DTH2 カサブランカ

 二人は無言のまま立ちすくんでいた。
 雨が二人の間を埋めるように降り注ぐ。
 アレクの手に握られたナイフが、鈍い光を放った。英雄の指先がわずかに動く。それを合図に二人は同時に動いた。
 英雄が銃を抜こうとするその手目がけて、アレクがナイフを投げる。
 英雄はその場で銃を抜くことに拘泥せず、冷静に身をそらしてナイフを避けた。サングラスが飛ぶのにも構わずに、駆け出して拳を繰り出すアレクの攻撃をいなしていく。
「チィッ」
 舌打ちしたのは、ダルジュだ。路地に身を潜めながら様子を伺うその手には、すでに銃が握られている。
「武器の何がタチが悪いって、感情がないとこだよな」
 独り言のようなダルジュの呟きにシンヤが顔を上げた。
「ナイフは切れる。銃は撃ち抜く。ひどく当たり前のことだ。相応の動作があれば、武器は答える。こっちの葛藤なんざまるでおかまいなしだ」
 アレクの袖口から新たなナイフが現れ、英雄が銃身でその刃を受けた。
 衝撃で、雨粒が弾け飛ぶ。
 
 その映像が、英雄の記憶の扉を開けた。
 
 ガイナスに陥れられ、ハンズスと戦った時の記憶が、今の情景に重なっていく。
 オーバーラップしていく視界に、英雄は思わず息を飲んだ。
 重なっていく。過去と現在が。
 感覚が、鈍る。

「英雄!」

 ナイフを振り下ろしながら叫ぶアレクの声に、英雄は引き金を――――――――――

「馬鹿共が!」
 ダルジュが撃ち込んだ弾が、接近していた二人の鼻先を掠めた。一瞬動きを止めたアレクを、英雄が蹴り飛ばす。アレクは傍らのダストボックスに後頭部を打ち付けた。ボックスでゴミを漁っていた猫が驚いて飛び出していく。すぐに起き上がろうとしたアレクは、立ちくらみに襲われて膝を着いた。
「…ク…」
 アレクの様子を見た英雄が背を向ける。足早に立ち去る姿に、アレクは叫んだ。
「英雄!待ちなサイ…!」
 脳裏に響く自分の声に頭痛を覚え、アレクは額を押さえた。
「馬鹿、動くな」
「ダルジュ」
 駆け寄ったダルジュがアレクに肩を貸した。
「人が来る前にずらかるぞ。手伝え、シンヤ…」
 ダルジュが振り返る。
 雨が降り続く通りに、人影はなかった。そこに倒れていたはずのクレバスさえ見当たらない。
「おい?」
 ダルジュが眉を顰める。
「クレバス…?」
 アレクが、不安げな声を漏らした。


 英雄は歩いている足を緩めることはなかった。
 景色が、歪んだままだ。違う、歪んでいるのではない。重なっているのだ。
 過去と。
 ひとつ何かを見るたびに、記憶のかけらが次々と浮かぶ。
 この通りを何度かクレバスと通ったことがある。
 あの店はマージのお気に入りだった。ティラミスが美味しいと笑ってた。
 そこの本屋の品揃えは、ハンズスが絶賛してた。医学書ばかり揃えた本屋なんてそう遠くないうちに潰れるさとからかったら、憤慨したっけ…
 記憶の呼び声に導かれるように、英雄は歩いた。路地裏に入る。辺りを見回して、以前、自分の過去を探ろうと辿りついた廃ビルの近くだと推測する。流れる川がその証だ。
 景色を眺めていた英雄は、目の前に立ちはだかる影に気づいた。
 英雄と同じく、傘もささずに全身雨に打たれている人物。
 背は英雄と同じくらい。黒髪の少年。英雄を責めるような瞳に、見覚えがあった。
「シンヤ…?」
 その響きすら懐かしい、と英雄は思った。


