DTH2 カサブランカ

第7話 「スローステップ」

 G&Gが1日の業務を終え、店じまいが済んだ頃になってようやくガイナスは戻ってきた。
「お帰りナサイ」
 アレクが満面の笑みで迎える。
「ごめんね〜、急用できちゃって」
 ガイナスがぺろりと舌を出しながら謝った。微塵も悪気が感じられない。
 気にしてないデス、とアレクは答えた。にこにこと微笑みながら、ガイナスの背に手をかける。そこにこめられた力が強いことにガイナスは気づいた。
「デハ、これから吊るし上げ大会を行いマス」
「ちょっとぉ、なにそれ!」
 帰ってくるなり皆に囲まれたガイナスが抗議の声を上げる。
「うるせぇな、ネタはとっくに上がってんだよ」
「セレンと会ってたんじゃないかって言われてる。まあ、そうだろうな。あきらめろ」
 ダルジュが凄んで、シンヤがなだめた。ガイナスが不満そうに頬を膨らます。拗ねた子供のようだ。
「クレバスだっていないじゃん」
 抜け目なく店内を見渡したガイナスが指摘する。自分だけ責めるなと言いたげだ。
「あいつはあいつでバックレやがった。後で殺す」
 割と本気の殺意を滲ませてダルジュが言った。
「オレならいるよ、遅くなってごめん」
 裏口から入ったクレバスが、花屋の店内に姿を現した。
「お前のちょっとは二度と信用しねぇぞ」
 ダルジュが忌々しげに吐き捨てる。
「うん、ごめん」
 素直に詫びたクレバスは、アレクを見た。気遣わしげな視線に答えるように笑おうとして、出来たのはひどく頼りない微笑だった。それを見咎めたシンヤの目が鋭くなる。
「なにがあった?」
「英雄に、会ったよ」
 クレバスの言葉に、アレクの笑みが消えた。


「記憶喪失、か」
 話を聞いたシンヤが呟いた。
「戻りそうってのがカンジ悪いよね」
 ガイナスは暇そうに頬杖をついて、グラスの中のジュースをかき回している。矛先が自分からそれたことに安心しきっているようだ。
「でさ、ダルジュに聞きたいんだけど」
 クレバスがダルジュを見た。
「なにをだ」
「記憶が戻るって、どんなカンジなの?」
「なんで俺が」
「英雄から聞いたことがあるんだ。フラッシュバック、だっけ?ダルジュは経験してるって」
 一同の視線を集めたダルジュは内心舌打ちした。あの馬鹿、余計なことを言いやがって。
「別に俺じゃなくてもいいだろが。これだけいるんだ。他に誰か…」
「僕、元々記憶あるもん」
「俺も」
「私もデス」
 即答されダルジュは詰まった。一瞬静寂が場を満たし、しかしそれはダルジュのため息によって砕かれた。
「…記憶の戻り方は」
 言いかけてもう一度ため息を吐く。なんだって自分がこんなことを説明せねばならないのか。
「俺が知ってるだけで3つだな。オーバーラップ型と逆行型、フラッシュバック型だ。ひとつずつ説明してやる。1回しか言わねぇから、よく聞けよ。オーバーラップ型は現実と記憶が重なるように戻っていく」
「重なるように?」
 クレバスが首を傾げた。
「きっかけは景色だったり、言葉だったりするな。過去の記憶の断片と一致して、連鎖的に思い出す。喪失後の記憶も別腹で持ってる。なんて言えばいいんだ?フィルムが重なっているような状態に近けぇ。逆行型はある日突然”戻る”」
 ダルジュはそこで言葉を切った。過去に”戻った”人間を見たことがある。
「戻るってのは文字通りだ。記憶喪失のその直前の状態まで戻る」
「なくしてからのことは?」
 シンヤの言葉にダルジュは首を振った。
「まるでダメだ」
 ダルジュは回想した。組織に攫われる前のただの子供に戻ったそいつは、目の前の状況を理解しきれずにただ泣き喚いた。他の子供に連鎖する前に教官が銃を抜き、響いた銃声はいつまでもダルジュの耳にこびりついた。倒れた子供の目は、なぜ自分が撃たれたのか問いかけるようにダルジュを見つめたまま、閉じられることはなかった。
 吐き気がする。
 じっとりと自分が汗をかいているのがわかる。
 この馬鹿共に気取られなければいいが、とダルジュは懸念した。
「フラッシュバック型は」
 思い出すだけで口の中が乾く気がした。
「俺がそうだった。ある日突然思い出す。全部じゃないな。断片だ。でも相当明確に」
 突然、過去の景色が目の前に広がる感触を思い出して、ダルジュは顔をしかめた。本日何度目かのため息が唇から漏れる。
「記憶が戻ることのなにがやっかいかと言えば、まぁあの場所限定だろうが、脳が処理しきれずにパニックを起こしたら自分が処理されるってとこだな」
 記憶の自分と現状が違えば違うほど混乱は増す。そして、あそこはそれを悠長に治療するような環境ではない。
「中には自分で折り合いがつけられずに狂ったヤツもいる」
 ダルジュの言葉にクレバスが青ざめた。
「英雄は…」
「彼はダイジョウブ。それはナイデス」
 アレクが即座に否定した。
「無駄に要領良かったからな」
 シンヤが同意した。
「そう?グダグダだったじゃん」
 ガイナスがストローを銜えながら言う。
 ダルジュは構わずにクレバスに告げた。
「話を聞く限り、あいつはオーバーラップ型だな。きっかけがありゃなんとでもなりそうだ」
 それでも英雄は自分から扉を開けることはないだろう。
 よほど強いきっかけでもなければ。家に帰ってもダメだったのならもう絶望的かもしれない。
 長年見てきたパートナーの性格を、ダルジュは良く把握していた。
 セレンのことにも思いを馳せて、ダルジュはぐったりと疲れたような笑みを顔に浮かべた。


 くしゅん、と小さなくしゃみをセレンがしたので、英雄は雑誌から顔を上げた。
「寒い?」
「いいや、どこかで女性が私の噂をしているんだろう。それとも、この感触は」
 ダルジュかな、と言いながらセレンが唇をなぞる。そこには妖艶な笑みが彩られていた。


 背を駆け抜ける猛烈な寒気に襲われたダルジュは、思わず肩を抱いた。
「ダルジュ?どうシマシタ?」
 アレクが不思議そうに小首をかしげる。
「なんでもねぇ。ちょっと、寒気がな」
「やだぁ〜、風邪?うつさないでよぉ」
 ガイナスが大袈裟に椅子を引いた。シンヤがそれを目でたしなめる。気づいたガイナスが不服そうに口を尖らせた。
 その様子を見ていたクレバスの表情が和らぐ。アレクはほっと胸を撫で下ろした。
「なに?」
 アレクの視線に気づいたクレバスが不思議そうに尋ねる。初めに見せたぎこちない笑みはどこかに消えている。それがたまらなく嬉しかった。 
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