DTH2 カサブランカ

第6話 「嘘、また嘘」

 クレバスはまだ目の前の景色が信じられなかった。
 あの日目の前で閉ざされた扉、振り返らなかった背中。
 英雄が、目の前にいる。
「英雄…」
 呼ばれた英雄は、我に返ったようだった。
 頬を流れていた涙を拳で拭う。一度閉じて再び現れた瞳は、明らかにクレバスを警戒していた。
「オレが、わからない…?」
「君は、誰だ?」
 クレバスが一歩踏み出すと、その分英雄が後ずさった。それを悲しそうに見たクレバスが、無理矢理笑みを作る。
「なにもしないよ。そこに墓参りしたいだけだ。いいかな?」
「ああ」
 英雄が静かに墓から離れた。クレバスが、かつて英雄の墓と信じて疑わなかった墓標にユリを手向ける。長身を屈ませて丁寧に花を捧げるクレバスを、英雄は黙って見届けた。
「君の、縁者か?」
「…うん」
 何も記されていない墓標をクレバスは名残惜しそうに見つめ、そして立ち上がった。英雄に向き直る。
「あんたが、埋まってた」
 クレバスは英雄の瞳を見据えながら告げた。
「僕が?」
「少なくとも、オレはそう信じてた」
「なんの話…」
 英雄が問いただそうとした瞬間、英雄とクレバスの周りを数十人の男が囲った。英雄とクレバスを中心に輪を描く。
 皆筋肉質で体格が良い。肌に密着するような白い中華服は、紐とゆったりした袖先のみが黒く染め抜かれている。殺気を放ち手に青龍刀を携える一団に、クレバスも腰を上げた。
「君の客か?」
 英雄が男達を眺めながら聞いた。
「はぁ!?」
 クレバスが唖然とする。
「なんでオレが!?」
 抗議するクレバスに、英雄は頬を掻いた。
「じゃあ、僕か?」
 覚えがないな、と呟く。
「李三兄弟の仇、と言えばわかるじゃろうて」
 屈強な男達の中から、老人が一人歩み出た。ずいぶん小柄で細身だ。よろけるようなその足取りを見た英雄の瞳が細められた。
「李…?」
「あ!」
 思わずクレバスは手を叩いた。
 英雄達が組織の本拠地に乗り込んだ時、同じような中華服を着た3人がいた。アレクが嫌悪感をむき出しにしたのを覚えている。確か武器は扇状の鉄板だった。
「…心当たりでも?」
 英雄がクレバスに尋ねた。軽い眩暈を覚えたクレバスが額を押さえながら首を振る。
「いや、やっぱしお前だ」
「そうか」
 言うが早いか英雄が銃を抜く。
 狙いは老人の額に合わされていた。



 G&Gには地下に至る扉がある。
 バーカウンターの奥、床にある取っ手を手にし、ダルジュは持ち上げるようにして扉を開けた。内装と同じくどこまでも黒い地下への階段をひとつずつ降りる。降りた先で視界が開ける。電灯がついたその部屋は、トレーニングルームになっていた。
「防音設備も完備されてる。射撃訓練も出来るぜ。弾が不足したら言いな、手配してやる」
 案内されたシンヤは、その設備を見渡した。ジムと言っても差支えがないほどの様々な器具が置かれている。
「ずっと訓練を?」
「まあな、もう体動かすのが習慣になっちまってたし」
 再びシンヤが部屋を見渡した。
「…クレバスも、ここに?」
 ダルジュがぴくりと反応した。
「ああ」
 次の言葉を待つようなシンヤの沈黙に居心地の悪さを感じたダルジュは、ぶっきらぼうに頭を掻いた。
「セレンが鋼糸と体術、俺が射撃を教えてやった。下手な雑魚よりは使えるようになったはずだぜ」
「なぜ」
「武器を持たせた、か?あいつの意思だ」
 ダルジュは今も覚えている。
 自分に戦い方を教えて欲しいと言ったクレバスのことを。ガキが、寝言は寝て言えとダルジュは言ったし、アレクは英雄がそれを願っていなかったとクレバスに告げた。セレンは興味なさそうにそのやりとりを見てるだけで。
 唇を噛み締めたクレバスが口にした言葉を、ダルジュは今も覚えていた。



 指が引き金を引くよりも早く起きた周囲の異変に、英雄は硬直した。
 空中に舞う銀のかけら。これはなんだ?
 自分を取り囲んだ男達の持った刀が一様に砕け散ったのだと理解するまでに時間を要した。起きたことがわからない。自分はまだ撃っていない。
 老人も唖然としている。その色あせた皮膚の中に英雄は違和感を見つけた。わずかに、影が落ちている。糸、だ。極細の糸。自分はそれを知っている。セレンが好んで使う武器、鋼糸だ。
 けれどここにいるのは…
 英雄は糸の軌道を辿ってクレバスを見た。
 少年の指先に間違いなく鋼糸が紡がれている。
 周囲の誰もが気をとられた一瞬をクレバスは見逃さなかった。
「逃げるぞ!」
 手薄になった一角を突っ切るようにクレバスは走り抜けた。
 我に返った老人の掛け声で男達が追ってくる。クレバスにつられるように走っていた英雄が、振り向いて銃を向けた。それに気づいたクレバスがわざと腕を引く。英雄の弾丸は狙いをそれて男の肩に当たった。
「何をする!」
「こっちの台詞だ!なに殺そうとしてんだよ!」
「元々仕掛けてきたのはあちらだろう!?」
 ああ、どこかで似たような会話をしたことがある気がする、とクレバスは思った。でたらめに角を曲がって、ビルの隙間にある細い路地に飛び込む。この街はクレバスの庭みたいなものだ。土地勘は十分にある。男達が大通りを通り過ぎていくのを確認して、クレバスはようやく息をついた。
「なんとか、撒けたみたい」
「ああ」
 隣で英雄が座り込んだ。呼吸が随分荒い。
「大丈夫か?」
 英雄は答えずに目を細めた。具合が悪いのか、顔色がひどく悪い。
「英雄」
「…君の、名前は?」
 途切れるような息の間から尋ねる英雄の声に、クレバスが目を見開いた。
「英雄?」
「今、聞いておかなきゃいけない気がする…」
 英雄は言い終わると同時に崩れ落ちた。
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