DTH2 カサブランカ
第2話 「我侭な再会」
絶え間なく動く人ごみの中で、そこだけ区切られたように流れが止まっていた。
クレバスとアレクが信じがたいという表情で男を見た。男の顔は、かつてクレバスの養い親だった『霧生英雄』そのもの。しかし、クレバス達を見つめる視線は、まるで見知らぬ赤の他人を見るようなものだった。
「英雄…」
呆然とクレバスが呟く。
クレバスのただならぬ表情に、男の眉が動いた。怪訝そうにクレバスを見る。
「僕を知ってる…?」
声まで同じだと、クレバスはぞっとした。
「君達は、誰だ?」
疑問を滲ませた声が、記憶の中の英雄と重なる。
あまりのことに声も出ないクレバスに、尚も男が問いかけようと口を開いた。と、誰かに呼ばれたように振り返る。そのまま男の姿は人ごみに消えた。
「英雄!」
反射的にクレバスは駆け出した。慌ててアレクが続く。
「英雄!」
人をかきわけながらクレバスは進んだ。
一瞬のうちに男を見失う。
右を見ても左を見ても、それらしき人影はいない。肩で息をしながら通りを見渡す。
「クレバス」
アレクがクレバスの肩に手を置いた。
「アレク、今の!」
「ええ、見マシタ」
アレクが頷く。穏やかながらも険しい表情だった。
「英雄デス」
再び通りに目を走らせたクレバスは、一度俯いてから空を見上げた。
噛み締めた唇の痛みが夢ではないと告げる。
夢では、ないと。
霧生英雄は、孤児であるクレバスを引き取った温厚な人物というのが世間一般での認識だった。冗談じゃないとクレバスは思う。それは英雄の上っ面で、彼が精巧に作り上げた仮面に過ぎなかった。英雄と暮らしていた1年半の間に、クレバスが吐かれた嘘の数は限りない。
それでも最後には自分に真実を打ち明けてくれた。
本当にわかりあえたのはきっと最後の数ヶ月に過ぎないのだとクレバスは思っていた。色濃い思い出は忘れがたく、今も胸に鮮やかに蘇る。
英雄が息を引き取った瞬間に自分は立ち会うことは出来なかった。
それでもハンズスが看取っていたし、直後に手に触れた。あの無力感を忘れろというほうが無理だ。
だから考えたこともなかった。
英雄が、生きている…?
NYに戻る飛行機の中でクレバスは考えた。
順当に考えればあれは他人の空似だ。英雄は死んだ。
ではなぜ、クレバスの声に足を止めた。あれだけ人がいる中で、なぜ彼は自分が呼ばれたと思った?
英雄が、生きている。
それは、確信に近い予感だった。
空港に戻ったアレクとクレバスをハンズス達が出迎えた。手を振るハンズスの横でマージがアリソンを抱いている。アリソンは眠っているようだ。
「ハンズス、話があるんだ」
クレバスが勢い込んで言った。
「俺達もだ!」
ハンズスがクレバスの腕を掴んで引く。クレバスの持っていたボストンバックを持つと、どんどん歩いていった。
「エ?」
状況が飲み込みきれないアレクに、マージがアリソンを抱き直しながら耳打ちする。
「ほら、今日クレバス君の誕生日でしょう?サプライズパーティーしようってあの人が。帰ってくるのを心待ちにしていたのよ」
楽しそうに笑うマージに、アレクは複雑そうな顔をした。
旅先で見たものを話すべきか迷う。
幸福そうなマージを見る。マージの腕の中でアリソンが寝息をたてていた。
アレクが、マージに事実を告げることはなかった。
クレバスが連れて行かれた先は、教会を模したレストランだった。ステンドグラスのマリアの陰影が室内に落ちている。木製のテーブルに白いテーブルクロスがかけられている。椅子やグラスのデザインのひとつひとつはシンプルながらもどこか気品のある静かな雰囲気の店だった。
「なに?ハンズス」
「さては自分で忘れているな?今日が何の日か」
「え?」
得意げなハンズスの顔をしばらく凝視して、クレバスは呟いた。
「オレの誕生日…?」
クレバスのとまどいの表情を、ハンズスは良いほうに解釈した。
「そう!誕生日!17歳か。おめでとう、クレバス」
クレバスは満面の笑みをたたえるハンズスの顔を見つめたまま、しばらく黙っていた。すっかりタイミングを逃してしまった気分だ。
訴えたいことはたくさんあった。英雄が生きているかもしれないと知ったら、ハンズスはどんな顔をするだろう。思考がクレバスの脳内を駆け巡った。
「クレバス?」
ハンズスが笑いながら首をかしげた。クレバスが我に返る。
「あ、ごめん。ありがとう、ハンズス」
「旅行疲れか?好きなものを食べるといい。皆も呼んだから土産話のひとつやふたつも聞かせてくれ」
「うん」
テーブルではすでにセレンとダルジュ、カトレシアが待っていた。
「お帰り」
「ただいま…ってセレンももう帰ってきたの?」
「こいつも今さっきだ」
ダルジュが至極機嫌悪そうに吐き捨てた。
「あはは、ごめん。その分バイト入れるからさ」
クレバスが笑ってごまかした。
「クレバスさん、お久しぶりです」
むくれるダルジュの後ろからカトレシアが控えめに頭を下げた。
「久しぶり!カトレシアさんの分もちゃんとお土産買って来たよ」
「まあ、ありがとうございます」
カトレシアが優雅に微笑んだ。ダルジュが面白くなさそうに舌打ちする。クレバスがダルジュを見て言った。
「ダルジュの分もあるってば」
「嘗めた口利いてんじゃねぇ!」
「素直に嬉しいといったらどうだ?」
セレンの言葉にダルジュがセレンの襟首を掴んだ。
「前から言おう言おうと思ってたんだがな。コイツが俺をおちょくった言動をするのは100%お前の影響だろうがよ」
「アレクの教育の賜物だろうに」
セレンが動じずに答える。
「半々デショウ」
追いついて店に入ってきたアレクが肩をすくめた。セレンと同列に扱われるのがひどく不本意そうだ。マージがアリソンを抱いたまま席につく。カトレシアがナプキンでそっとアリソンの涎を拭いた。
「さて、みんな揃ったな」
ハンズスが一同を見渡しながら言った。
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