DTH2 カサブランカ

 階段を上った先の路地で、セレンは英雄を迎えた。腕の傷に眉を顰めてから、英雄の様子が違うことに気づく。
「腕は?誰にやられた?」
 セレンが英雄の傷を指して、顎をしゃくった。言われて、初めて気づいたように英雄が自分の腕を見た。確かに痛むが、気にしているような場合でもない。
「ちょっと油断した。大した傷じゃない。セレンこそ、珍しい」
「これか。黒猫がじゃれてね。可愛いものだ」
 セレンが苦笑しながら、喉についたナイフの跡を撫でる。
「顔色がいいな。いいことでもあったか?」
 セレンの言葉に英雄は目をそらした。心を見透かされそうだ。
「別に。それより、邪魔が入った」
「見ていた。友人が多いことだな」
 セレンが微笑んだ。
 友人、という言葉に英雄は目を細めた。スコープ越しに見たハンズスの笑顔は、記憶に新しい。アレクが咄嗟に動いてくれなければ、取り返しのつかないことになるところだった。

『ソレがアナタとの約束デス』
 
 そう言って自分の前に立ちはだかってくれたアレクに、英雄は捧げきれないほどの感謝をした。



 G&Gに戻ったシンヤは、自室にいた。
 元ダルジュの個室だったその部屋は、白い壁に木製のベッドと衣装ケースがひとつあるだけの素っ気無さだ。元から長居する気はない。家具を増やす気にもなれなかった。
 ベッドに腰掛けたまま、シンヤは自分の手を凝視した。
 まだ引き金を引いた感触が手から離れない。
 英雄を、クレバスが庇った。
 クレバスの性格を考えれば、至極当たり前のことだ。
 両手を広げて英雄の前に立ちはだかったクレバスの瞳。凛と自分を射抜くようにまっすぐな視線。
 シンヤを責めているわけではない。けれど、その真っ直ぐさが、やはり自分を責めているように感じた。
 整理をしきったのだと、自分で思っていた。
 なのに、英雄を前にした時、黒い感情が沸いた。烈火のような激しさではない。布に染みが広がるように、じんわりと染み付いた感情が心に残っていることに気づいただけだ。きっとこびりついて生涯離れることはないのだろう。
 英雄の存在に目がくらんだ。
 クレバスが傍にいることに、どうして気づかなかったのか。
 シンヤはただ、己を責めた。
「シンヤ、ホットココア持ってきたよ。体、冷えたでしょ?飲めば?」
 ノックもそこそこに、ガイナスが部屋のドアを開けた。シンヤが座るベッドサイドにマグカップを置いても、シンヤは反応しなかった。その様子を見たガイナスが、口を尖らせる。
「クレバス見つかったって」
 シンヤが青ざめた顔を上げた。
「…怪我は?」
「今、ハンズスが迎えに行ってるよ。随分流されたみたい。アレクの怪我も大したことないって、ダルジュが言ってた」
「怪我は!?」
 勢い込んで自分の胸倉を掴むシンヤに、ガイナスは軽蔑にも似た視線を寄越した。
「なんで撃ったのさ」
 シンヤの瞳が揺れる。
「そんなに気にするくらいなら、なんで撃ったのさ…!」
 ガイナスの言葉にシンヤが唇を噛んだ。
「武器を持つなら、傷つける覚悟も傷つく覚悟もしなよ。撃ったら誰かを傷つけるなんて、当たり前じゃん!それが自分に跳ね返ってきたからって、拗ねないでよね!」
 言いながら、ガイナスはシンヤの腕を振りほどいた。気力をなくしたようなシンヤに、一言告げる。
「…クレバス、怪我ないって。英雄の左腕に当たったみたいだよ。どうせなら頭ブチ抜いてやれば良かったのに」
 ガイナスの不満そうな声を聞いたシンヤは、ほっと息を漏らした。
「露骨に安心した顔しないでくれる?僕、怒ってるんだけど」
「なんでお前が怒るんだ?」
 不思議そうなシンヤの目の前に、ガイナスがマグカップを突き出した。
「知らないよ、そんなの!自分で考えれば!?」
 マグカップをシンヤに押し付けると、ガイナスは部屋を出て行った。店が壊れるのではないかと思うほど乱暴に扉を閉める。その音のすさまじさに、フロアにいたダルジュが舌打ちをした。
「なんで怒るかって?」
 閉じた扉の前に立ちすくんだまま、ガイナスは呟いた。静かに瞳を伏せる。
「シンヤが傷つくからだよ…」
 胸が痛い。
 よく似た感情をガイナスは知っていた。
 これは、あの時の…
 そっと胸を握り締める。ガイナスは、過去に思いを馳せた。

 6年前、英雄と関わりのある人間として、シンヤ母子を選んだのはガイナスだった。クレバスも含めて仲良く買い物に連れ立っている姿がまるで家族連れのようで、ターゲットとして格好だと思ったのだ。英雄達と別れた後、母子を拉致した。
 子供であるシンヤに言うことを聞かせることなど容易いと、ガイナスは考えていた。自分と同じくらいの年だ。しかも今まで平和に生きてきたんだろう?せいぜい命乞いでもすればいい。英雄を殺してくれれば、それで解放してやるさ、と。
 ガイナスの意に反して、シンヤは泣きも喚きもしなかった。
 それどころか、武器を持とうとすらしない。
 痺れを切らした教官が殴っても無駄だと聞いた。
「う〜ん、それで殺されても困るんだよね。せっかく、拉致したわけだしぃ」
 ガイナスはキャンディを舐めながら、シンヤの様子を見に行った。狭い個室、コンクリートで四方を囲まれた監禁部屋。唯一の窓には鉄格子が張られ、薄暗い電灯が一つついているだけだった。
「うわ、教育の真っ最中じゃん」
 ガイナスは舐めていたキャンディの味が途端に苦くなるのを感じた。
 刷り込みは、暴力と囁きを以って行われた。思考がもうろうとするまで殴る。なぜ、自分がこんな目にあうのか、不思議かと問いかける。答えは簡単だ、とターゲットの名を刷り込む。何度も何度も繰り返すうちに、やがてそれは真実として脳裏に刻み込まれる。そうでなければ、精神がもたないのだ。ひどく原始的なその方法に、ガイナスは不快さを隠さなかった。自分の追体験をしているみたいで気分が悪い。
 教官の一人が、シンヤの髪を掴んだ。
「さあ、言ってみろ。なぜお前はこんな目にあう?」
 シンヤの口がわずかに動いた。
 唇を読んだガイナスが眉をひそめる。

『あんたらがクズだからさ』

 シンヤは確かにそう言った。
「ん?なんだ?」
 耳を寄せた教官の頬にシンヤが噛み付いた。
「ガキが!」
 激昂した教官がシンヤを殴り飛ばす。シンヤは壁に打ち付けられた。追撃が来る、とシンヤは目をつぶって体を強張らせた。
 拳の代わりにシンヤに触れたのは、教官の血だ。
 恐る恐る目を開けると、教官の頚動脈をナイフで切り裂いたガイナスがそこに立っていた。
「油断したあんたが悪いんでしょ?もう〜、バカなんだからぁ」
 言いながら教官の死体を蹴る。
 自分と同じ子供がそこにいることに、シンヤは目を見張った。
「こんにちはぁ、クズです〜」
 ガイナスは笑って見せた。シンヤの瞳の奥にある光が大層気に喰わないと、そう思いながら。


第11話 END
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