 胸が痛い、とクレバスは思った。純粋に肉体的な痛みだ。空砲とはいえ、至近距離で撃たれれば十分な衝撃を持つ。骨が折れたかもと嘆きつつ、クレバスは歩くのを止めようとはしなかった。歩くたびに胸が痛んで休んだせいで、随分離されてしまった。
 意識を取り戻したクレバスは、アレクが英雄に蹴り飛ばされるのを見た。ダルジュが駆け寄るのを見て、ぼんやりと視線を移動させた瞬間に、英雄を追っていくシンヤの後姿に気づいた。
 シンヤが。
 壁に手をついて、息を吐く。
 シンヤが、どうする気なのかさっぱりわからない。それでも、放っておけないと思ったのだ。
 英雄を心配しているのか、シンヤを心配しているのか、クレバスにはわからなかった。
 わかるのは、ただ、自分が行かなければならないということだけだ。
 うなだれた自分の前髪が、雨の雫を垂らすのを合図にクレバスは顔を上げた。
 ちっとも晴れなさそうな空を見上げて、再び歩き出す。

 
 シンヤは英雄と向き合ったまま、しばらく何も言わなかった。
「…思い出したのか?」
「断片的に。…大きくなったね」
 英雄の言葉に、シンヤは嫌悪感を隠そうとはしなかった。
 穏やかでどこか気の抜けた笑顔が、かつての英雄を彷彿とさせる。
 母と、英雄と、クレバスと過ごしたあの日と同じ笑顔。それがたまらなく嫌だった。
「クレバスのことは?」
「まだ」
 英雄は目を伏せた。
「君と話すのは、いつもこんな人気のない場所だな。寂しくて」
 かつて英雄は何度かシンヤと二人きりで対話をしたことがあった。詳細をクレバスに伝えることはなかったが、その内容すら英雄は思い出していた。
「君が言うことはいつも決まっていた」
「”クレバスから離れろ”」
 何度も聞いたその言葉に視線を上げた英雄は、シンヤの手に握られた銃口が自分に向けられているのを見て苦笑した。
 その姿にすら懐かしみを感じたのだ。
「…多分、今の僕に答える資格はないな」
 雨が止む気配を見せない。すぐ隣を流れる川が増水でもしたのか、水音がやけに耳につく。そのせいで、英雄もシンヤもクレバスが近づいたことに気づかなかった。
 二人に追いついたクレバスは、自分のことが話されていると知って思わず足を止めていた。
 英雄が、自分のことを話している。
「クレバスのことを知っている。でも、それはデータとしてだ」
「お前は、生きているだけで」
 シンヤは引き金に指をかけた。
「誰かを傷つける…!」
 NYに来てから目にしたもの全てをぶつけるようにシンヤは言った。
 英雄が、静かに答える。
「それが、生きるってことだ」
「黙れ!」
 シンヤが吼えた。
「英雄!」
 殺気を感じたクレバスが飛び出す。
 シンヤが引き金を引いた。
 
 銃口から吐き出された弾丸の行方に、シンヤは目を疑った。

 クレバスが、英雄の前に両手を広げて立ちはだかる。

『ナイフは切れる。銃は撃ち抜く。ひどく当たり前のことだ。相応の動作があれば、武器は答える。こっちの葛藤なんざまるでおかまいなしだ』

 ダルジュの言葉が脳裏をよぎる。
 どけ、と叫ぼうにも声が出なかった。

 英雄がクレバスの肩を掴む。
 身を入れ替えるように肩を抱きながら、クレバスごと、川へと身を投げた。

 全てがあまりに一瞬の出来事で、シンヤはなすすべもなくその場に立ち尽くした。


 やがて降り続いた雨が小雨に変わり、雲の隙間から陽光が差し込み始めた。
「ちょっと、シンヤ、大丈夫!?」
 駆けつけたガイナスがその肩を掴むまで、シンヤはただ呆然とそこに立ちすくんでいた。
「ああ、もうびしょ濡れじゃない!」
 言いながらガイナスが、シンヤの頭にタオルを乗せる。
 ガイナスのしたいがままにさせながら、シンヤは虚ろな瞳でただ一点を見ていた。

 降り続いた雨で出来た水溜り。
 そこに血が混じっている。
 土と混じったその赤は、どちらかが被弾したことの証だった。 


第10話 END
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