DTH2 カサブランカ
第8話 「CALL」
それは全くの偶然だった。
オープンカフェでカプチーノを傾けていたセレンは、街中を歩く英雄を見かけた。
微笑ましいものだと見送った瞬間、物々しい気配がそれに続いていることに気づく。セレンはすらりとした形の良い人差し指を唇に当ててしばし考えた。
暇つぶしにはなるか?
そう思って席を立つ。長い銀髪がさらりと揺れた。
月光に照らされた倉庫の入り口に、横たわった中華服の男がいる。足を止めたセレンは眉を顰めた。
男の額に流れる汗が落ちた。耳をすませばわずかな呼吸音がする。
生きている。
セレンは見下すように倉庫の中に視線をやった。
薄暗がりの中、あちこちに中華服の男が倒れている。
「ふん、まるでいつかの再現だな」
どこかの神に吐き捨てるようにセレンは告げた。言いながら、そばに横たわる男を軽く蹴る。
ため息をついた唇は、しかし微笑んでいた。
英雄がうなだれた老人に背を向けた。
相変わらず甘い、と思いながらセレンは老人に近寄った。杖に伸ばされた老人の手を踏みつける。
「仕込み、だな」
古典的だと半ば呆れながら杖を手にする。杖は二つに割れ、中から毒針が現れた。興味深そうにセレンがそれを持ち上げる。細く長い針。人差し指3本分はあろうかという針を、老人は言葉もなく見つめていた。その瞳に恐怖が滲んでいるのを認めたセレンの唇に冷笑が浮かぶ。
「返してやろう」
自分の目線の高さまで持ってきていた毒針から手を離す。針は、セレンが押さえたままの老人の手の甲に刺さった。声を上げるまでもなく、老人が崩れ落ちる。
即効性か。
さすがに勝負どころを知っているとセレンは感心した。英雄は、まだ気づきもしない。その背を呆れたように見つめたセレンが、軽いため息をついて声をかける。
「随分楽しそうだな」
英雄が振り向く。その瞳が見開かれていくことに、セレンは至極満足した。
「セレン!」
英雄が向けた銃口を、セレンは黙って見つめた。
いつかもこうして向き合ったことがある、とどこか懐かしささえ感じながら。
「銃を向ける相手が違うな」
セレンの声に英雄は眉を顰めた。
「第一お前に私を撃つ理由はない。それに」
セレンの足元に横たわる老人の遺体が英雄の視界に映る。血の匂いがあたり一面に広がった。
思わず眉をしかめる英雄とは対照的に、セレンが微笑む。
セレンが右手を掲げた。
鋼糸が月の光を受けて螺旋を描く。
「お前に私が撃てるのか?」
『お前に私が撃てるのか?』
過去と完全に重なったその光景に、英雄は言葉を失った。かつて英雄はこの場所でセレンと対峙したことがある。クレバスを伴い現れたセレン。その情景と今が酷似していた。
英雄はセレンに銃を向けながら、過去を見ていた。
そうだ、自分はこの場所を知っている。
こうして銃を持ってセレンと向き合った。
あれは、あの時も、そう、月の光が煌いて…
英雄の手が小刻みに震えていることにセレンは気づいた。視線が自分をすり抜けて、別のなにかを見ている。大股に英雄に近づいても、英雄は反応すらしなかった。
『撃てるさ、セレン』
銃を構えた自分がいる。そう、確か手の内で小さくすべって、一度持ち代えた。
クレバスが見ている。胸を張れ、大丈夫だきっとうまくいくと自分に言い聞かせた。
自分には出来る。
なぜそう思えた。
背後にいる小さな気配が、どうしてこんなに力になる…!
英雄の中で過去が木霊し続けていた。
正面から近づいたセレンが英雄の銃に手を伸ばす。
我に返った英雄が、反射的に引き金を引いた。倉庫に銃声が響き渡る。
「虚ろだな」
頬を掠めた弾丸の行方を追いもせずにセレンが呟いた。瞳は英雄を見つめたまま、滲んだ血を指で拭う。
「とてもじゃないが、一人で実戦に出せるレベルじゃない」
「セレン…」
英雄の視界、その世界が急速に現実に戻ってきた。頭がひどく重い。英雄は自分がセレンを撃ったことすら認識していなかった。事態を処理しきれない脳が休息を求め、猛烈な睡魔が体を支配する。
「だが、そろそろ動いてもらうぞ。…英雄?」
セレンの声が遠くなる。
ぐらついた英雄の体をセレンが片手で受け止めた。
自分を支えるセレンの体。そのぬくもりにすら覚えがあると、英雄は思った。
英雄が目覚めた時、視界に映ったのはセレンの部屋の天井だった。
ひどく頭が重い。体のだるさにうんざりする。
けれど思考ははっきりしていた。
昨日のことを鮮明に思い出す。
英雄は、ベッドサイドに、いつかのように薬とセレンの置手紙があるのを見つけた。
白い錠剤といくつかあるカプセルを黙って見つめる。
いつもこれを飲んだ後に思考が鈍くなる気がした。霧に包まれたように曖昧になる。
景色も、記憶も。
以前、一度だけ飲まなかったことがある。思考は冴えたが、発熱してすぐにセレンに知れた。
飲むしか、ないのか。
わずかに眉を寄せた英雄は、その薬を口にした。
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