DTH2 カサブランカ

 アレクの気持ち…。
 クレバスの胸中にシンヤの言葉が渦巻いた。
 英雄が現れてから、英雄のことばかり考えていた。隣に、ずっといてくれたのに。
 否定を、しなければいけないのに。
 アレクだって大事だといわなければいけない。そう思えば思うほどシンヤに言葉を返せない。いいや、間違いなく大事な人だ。けれど、反論できないような行動を自分はしたのだ。
 5年。
 その歳月の重さが初めて、クレバスにのしかかってきた。
 誰かに捧げるには長すぎる。アレクは英雄との約束というだけではなく、本当に自分のことを思ってそばにいてくれたのだ。
「オレは…」
 クレバスの瞳が揺れるのをシンヤは見た。
「オレは…」
「ハイ、ソコマデ」
 ぱちんと手を叩いて、アレクが姿を見せた。
 青ざめたクレバスの様子を見て苦笑する。
「シンヤ、ありがとう。でも、私ダイジョブ」
 シンヤが無言で立ち上がった。アレクがクレバスに微笑みかける。
「クレバス、2人で話をしまショウ」
 そう言って、アレクはクレバスを立ち上がらせると玄関の扉を開けた。
 
 外はあいにくの曇り空だった。今にも降り出しそうな雨雲が、まるでクレバスの心情のようだとアレクは思った。
 クレバスの家に向かって歩き出す。
 無言で進むうちに、小雨が降りだした。
「アレク…オレ…」
 クレバスが足を止める。
 アレクも足を止めた。クレバスを振り返る。
「…ごめん…!」
 なぜ自分がそう言うのか、クレバスにはわからなかった。それでも言わなければいけないと、心が焦燥に駆られる。
 どちらが大切かなんて順位をつけたこともなかった。
 英雄と、アレク。クレバスにとってどちらも大切だった。
 それでもピッツバーグで英雄と会ってから、英雄のことばかり考えていた。帰りの飛行機でアレクと何を話したかすら覚えていない。シンヤに指摘されるまで気づきもしなかった。
 アレクの、気持ち。
 心が裂けそうだ。
「ごめん、アレク、オレ…!」
 目を瞑ったまま、クレバスは叫んだ。怖くてアレクの顔が見られない。
 アレクは、どんな顔をしているだろう。呆れているだろうか、軽蔑しているだろうか、怒っているだろうか。そのどれをされても当然だと、クレバスは思った。
「昔カラ」
 アレクの声がした。そのあまりの穏やかさにクレバスは瞼を開けた。
 クレバスの視界、降りだした小雨の中でアレクは微笑んでいた。優しい顔だった。
「何度モ何度モ言いマシタ。”クレバス、大人を頼りナサイ”―――覚えてマスカ?」
「アレク…」
「クレバスはいつも我がママ言わナイ、言うとシテモそれは私を安心させるタメのモノ。少し寂しかったデス」
 アレクは言いながらクレバスの髪に手を伸ばした。背がほとんど自分と並ぶ。あんなに小さかったのが嘘みたいだ。
「アソコはアナタの家デス。アナタと英雄の。我がママ言ったからと言って追い出されるような場所じゃナイ。ダカラ、今、心が叫ぶなら言いナサイ」
「アレク」
 アレクの顔を見たまま、クレバスの頬を涙が流れた。涙が後から後から溢れ出て、雨と混じる。
「英雄が、生きてるんだ」
「ウン」
 アレクは頷いた。
 沈黙は、長かった。
 クレバスはその迷いを現すかのように視線をめぐらせた。口を開いて、言いかけては黙る。
 アレクは、いつだったか自分に本音を吐露するまでの英雄を回想した。
 クレバスが武器を持ったことを知った英雄、叱ってしまって、それでまた自分を責めて。その心情をアレクに吐露するまでがまた長かった。あの時も、アレクは待った。
 英雄の言葉を。
「オレは、英雄、を…」
 あなた達は本当にそっくりダ。
 アレクの唇が知らず微笑む。

「…取り戻したい…!」
 
 叫ぶように言ったクレバスをアレクは抱きしめた。
「ヨク言いマシタ」
 言ってしまったとクレバスは思った。ごめんなさいと小さく呟いてアレクを抱き返す。
「謝らなくてイイデス。クレバスは私も好き、デショウ?」
 アレクの言葉にクレバスが顔を上げた。
「大切さに順位はアリマセン。でも、種類がチガウ。例えば、ソウ、私は故郷に家族がイマス。私はクレバスが大事デス。じゃあ、家族が2番になりマシタカと言われれば、違いマス」
 クレバスもそうデショウと言われてクレバスが頷く。
 クレバスの目から流れた新たな涙をアレクが指先で拭いた。
「オレは、アレクが好きだよ」
 ヨカッタ、とアレクが呟いた。
「私はアナタ達がとても好きデス」
 アレクは笑った。
「英雄を取り戻しまショウ。私なら、ダイジョブ」
 そう言って、クレバスをもう一度抱きしめる。

 私ダッテ、理由なくココニ居たわけジャナイ。

 アレクの瞳が好戦的な光を放ったのを、クレバスは知らなかった。

第3話 END

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