DTH2 カサブランカ

第13話 「死者の復活」

 重く立ち込めた沈黙の中で、時計の秒針の音だけが響いている。
 殺気にも似た怒気が部屋中を包んでいるせいで、指一本動かすことすらためらわれた。
 住み慣れた我が家の居間なのに、この凄まじいプレッシャーはなんだ。
 クレバスは、ちらりと隣でソファに腰掛けているハンズスを見た。クレバスと同じように、視線をテーブルに落としているのはやはり後ろめたいことがあるからだろう。クレバスを迎えに来た車中で特に何も言わなかったけれど、狙撃されたことにも心当たりがあるようだった。
「私は、私が怒ってもイイと思ってマス」
 対面に座っていたアレクが息を吐きながら告げた。声の端々に、怒りが漏れる。爆発しそうななにかを必死に押さえ込んでいるのが伝わって来た。
 これなら怒鳴られたほうがマシだ、とクレバスは思った。
「いや、悪かったと思ってる…」
「ナニガ?」
 呟いたハンズスへの切り返しも果てしなく容赦が無い。言葉で切り捨てるような鋭さを持っている。
「アナタ、わかってマスカ!?マージやアリソンまで危なかったデスヨ!?」
 ぐ、とハンズスが詰まった。
「…わかってる。俺の我侭だ」
 すまなかった、とハンズスが詫びる。
「マージやアリソンにも謝るとイイデス」
 フン、と鼻を鳴らしたアレクがクレバスを見た。
 じっと自分を試すような視線に、クレバスは一瞬怯んだ。思わず呟く。
「ごめん」
 アレクはしばらく無言でクレバスを見つめた。鋭かった視線がふっと和らぐ。
 やがて自分に折り合いをつけるように、アレクはため息をついた。
「クレバス、何が悪かったと思ってマスカ?」
「一人で動いたこと」
「無茶をしたことデス」
 それのどこが違うのか、クレバスは理解できなかった。疑問が顔に出たのだろう、アレクが補足する。
「ガイナスから聞きマシタ。英雄を、カバッタと」
「あ」
 クレバスはようやくアレクが言わんとすることを悟った。
「でも、あれは咄嗟で…」
「クレバス」
 厳しさのこもったアレクの声にクレバスは言葉を飲み込んだ。
 真っ直ぐに自分を見るアレクから目をそらせない。
 アレクは自分を責めているのではない。それはわかる。
 それでも。
 むかむかと何かがこみ上げるのをクレバスは感じた。
「咄嗟なモンは仕方ねーだろ!」
 目を瞑って叫んだまま、立ち上がる。そのまま、ドアへと向かった。
「クレバス?」
「シャワー浴びてくる。このままじゃ風邪引くし」
 気遣ったようなハンズスの声に努めて平静に答えたものの、潜む棘は隠せない。自分の子供加減を再確認したようでクレバスは顔に苦味を走らせた。
「イッテラッシャイ」
 心なしかアレクの声が冷たい。
 そう思うのも、きっと自分の心が狭いせいなのだとクレバスは思った。



 真っ暗な室内は、意図的に光が入らないよう設計されている。
 暗闇の中にある六つの漆黒の柱。六角形をした柱のひとつひとつに幾何学的な模様が彫りこまれ、電子回路が光を走らせているのが見て取れる。それがこの部屋で唯一の光源だった。肉眼では見えないがそれぞれに暗視カメラが内蔵されている。謁見者をモニター越しで見るためだ。
 以前の英雄達の襲撃以来、組織幹部との謁見はこの部屋で行われていた。幹部が姿を現すことは無い。
 臆病なことだ、とセレンはため息をついた。命が惜しいなら、そのまま引退でもすればいいものを。
 六つの柱の中央に立つ。
 モーターの駆動音が、セレンにカメラが向けられたことを告げていた。
 赤い光線がセレンの頭からつま先までをスキャンする。
「セレンか」
 しゃがれた老人の声をスピーカーが拡散する。
「あれの様子はどうだ?」
「死んではいないが、生きてもいないな。相変わらずだ」
 まだ仕事に出せる段階ではないとセレンは言った。
「リハビリすらこなせていない」
「無駄な投資をする気はないぞ」
 ぴくりとセレンの眉が動いた。
 隠さない殺気に空気が揺れる。
「忘れるな。お前の胸になにがあるか」
 老人の声が響く。震えているのは年のせいか、それとも怯えているのか。
 馬鹿らしい。セレンは嘲笑した。
 これが有効なのは、その命を惜しむ者に対してだけだ。こんな程度で自分を束縛できると思っている連中がひどく滑稽だった。
 壊してやろうか、ここの全てを。そして自分の矮小さを知るがいい。
 セレンの指先が動いた。
「セレン」
 後ろから響いた声に、セレンは動きを止めた。
「英雄」
 いつの間に後ろをとられたのか、英雄がそこに立っていた。

 
 
「時代は変わったって言うけど、あそこまで変わってたとは思わなかったな。なんだ、あの部屋」
 路上に停めてあったセレンの車、助手席に座った英雄が正直な感想を漏らした。
「お前こそどうやって辿りついた。セキュリティがいくつかあったが?」
「聞くのは野暮じゃないか?」
 英雄が笑う。セレンは返事をすることなく、エンジンをかけた。
 無言の車内に、エンジン音だけが響く。
「セレン、もうわかってるんだろう。僕は思い出した」
 フロントウィンドウから前の景色を眺めながら英雄は言った。
「ああ」
 セレンはアクセルを踏んだ。
 タイヤが悲鳴を上げる。英雄は深刻な顔でシートベルトを握り締めた。
 車が、猛スピードで走り出す。
 次々に現れる景色が瞬く間に遠ざかる。シートに張り付けられるような感覚に、英雄は叫んだ。
「前言撤回するよ。時代が変わっても変わらないものがある!」
「ほう、なんだ?」
 興味深そうに尋ねたセレンがハンドルを切る。コースは直角に近い。英雄は窓ガラスに頭を打ちつけた。涙目になった英雄が頭をさする。
「この痛みだ」
「それはいい」
 お前の復帰祝いだ、とセレンは言った。
「このままドライブに連れて行ってやろう」
 英雄の顔が青ざめていくのを見て、セレンは満足そうに微笑んだ。
 
 3時間後、英雄は港の埠頭で憔悴しきった表情で座り込んでいた。規則正しい波の音にさえ吐き気を覚える。
「なんだ、ひどい顔だな」
 セレンが苦笑しながら缶コーヒーを差し出す。英雄はそれを受け取った。
「感激しすぎたんだよ、多分ね」
 英雄がコーヒーに口をつける。
 隣に立って海を眺めるセレンを見て、英雄も海を見た。白波が立つ。セレンが見ているのはあの辺りだろうかと思いながら、言葉を紡いだ。
「5年前、僕に何があった…?」
 セレンはただ目を細めた。かもめが鳴いている。
 手の中にあるコーヒーの缶の冷たさがいやに現実的だった。
「教える気はないな。自分で思い出せ」
 知ればお前は私を恨むだろう、とセレンは呟いた。
 潮風に溶けるようなセレンの声を聞きながら、英雄は海を見た。

 海は、ただ、凪いでいた。
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