままウォーターガンを構えると、おかまいなしにハンズスの顔面を撃った。
「うわ!」
 鼻に入ったらしい。ハンズスが咳き込む。
 ダルジュはまだ怒りが収まらないようだった。
「ひどいな、全く」
 言ったのは、英雄だ。鳩尾を押さえて痛そうに顔をしかめてみせる。
「遊びだってのに」
「手加減はしたろうが」
 ダルジュが吐き捨てた。面白くなさそうにゼッケンを見て、それから携帯を取り出した。

「あのさ」
 ロッカーの陰で、オレはセレンを見上げた。
「なんだ」
 セレンが涼しい声で答えた。
 時折、オレが身をずらしてアレクを撃つことがあっても、セレンはウォーターガンを構えようとすらしなかった。なんでだ。
「アレク、ゼッケン持ってないじゃん?」
「そうだな」
「てことは、オレ達がいくら撃ってもムダってこと?」
「だから私は不本意ながら隠れているわけだが」
 言うセレンのすぐ隣の壁で水が弾ける。アレクだ。
 さっきからアレクが嬉々とした様子なのは気のせいか。
「まいったな」
 セレンが嘆息した。こういう展開になるとは思わなかったらしい。艶やかな銀髪に、水滴が付き始めていた。
「クレバス、危ないデスヨ」
 アレクの声がした。
 ふいにセレンが上を見上げる。つられて見て、オレは目が点になった。
 天井近くで、バケツが宙を舞っている。恐らく水がたんまり入っているであろうバケツは、すでに水をあたりに撒き始めていた。
「うわ!」
 叫ぶオレを、セレンが小脇に抱える。すぐにその場を後にして、ロッカーの陰から走り出した。
 直後、バケツの金属音と共に、あたりに派手に水がぶちまけられた。セレンのズボンの裾をべっとりと濡らす。セレンが不快そうに眉をしかめた。
「ヤット出てきマシタ」
 アレクがにこりと微笑んだ。
 ウォーターガンでセレンのゼッケンにきっちり狙いを定めてる。セレンに小脇に抱えられているせいで、ゼッケンの前にはオレの頭があるんだけども。
「セレン、撃たないの?」
 オレはセレンを見上げながら聞いた。
「的に当たった試しがない」
 アレクの銃口を見ながら、セレンが告げた。
「え?」
 オレが答える前に、セレンの指先が動いた。室内に巻き起こる風に、アレクが咄嗟に飛びのく。その手にしていたウォーターガンが二つに折れた。
「セレン!」
 抗議の声をあげるアレクに、セレンが微笑む。
「支給品以外の武器を使うのはお互い様さ」
 バケツのことを言ってるらしい。悔しそうに歯噛みしたアレクが、後ろに手を伸ばした。そのまま流れるようなモーションで投げようとする、その物体。
 水風船だ。
 咄嗟にセレンが駆け出す。さっきまでいた場所に正確に、水風船がぶつけられた。飛び散った水がセレンの銀髪を濡らす。
「しつこいな」
 セレンが嘆息した。角を曲がると立ち止まり、オレを降ろす。オフィスで使われていたらしいデスクの下にオレを入れた。
Copyright 2009 mao hirose All rights reserved.