DTH2 カサブランカ

第12話 「君の光」

 シンヤはガイナスを警戒していた。
 ガイナスが手を伸ばしても、取ろうとはしない。
 教官を手にかけて、頬についた血を拭おうともしない子供。明らかに自分とは異質な何かを感じる。
「武器、持たないんだって?」
 シンヤに差し出した手を引っ込めたガイナスが間延びした声で聞いた。
「なんで?」
「俺は意味なく人を傷つけたりしない」
 シンヤは答えた。壁にもたれるようにして立ち上がる。
 体の節々が軋むように痛んだ。ひどく重い体が鉛のようだ。
「意味ならあるよぉ。今、英雄のせいでひどいめにあってるんでしょ?十分じゃない」
「違う。あいつのせいじゃない」
 自分に言い聞かせるようにシンヤは言った。

『君が彼女を守るんだ』

 英雄が自分の胸を叩いた、その感触を覚えている。
「母さんはどこだ…!」
 シンヤがガイナスを睨みすえた。気力で体を支えているに等しいシンヤを、ガイナスが鼻で笑う。
「別の場所にいるよぉ。だいじょーぶ、今はまだ手荒なことなんかしてない。でも」
 ガイナスはそこで言葉を区切った。
「言うこと聞かないと、どうなるかわかんないな〜」
 からかいながら口の中で転がすキャンディーが甘さを増す。ガイナスはひどく満足した。
 これで頷かない人間はいない。
 武器を手に取るがいい。そして英雄を殺せ。
 一度小さく咳き込んだシンヤが顔を上げた。まっすぐにガイナスを見る。
「断る…!」
 射抜くような視線に、ガイナスは息を呑んだ。
 その視線を、ガイナスはよく知っていた。
 大嫌いな人間に良く似てる。
 英雄の傍にいる、なにも知らない子供。なんの力もないくせに、目だけはやたらに真っ直ぐな…
 クレバス。
 ガイナスは湧き上がる不快感を押さえようとはしなかった。
 シンヤの目の奥に、確かに同じ光が宿っている。

 セイギノヒカリ

 馬鹿みたいだ。
 ガイナスの唇が笑みをかたどった。その曲線は、嘲笑に近い。
「そう?残念」
 くすくすとガイナスは笑い始めた。真意を測りかねたシンヤが怪訝な表情をする。
「ほんとーに、残念。でも、しょうがないよねぇ?自分で嫌だって言ったんだもん」
「なに…」
「お母さんに会わせてあげるよ」
 ガイナスが囁いた。シンヤの動きが止まる。疑惑のまなざしを自分に向けるシンヤに、ガイナスは微笑みかけた。傍から見ればとても人懐っこい、可愛らしい笑顔だ。けれど。
 あざ笑うような瞳に宿る光が残酷味を帯びているのを、シンヤは見逃さなかった。



 目的も告げられず、監禁をされてもう2週間以上経つ。シンヤの母親である由希子は、壁につけた×印を指でなぞってため息をついた。シンヤと同じような独房。コンクリートに四方を囲まれ、情報を遮断されたこの部屋に連れ込まれてから、一度もシンヤに会っていない。
 あの子は無事だろうか…。
 こんなことになるのなら、旅行になど来なければ良かったと後悔しても遅かった。
「おばさん」
 由希子のいる部屋のドアが小さく開いた。囁くような声に、由希子は振り向いた。
「ガイナス君」
 辺りを警戒しながら、ガイナスが部屋に滑り込む。
 由希子がここに連れ込まれたその日から、ガイナスは時折部屋に現れた。同じように監禁されているのだと由希子に告げ、傷を作っては由紀子の部屋に駆け込んでくるのだ。
「まぁ、どうしたの。血が」
 ガイナスの頬に血がついているのを由希子は見咎めた。慌てて立ち上がり、ガイナスに駆け寄ると跪いてハンカチを当てる。
「怪我をしたの?」
「ううん、僕じゃない…」
 ガイナスはうなだれた。
 初めは、興味本位で由希子の部屋を訪れていた。けれど、今では自然と足が向く。ガイナスはその理由を自分の内に追及しようとはしなかった。
「ねえ、あれやって」
 甘えるようなガイナスの言葉に、由希子は腰を降ろして座り込んだ。膝の上にガイナスが頭を乗せる。その髪を梳くように由希子は撫でた。
 ぬくもりが、ひどく心地いい。ガイナスはまどろんだ。
 遠い昔、セレンとつないだ手も、きっと同じような感触だったのだろう。
 もう、覚えてはいないけれど。
「…僕、おかあさんってよく知らないけど、きっといたらこんなカンジなんだね…」
 呟くガイナスに、由希子は優しく微笑みかけた。
「今日、シンヤに会ったよ」
 ぴくり、と由希子の手が止まる。
「大丈夫、元気だった」
 ガイナスが起き上がった。不安げな由希子に、にこにこと満面の笑みで微笑みかける。
「やっぱり、シンヤが心配だよね。本当の子だもんね」
「ガイナス君…」
「大丈夫、僕、なんとかして会わせてあげるよ!」
 高らかに笑うガイナスの頬に、由希子が触れた。心配そうにガイナスを見つめる。
「無理をしなくて、いいのよ」
 自分を気遣うその姿に、打算の影は微塵も見られない。ガイナスは急に笑みが引いていくのを感じた。この人の手は心に触れる。ひどく脆い自分が露見しそうな恐怖に、ガイナスは立ち上がった。
「や、だな。おばさん。無理なんかしてないよ。もう行くね、見張りが来るだろうから」
 そそくさとそこを後にする自分が、まるで逃げているようだ。
 ガイナスは歯噛みした。
 振り返ってなんかいないのに、由希子が自分を心配そうに見送っているのがわかる。
 それもまた、ひどく不快だった。


 そう、会わせてあげる。
 最後に一度だけ。
 それで、本望なんでショ?
 ガイナスの靴音が、廊下に響いた。
 頬を拭う。
 由希子の視線を振り切るように、ガイナスは足を速めた。
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