DTH2 カサブランカ

 英雄は外に出た。
 風が乾いている。整備された街並みが彼を迎えた。
 あてもなく歩く。途中、見覚えのある通りに出くわした。知っている自分にとまどいながら、英雄は歩いた。道のひとつひとつに見覚えがある。中でもこの道は特別な思い入れがある気がした。
 道を辿ってたどりついた場所は出来たばかりらしい真新しいビルだった。1階はカフェ・バーになっており、ティータイムを楽しむ人々で溢れている。川沿いに立つその場所に行き着いた瞬間、英雄は少なからず落胆した。思い出の場所は壊されてしまった。心に穴が開いたことで、英雄はそれを知った。自分が知っているのは、このビルではないのだ。
 カフェバーの店員を捕まえて、以前ここはなんだったのか尋ねる。
「ここはずっと廃ビルだったんですよ。もう何年もね。3年前にオーナーが買い取って、それから工事。オープンしたのが2年ほど前かな?それがなにか?」
「いや、ありがとう」
 英雄は礼を言って店を出た。
 廃ビル?
 そんな場所になぜ郷愁を感じたのかわからない。
 店を出た先の分かれ道で英雄は足を止めた。
 どちらの道も知っている。体が馴染んでいる。
 迷い立ち止まる英雄を後押しするように風が吹いた。
 英雄はうながされるように左の道を選んだ。右は、かつての我が家に続く道だった。



 ダルジュは憮然とした表情のまま、当面使わないであろうカクテルグラスやワイングラスを片付けていた。床に座り込んで、ひとつずつ丁寧に新聞紙でくるんでいく。シックな黒に塗りつぶされたバーフロアを見る。モーニングではバー部分も使わずに、花屋の敷地内に木製のテーブルを並べてオープンカフェにしてしまおうと考えていた。
 出来る限り、この場所を残しておきたい。
 自分にそんなセンチメンタルさがあったことが意外だった。
「で、あのガキはどこ行ったんだ?」
 忌々しげに呟くダルジュに「すみません、戻ったらきつく言っておきます」とシンヤが殊勝な返事をした。謝りながらも、手は止まることなくグラスを手にしている。
「セレンと会ってるんじゃないの?」
 クレバスの声に、ダルジュは手の中のグラスを落としかけた。慌てて空中でもう一度掴む。
「なに言ってやがる!」
「だって、オレ知ってるもん。セレンってそういう人だよ」
 かつて、自分も何度も密会していたとはクレバスは言いかねた。
「ソウイウ人、デスネ…」
 ため息をつきながらアレクは言った。
 この期に及んでセレンの常識を信じているらしいダルジュを少し哀れみながら。
「てめぇ、なんだその目は!!」
 ダルジュが怒鳴る。アレクはやれやれと肩をすくめた。
「よし、キリついた!」
 クレバスが膝を叩いて立ち上がった。
「オレ、出かけてくる。すぐ戻るからさ」
「ドコニ?」
「墓参り」
 意外そうなアレクの顔に、クレバスは微笑み返した。
「ありがとうって、言っておきたいんだ」
 そしてもう来ないと。
「花、適当に持ってけ」
 ダルジュが言った。クレバスが頷く。
 手にした花は、白いユリだった。昔からクレバスが墓参りに行く時、セレンが必ず入れた花。
 カサブランカ。
 セレンがどんな意味で贈ったかは知らないが、それが一番似合う気がした。
「1本もらうね」
 クレバスは1本抜き取ると、かつてそこに英雄が埋まっていると信じていた場所に向けて走り出した。白い花弁が揺れる。今度花言葉でも調べてみようかと、ガラにもないことを考えた。



 英雄が行き着いた先は墓地だった。
 緑の芝生が敷き詰められたなだらかな丘に、規則正しく墓標が並んでいる。
 墓の森を縫うようにして、呼ばれるようにひとつの墓標に辿りついた。
 そこが敬愛した養父の墓だと、今の英雄が知るはずもない。
「ダスティ・D・フォアード…覚えがないな」
 ため息をついて立ち上がる。と、その隣に名もない墓があることに気づいた。
「無記名…?縁者か?こんな近くに。それにしたって、無記名なんて…」
 言いながらそこに近づく。飾り気がなさすぎて、シンプルというより味気のない墓だ。
 墓標を黙って見つめた英雄が、ふと視線を落とした瞬間、それを認めた。慌てて屈みこむ。
「これは…」
 芝生の部分に、何度も書かれたんだろう、そこだけ土がむき出しになってた。かろうじて読み取れるその文字。
 
『霧生英雄』

「子供の字…?」
 英雄がゆっくりとそこに手を伸ばす。なにか神聖なものに触れるように、おそるおそるそれをなぞった。指の先についた土がひやりと冷たい。
「…クレバス…」
 自分の口から漏れた言葉の意味がわからない。
 なぜ今、自分の頬を涙が流れるのか、英雄は説明することができなかった。
「英雄…?」
 誰かが近づいた気配に英雄は顔を上げた。3,4メートル離れた先にクレバスが立っている。
 手に白いユリが1輪。
 英雄の目が見開かれた。
 この少年に会うのは、これで3度目だ。
 なぜ。
 それはクレバスも同じ思いだった。
 あんな別れ方をした英雄。当分会えもしないと思ってたのに。

「どうして、ここに」
 二人が呟くのは、同時だった。

第5話 END


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