DTH2 カサブランカ

「蘇生したって話にならない。英雄の体は限界だったはずだ!」
 ハンズスが抗議した。
「可能性ならずっと残されていたじゃないか。手術をすれば助かるんだろう?手段を選ばずに」
 セレンが微笑む。ぞっとするほど綺麗な笑みだった。
 ハンズスが信じられないというようにセレンを見た。
「まさか…?」
「別に世界で二人きりの血液型というわけでもあるまい。あの子は身寄りのない人間をターゲットにしようとクレバスを選んだだけだ。そんなカテゴリわけをしなければ対象はいくらでもいる。誰の屍の上にあの子が立とうと知ったことか」
「英雄はそんなこと望まなかった!」
 ハンズスがテーブルを叩く。セレンが不快そうに眉をひそめた。
「あの子の意思など関係ない」
「なんで…?なんで、一言も」
 クレバスの声が震える。
「さっきも言ったろう?私があの子を手放す気にならなかっただけだ。お前達は望まなかった。英雄自身も。私だけが望んでいたのさ、あの子が生きることを。だから生かした。ただ、私だけのために。それをなぜ告げる必要がある?」
「狂ってる…!」
 ハンズスが呻く。
「褒め言葉として受け取っておこうか」
 セレンが立ち上がる。
「待てよ、セレン!」
 ダルジュが叫ぶ。テーブル越しに突き出した右手には銃が握られていた。
 一瞥したセレンが気にも留めずに背を向ける。
 舌打ちしたダルジュが引き金を引こうとした瞬間、店内のステンドグラスが大きな音を立てて割れ何者かが店内に飛び込んできた。周りの客達が悲鳴を上げて逃げていく。
 男だ。
 テーブルに背を向けたセレンをかばうように、皆との間に立つ。
 光を乱反射しながら落ちてくるステンドグラスのかけら。
 高いわけでも、低いわけでもない背丈。黒いショートカット。なびくコートに見覚えがある。なめらかに銃を抜く仕草。瞳がサングラスで隠れていても、その場に居た全員がよく知った顔だった。
「英雄…!?」
 マージが信じられないというように声を漏らした。
 英雄は表情ひとつ変えずに、ダルジュの銃を撃ち落とした。
「く!」
 動こうとするダルジュにぴたりと狙いをつける。
「英雄!」
 ハンズスが叫んで立ち上がる。聞えているはずの英雄は微動だにしなかった。
「動けば撃つ」
 凛と響く警告を促す声が、夢ではないと告げる。間違いなく英雄の声だ。
 まるで見知らぬ他人を見るように英雄は場の全員を見渡した。
「本当に…生きて…」
 マージが息を呑む。瞳に涙がたまった。
 ハンズスの見開いた瞳に英雄が映りこむ。ハンズスはまだ、自分が見ているものが信じられなかった。自分の中で途絶えていく英雄の脈の感触をまだ覚えている。なのに目の前に展開されるこの光景はなんだ。

「行くぞ、英雄」
 セレンが英雄に声をかけ、歩き出す。英雄がそれに従って後ずさる。それが契機になった。
「英雄!オレがわからないのか!?」
 クレバスが駆け出した瞬間、英雄がクレバスに銃を向ける。
 ためらいなく、引き金が引かれた。
 弾丸がクレバスめがけて宙を駆ける。
 鉛での返答に、思わずクレバスは目を閉じた。
 クレバスの胸を貫く、まさにその直前で、弾丸がはじけた。
「何!?」
 クレバスに背を向けかけた英雄が慌てて振り向く。
 英雄の飛び込んできたステンドグラス、割れたガラスがまだ残る窓枠に誰かが立っていた。
 逆光にクレバスが目を細める。
「なぁんだ、相変わらず守られなきゃダメなんだぁ〜。役立たずぅ」
 くすくすと笑う中性的な声。ちょっとクセのあるセミロングの金髪が陽光を受けて天使の輪を描いている。すらりとした手足が印象的だ。細く白い手が、もう一人の肩にかかっている。
「あんた、堕ちるとこまで堕ちたんだな」
 侮蔑を込めて英雄に告げるもう一人の少年の手には銃が握られていた。クレバスを救った銃口がきっちりと英雄に向けられている。ショートカットの黒髪、ぴんと伸びた背筋、冷めた瞳が英雄を見下げた。
「ガイナス!シンヤ!」
 クレバスが叫んだ。
 セレンが首をかしげるようにシンヤ達を見上げる。
 セレンと、シンヤの目があった。
「元気そうでなによりだ」
 セレンが皮肉に告げる。
 シンヤがなにか言おうとした瞬間にガイナスが口を挟んだ。
「ちょっとぉ、なに生きてんのさ〜!」 
 答えずに微笑んで歩き始めたセレンを英雄が追った。クレバスの目の前で扉が閉まる。
「英雄!」
 追おうとするクレバスの肩をアレクが掴む。
「待ちなサイ!今はダメデス!」
「だって、英雄が…」
 クレバスは構わず行こうとした。アレクを振り返ろうともしない。視線はただ一点、英雄が背を向けて閉じたその扉に集中している。
「クレバス!」
 一喝するようなアレクの声に、クレバスが我に返った。ゆっくりと力を抜いて、アレクを振り返る。アレクはなにも言わずに、ただクレバスを見つめ返した。
 英雄の背中しか見えなかったクレバスの視界が、アレクを境に広がっていく。
 散乱したテーブル、自分を心配そうに見るマージとハンズス、扉の先を睨むようにしているダルジュの隣に不安そうなカトレシアがいた。
「今は、マダ」
 アレクが言った。
 悔しそうにクレバスが唇を噛む。
 シンヤとガイナスは、フロアに飛び降りた。
 シンヤがマージの前で足を止める。
「ご無沙汰しています」
 そう言って、ぺこりと頭を下げた。
「…シンヤ、君…?」
 マージが記憶を辿るように名を呼んだ。
「そうです。以前はご迷惑をおかけしました」
 頭をあげきらないまま、シンヤが答えた。背が伸びた。いつの間にか自分を追い越して、もう見上げなければ顔も見えない。
 あの少年がどう育っていくのか、ずっと気にかかっていた。
 だけど、この姿を見ればわかる。誰か、良い人と巡り逢えたのだ。
 マージの瞳にみるみる涙があふれた。
「大きくなって…!」
 そう言ってシンヤを抱きしめる。驚いたような表情をしたシンヤが目を彷徨わせた。目が合ったハンズスが無言で頷く。
 一瞬目を伏せて、それから。
 とてもぎこちなく、シンヤはマージを抱き返した。


 レストランを出たセレンの後を、英雄は黙って歩いていた。
 自分は事故にあって記憶を失っているのだとセレンは言った。そのせいだろうか、妙に心が騒ぐ。自分を呼んだあの少年を知っている気がするのはなぜだろう?
「必要があれば自分で思い出せ。出来ないのなら、それはその程度の記憶ということだ」
 セレンはかつて自分にそういった。
 知らず英雄は胸に手をやった。わずかに力を入れて握り締める。
「…クレバス…?」
 自分の唇から言葉が漏れたことすら、英雄は気づかなかった。 


第2話 END
Copyright 2005 mao hirose All rights reserved.