DTH2 カサブランカ

 エリー湖の周囲は森に囲まれた農村地帯だった。新緑鮮やかな緑の森、湖の上を風がすべり、静かな波音がする。葉のこすれる音、整備されたワイン畑は絵画のようだった。牧歌的な景色にしばし都会の喧騒を忘れる。
「うわ、すご…」
 景色の広がりにクレバスは息を呑んだ。レストランから一望できる広がりのある自然に吸い込まれそうな気がする。
「キレイですね〜」
 近くのシャトーで精製したというワインを手にしたアレクは上機嫌だった。クレバスと旅行に来たことももちろんだが、その心遣いが本当に嬉しかった。
「こういうとこいると、オレって本当に世界狭いんだなって思う」
 真っ直ぐな視線で風景を眺めながらクレバスは言った。
 微笑んだアレクがグラスをクレバスに差し出す。
「なに?」
「新シイ世界の開拓に」
 クレバスがグラスを受け取って、ワインに口をつけた。
「にが!」
「まだ早いデスネ」
「うん、早い」
 涙目になったクレバスがグラスをアレクに返して水を飲んだ。土地の違いのせいか、水の味まで違う気がする。
「次はどこ行こうか?」
「時間はたくさんアリマス。ゆっくりイキマショウ」
 豊かな自然を眺めながらアレクは言った。


 旅行の日程を順調に消化して、4日目・最終日のことだった。
 クレバスとアレクはピッツバーグの町並みを散策していた。
「観光地なだけあって人が多いね」
「NYと一緒デス」
 人ごみからは離れたかったんだけどなぁ、とクレバスがぼやいた。アレクが気にしまセンと笑う。
「そう?でもさ…」
 振り返ったクレバスの顔から表情が消えた。
 ただ、視界のに映ったその後姿を凝視する。
 人ごみに紛れたその姿。クレバスより少し背が低い、ショートカットの黒髪。日系人らしい肌の色。中肉中背のこれといって特徴のない後姿にクレバスの視線は釘付けになった。
「クレバス?」
 クレバスの視線をたどったアレクも言葉を失う。

 クレバスの頭が理解するよりも先に、心臓が激しい動悸を刻む。血が沸き立つような感覚に頭がくらりとした。
 髪型が、気配が、歩き方が似ている。
 
 見覚えのある懐かしい後姿。
 失った人の。

「…英雄…」

 呆然と呟いたクレバスの言葉に、『英雄』は足を止めた。 

 振り返ったその顔は、まさしく生前の『霧生英雄』そのものだった。

 行きかう人々の波が、アレクとクレバス、英雄と呼ばれた男を取り残したように進む。人並みの只中で彼らは対峙した。
「英雄…?」
 アレクが信じられないというように呟く。
 よく似ている。
 アレクとクレバスを見た男が口を開いた。
「僕を知ってる…?」
 

 クレバスの背を冷気が駆けた。



「君は、誰だ…?」



 疑問を滲ませるその声は、記憶の中の『霧生英雄』その人のものだった。


第1話 END
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