DTH2 カサブランカ

 食事は和やかに進んだ。
 メインの話題はクレバスとアレクの旅行話、それから昔のクレバスの話とか。
「昔っからどうしようもないクソガキだったな。力はないくせに口だけは回りやがる」
 とダルジュが毒づけば、
「お前の子供時代よりは泣かない子だったよ」
 とセレンが返す。
 真っ赤になって抗議するダルジュを皆でなだめた。

 食後のコーヒーが運ばれてくる。
 白磁のカップにゆらめく黒い液体。独特の香りがクレバスに英雄を連想させた。クレバスがアレクを見る。アレクが黙って頷くのを見て、クレバスは口を開いた。
「丁度、みんな集まってるし、今言ったほうがいいと思う」
「なんだ?」
 ハンズスが受ける。
 クレバスは顔を上げて全員を見渡した。
 アレク、ハンズス、マージ、ダルジュ、カトレシア、セレン。
 皆少なからず英雄と縁のある人間ばかりだ。


「旅先で、英雄に会ったよ」

 
「…え…?」
 疑問の声を上げたのはハンズスだった。刑事として医師として英雄のそばにいた、英雄の親友。
「それは、夢で、か?」
「違う」
 クレバスは否定した。
「アレクも見た。幻でもない」
 クレバスの言葉を受けてアレクが頷いた。
「他人の空似じゃねーのか?」
 ダルジュが問う。セレンは黙って皆の声を聞きながらカップを傾けていた。
「オレが名前を呼んだら反応した」
「ちょっと待ってくれ」
 ハンズスが言った。
「クレバス、君も覚えているだろう?俺はあいつを看取ったんだぞ。しかも数ヶ月はつきっきりだ。皆もいたし…あれは間違いなく英雄だった。気持ちはわかるが…」
「だから」
 クレバスがハンズスの言葉を途中で遮った。
「何かがあったとしたらその後だ。いくらなんでも診察しているハンズスの目まで盗んでなにかが出来たとは思わない。オレはガキだったから、…今もだけど、見落としがあるんじゃないかと思う。オレだってはっきり覚えてるわけじゃない。けど、見返す必要があると思うんだ。だから、教えて欲しい。英雄が死んでオレがアレクに別室に連れて行かれてから、なにがあったのか」
 クレバスの真剣な瞳が一同を見た。
 ハンズスがため息をつく。
「クレバス、それはまたの機会にしないか。少なくとも祝いの場で言うことじゃないだろう?」
「オレは今知りたいんだ」
 射抜くような視線にハンズスが肩をすくめた。
「強情なところはアイツにそっくりだな」
 あきらめたように微笑む。それは了承の合図でもあった。
 
「あの時は…」
 ハンズスが記憶を辿るように口を開いた。
 英雄の最後の瞬間。ハンズスにとっては忘れたくとも忘れられないシーンだった。
「アレクがクレバスを部屋に連れて行って、それで俺たちも…」
「確か私が泣き出してしまって、ハンズスがみんなに居間でお茶でも飲んで落ち着こうって」
 マージが後を引き受ける。不安げに口元に手をやって、確かめるように言葉を紡いだ。
「でも英雄を一人に出来ないって言ったら…」
 記憶を辿る関係者の目線が一点に集中しだした。ダルジュはその言葉をはっきりと覚えている。”珍しい”と思ったからかもしれないし、”らしい”と思ったからかもしれない。
「”私が見ているから行くといい”…って言ったな、セレン。それで皆そこを後にした」
 皆の視線を一身に集めたセレンは、優雅な所作で紅茶に口をつけた。
「…セレン…?」
 クレバスが信じられないというようにセレンを見た。
 紅茶のカップから名残惜しそうに唇を離したセレンが、クレバスを正面から見る。
「なんだ?」
 一瞬クレバスは詰まった。なにを聞いていいのかわからない。
 妙な緊張感があたりを包んだ。
「…なにか、知って…?」

「私があの子を手放す気にならなかっただけだよ」

 セレンの返答を聞いたダルジュが立ち上がった。勢いで、椅子がひっくり返る。周りの客が怪訝そうにその様子を見つめた。ダルジュの気配が途端に殺気を帯びる。
「セレン!」
 ダルジュの怒声に、セレンが嬉しそうに目を細める。
「なにかあるなら事後、か。いい勘をしているな、クレバス。正解だ」
 カップの紅茶がゆらりと揺れた。
「死体をすり替えた。組織の蘇生技術ならまだ可能性はあったからな。心停止から時間が経ちすぎていたから賭けだったが、結論から言えばうまくあの子は蘇生した。長い間昏睡状態で、目覚めたのがつい半年ほど前だ。ようやく外に出られる段階になったと思ったら、まさかお前達とかちあうとはね。なんのためにNYから離したのやら」
 淡々とセレンが語る。
「組織は英雄が倒したはずじゃ…」
 クレバスが虚ろに呟いた。自分で可能性を示唆したくせに、とっさに理解しきれない。言葉を理解することを心が拒否しているようでもあった。
「あの程度でどうにかなるモノではないよ。私が落とした幹部の首の一つ一つを確認したか?しなかったろう、あの子は」
 セレンが面白そうに微笑む。遠く、昔を懐かしむように。
「あの場に君がいたからだ。あの子はとにかくあそこから君を離すことしか考えてなかった。辺りに血の匂いが立ち込めるような場所だったからね。後日ダミーだと確認も出来ないよう爆破した。スイッチは君が押したな。覚えているだろう?」
「な…」
 クレバスが絶句した。
 比喩ではなく、目の前の景色が歪む。
 暗闇に呑まれていくようだと、クレバスは思った。
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